りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

ジェミニ・3。

2010-04-26 | Weblog
僕の声に気づいたタッツンは、僕を見つめた。
そして僕の隣にいる女性が視界に入ったとたん、一瞬、顔をゆがめたように表情を
変えたが、すぐに静かな微笑みを顔に浮かべた。

「おはようございます」

昼下がりなのに、何よりも十数年ぶりに再会のはずなのに、
タッツンはそう言いながら、お辞儀をした。
照れ隠しであることは、誰が見ても明らかだった。
しかしジェミニも何の躊躇もなく、おはようございますと返事を
しながらお辞儀をした。
あらためて思った。そうなのだ。二人はそんな間柄だったのだ。

その後、再び他愛もない話が続いた。
今、話さなくてもいいような話が泡沫のように浮かんでは消えていった。

しばらくすると、ライブの時間になった。
僕とタッツンは倉庫の中へ。
ジェミニは、子どもを連れて家路に着いた。
別れ際、あの頃と変わらない、優しい微笑みで、ジェミニは僕らを見送った。

「会わない方がよかったか?」
ライブ会場のパイプ椅子に並んで座った僕がタッツンにそう訊いた。
35年のつきあいだ。
まわりくどい尋ね方は、逆にタッツンに失礼だ。
ステージで響くギターの音で聴こえなかったのか、タッツンは、もう一度、
「え?」と僕に尋ねた。僕は繰り返した。
「会わない方がよかったか?」

僕の質問が終わるか終らないか、というスピードで、タッツンはハッキリと頷いた。

タッツンは、白黒ハッキリしているように見えて、実はそうではない。
こういう場合、少し考えてから、やんわりと「会わない方がよかった」と
いうことを言葉を選びながら口にする男だ。要するに、優しい男なのだ。
そんな男が、秒殺で頷いた。

「どうして?」

僕はタッツンの真意を質した。

「あんなに老けているとは思わなったわ・・・会うんじゃなかった」

タッツンは、吐き捨てるようにそう言った。
男なら、分からない気もしない。
きっと、タッツンの中には、20代前半のあの頃のジェミニがずっと
生きていたのだろう。
40年も生きていれば、そういう女性が、男の中には何人かは棲んでいるものだ。
タッツンにとって、きっとジェミニはそういう女性だったのだ。
僕にとっても、ジェミニは20代前半を語る上で、欠かせない女性の一人だ。
でも、いつまでも心に棲んでいるか?と尋ねられたら、たぶん首をかしげると思う。
だからこそ、少し距離を置いて40歳になったジェミニを見ることができ、
キレイに思えたのだと思う。
そもそも、通りすがりに何の迷いもなく声をかけられること自体が、
それを証明しているような気がする。

僕は、それ以上タッツンにジェミニのことを尋ねなかった。
タッツンもジェミニのことを口にしなかった。

ステージでは、マスターがギターを弾きながら歌を歌っていた。
憂歌団の歌だ。サビでマスターが絶叫した。
“胸が痛い、胸が痛い・・・”

夕方帰宅したら、朝からの強行スケジュールと、あまりの晴天と、人ごみに疲れたのか、
寝室の布団の上でゴロゴロしているうちに、瞼が重くなってそのまま寝てしまった。

枕元に置いた携帯電話のバイブの音で目が覚めた。
辺りはもう、薄暮だった。
電話を手にする。
電話の着信が1本。
メールの着信も1本。
電話は愛車Twin仲間の方からで、タイヤとホイールとマフラーを格安で売ってくれると
いう、余りの嬉しさに飛び上がりそうな電話だった。

メールはタッツンからだった。
メールの文面を読んだ。
そこには、昼間のタッツンの言葉と相反する言葉が書いてあった。
内容は、秘密だ。
だって、35年のつきあいだからな。
だからこそ、メールの文面の真意も分かる。
それでいいんだと、思った。

タッツンのメールを読んだ後、僕はまた「カシオペアの丘で」を思い出した。
こじつけかもしれないが、最近、この小説とリンクするような出来事が
多いような気がする。

過去には、戻れないし戻りたくない。
でも、自分の過去は素直に受け入れてやりたい。
そこから、また今日を、明日を、1日ずつ過去にしていけばいい。
そう、思う。
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ジェミニ・2。

2010-04-26 | Weblog
ジェミニ。

もちろん、これもニックネームである。
別に双子なわけではない。
20歳の頃、いすゞの今は無き「ジェミニ」という車が
彼女の愛車だったので、みんなからそう呼ばれていたのだ。

少し話がそれるが、僕は最近決めたことがある。
それは、街中などで、見覚えのある顔とすれ違ったら、
出来るだけ声をかけよう、ということだ。
もちろん、全員にではない。
見覚えがあっても、思い出したくない“見覚え”のある顔もある。
僕が声をかけようと決めたのは、僕の人生にとって
良い印象や想い出とともに残っている人だ。
もっとも、そうなると圧倒的に女性の方が多くなるのだが(笑)
しかしそこで声をかけなかったら、狭い街といえども、
そのまま再び何年、何十年と会わずじまいになってしまう可能性が高い。
一生会えなくなる可能性もある。
そんなことになるくらいなら、声をかけた方がよっぽどいい。
数秒だ。
「○○さん?」と旧姓でも下の名前でもニックネームでもいい。
声をかけて、数秒間、少し気まずい時間を我慢すれば、
その後、答えはおのずと出てくる。
「すみません、どなたですか?」と言われてしまえばそれまで。
「うわぁ!ひさしぶり!」と笑顔が弾けたら、そこからまたひとつの
人のつながりが再生する。

生まれたからには、出来るだけ人とつながった方がいい。しかもいいカタチで。

40年間生きてきた僕が、自信を持って人に言える唯一の格言かもしれない。
ジェミニは後者だった。
おかげで、またつながりが再生できた。

何年ぶりの再会だろう?
ジェミニとタッツンと他にも何人もの旧友たち。
みんなで朝まで大騒ぎで酒を飲んでドライブしてカラオケに行って・・・
そんな理屈抜きで遊んでいたのは、20代前半の頃だった。
あの頃以来だから、17~18年ぶりになるのだろう。

やっぱり狭い街だから、ジェミニの噂は聞いていた。
ずいぶん前に結婚したことも知っていたし、何人も子どもがいることも
風の噂で知っていた。中には出産太りで、昔の面影は残っていない・・・と
いう噂も耳にしたこともあった。
でも、今目の前にいるジェミニは、たしかに20代の頃に比べれば、少し老けた
かもしれないが、それでも普通に年を重ねて、普通にお母さんになった、
あの頃と同じ声色と仕草と笑い声をしたジェミニだった。
だから僕には、あの頃よりも、ジェミニが格段にキレイになったように見えた。
そんなジェミニが、僕に訊いた。

「みんな、元気・・・?」

少し上目遣いで訊いたその言葉は“みんな”と言っていたが、明らかに一人の
男の消息を尋ねていたことを僕は直感した。

「タッツン、この中にいるよ」

僕は倉庫の中を親指で指さした。
倉庫の中からは、ライブのリハーサルの音が聴こえる。
ライブのスタートまで、あと15分少々。

「いっしょに来たわけじゃないけど、偶然会ったんだよ。行ってみる?」

ジェミニは迷わず頷いた。
中に入ってタッツンを探す。
でも、いなかった。
岸壁の方にもいる雰囲気はない。
散策がてら、どこか別の場所に移動したのだろうか?

仕方なく僕とジェミニとジェミニの子どもたちは倉庫から出て、
少しの間、他愛もない世間話をした。
会話を交わしていて、あらためて思った。
彼女は、キレイになった、と。
いや、キザな表現かもしれないが、素敵になっていた。

昔から、キレイな女の子だった。
明るく、気さくで、可愛くて、キレイ。
これだけ揃っていてモテないわけがない。
彼女が好きだという男は、僕が知る限り、数えきれないほどいた。
でも、彼女は特定の彼氏を作らなかった。
その理由を、僕は知らない。
一度だけ、その理由を尋ねたことがあった。
「だって、みんなと一緒に遊んでいた方が楽しいもん」
ジェミニは屈託なくそう答えた。それが本心かどうかは別として・・・・。

そうこうするうちに、白いハンチング帽を被った男が視界の端に入ってきた。
タッツンだった。

「いた」

僕がそう言いながらタッツンを指さすと、ジェミニは僕の指の先を凝視した。
タッツンは、もうどこへも行かない。
彼もマスターのライブを見に来たのだから、ここへ戻ってくるはずだ。
だから遅かれ早かれ、タッツンを待っている僕とジェミニに気づくはずだ。
それでも、僕はジェミニに向かって訊いた。

「呼ぼうか?」
「どうしよう・・・・」

ジェミニも戸惑っている。
戸惑っている間にも、タッツンは近づいてきている。

そう。あれは20年前だ。
今でも覚えている。
1990年12月30日。
当時僕が暮らしていた広島市内のアパートに、タッツンが突然遊びに来たのだ。
その横に、小さな女性がいた。
それがジェミニだった。
二人はつきあっていないと言っていた。
それが事実だったのかどうかは、僕は知らない。
しかし、たとえつきあってなかったとしても、タッツンにしてもジェミニにしても、
あの頃・・・大人へと脱皮しかかっていた、まだ今ほど人間関係が複雑ではなかった頃の、
かけがえないのない“仲間”だったことは、たしかだろう。
そして、仮に40年で人生が終わってしまったとしたならば、人生最後のエンドロールで、
絶対に欠かすことができない人物であることも否定はできないだろう。
僕だって、そうだ。
僕にとっても、タッツンはもちろん、ジェミニもそういう人間だ。
だからこそ、タッツンは他にも話すことがあるはずなのに、僕の耳元で
“ジェミニを見た”と囁いたのだし、ジェミニも言葉を選ぶように僕に向かって
“・・・みんな、元気?”と訊いたのだ。

今回は、逆だ。
20年前とは、逆だ。
今日は僕がジェミニを、タッツンに紹介してやる。

「タッツン!!!!」

気がつくと、両手を口の左右で丸めて、全身の力をこめて僕は大声で叫んでいた。
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ジェミニ・1。

2010-04-26 | Weblog
昨日、地元の祭り「みなと祭」へ行った。

小学五年生の娘が学校代表でパレードで踊るので。
それを見に、妻と息子と観に行った。

ものすごい数の観客の中、その人ごみをかき分けて、
海岸通りで踊る娘を応援&観賞&ビデオ撮影(笑)。
我ながら、いいパパしてる、と心で苦笑する。

午前中に娘の踊りは終わり、昼からは会場内を
ブラブラと散策した。
会場と言っても街の海岸沿い全体が会場みたいな
ものなので、すべてを見てまわることはできない。
妻と子どもたちが、昼食がてら屋台で買ったやきそばを
岸壁に腰掛けて食べている間、僕はすぐ目の前の
港の倉庫に入った。
戦前に建てられた県営の倉庫は、祭の期間中だけ、
ライブイベントの会場に模様替えしていたのだ。
今日は、午後2時半から馴染みのライブハウスのマスターの
バンドがライブをする予定だった。
“りきるくん、来てね♪”
偶然先日会ったマスターに、そう言われていた。

倉庫の中のステージはまだ準備中だったので、
僕は倉庫を横切って、岸壁の反対側で開催されていた、
フリーマーケットに顔を出した。
古着や骨とう品、玩具やジュエリー・・・雑貨好きな僕にとっては、
ヒマつぶしにもってこいのような場所だった。

そうやってブラブラしていると、前方に見たことのある顔を見つけた。
そいつも、僕を見ている。
そいつが手を上げた。
僕も手を上げた。

タッツンだった。

タッツン・・・これは仮名である。
ニックネームで仮名とというのも、少しナンセンスな話だが、
あえてこの日記ではこのニックネームを使う。
彼とは保育所以来の友達だった。
出会って、35年。
今でもずっとつきあいのある、貴重な友人の一人だ。
普段は、タッツンではなく、別のニックネームで呼んでいる。
タッツンというニックネームは、実は僕が7年前に書いた
小説の登場人物の名前なのだ。
そしてその人物のモデルが、彼だったのである。

タッツンは、僕が近づくと、他愛もないことを話した後、
あることを僕の耳元で囁くように呟いた。

「あそこにいる女、ジェミニじゃないか?」

僕はタッツンが漏らした言葉と同時にタッツンの視線の先を追った。
そこには、屋台の前に置かれた簡易な椅子とテーブルに座る。
母親らしき女性と二人の女の子がいた。
うちの家族と同じように、屋台で買った食べ物で、これから
昼食をとろうとしているようだった。

僕は少し斜め前に歩んで、その女性の前に出た。
すると、案の定、女性の顔が真正面に見えた。
僕は顔を確認すると、すぐにタッツンの元に戻り、そして頷いた。
タッツンの顔を見た。
どことなく所在ない表情をしているような気がした。
どうすればいいのか分からないような表情だ。

それから僕らは、再び他愛もない話をはじめた。
はじめたのは僕からだったのか、それともタッツンからだったのか、
今ではよく憶えていない。
でも、それもほんの2~3分のことだったと思う。
その後、どちらともなく、ジェミニが座っていた方に目をやった。
しかしそこには、もうジェミニの姿は、なかった。

約30分後。

僕はタッツンと別れて、再び一人でブラブラと散策した。
そして気がつくと、またフリーマーケットの前にたどり着いていた。
その時だった。
前から、懐かしい顔が僕の横を通り過ぎた。
通り過ぎた瞬間、僕は振り返り、何の躊躇もなく、
思わずその女性の旧姓を口にした。
女性は僕の声に歩みを止めて、振り返り、僕を見た。

数秒、時間が止まった。

「あぁ!久しぶり!!」
女性の歓声に近い声で、時間が再び動き始めた。
女性・・・ジェミニは、僕の事を覚えていた。
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