りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

60匹のウミガメの子ども。

2010-04-01 | Weblog
今日は4月1日ですね。

子どもの頃は、春休みド真ん中で、
あんまり月が変わった実感はなかったけど、
やっぱり、社会人になってからは違いますね。

僕が社会に出たのは18年前(もうそんなに前なんだ)。
1992年でした。

もう、見事に何も知らないヒヨッ子でした(爆)

就職したのは、広島に本社のある、社員120人前後の広告制作会社。
東京と大阪に支店があって、新卒の採用は、全社で約60人でした。
スゴいでしょ?
全社員の半分近い人数を採用するって・・・。
当時は、その意味なんてまったく理解できなかったけど、
半年が過ぎたら、否応に痛感することになった (^_^;)

その会社って、正式な入社式は3月21日だった(ような気がする)。
普通は、今日、4月1日が多いけどね。
だから、大学の卒業式より早かった(笑)
早めに入社式をして、3月中に研修を済ませ、そして4月になると
同時に配属先が決定した・・・ような記憶がある。

僕は制作部デザイン課に配属になった。
僕が入社前から望んでいた部署だ。
幸か不幸か(笑)、ここから僕の広告デザイナー、
グラフィックデザイナーの人生がはじまったのだ。

もしもあの時、営業部や総務部、もしくは同じ制作部でも
製版関係とかの部署に配属になっていたら・・・たぶん、
僕は、とっくに広告業界から足を洗っていたと思う。
“やっぱり、夢は夢で終わるんだよなぁ~”とかボヤキながら(笑)
だから、そういう意味ではこの会社には感謝している。
だって、文系の4流大学の何の取り柄もない学生を、
デザイナーに育てようとしてくれたんだから。
これはある意味、大バクチだ(爆)

同期の連中とは、仲がよかった。
みんな若かった。
威勢がよかった。
何の根拠もないのに、自信だけはあった。
まるで海をめざしてひたすらに砂浜を進む、
生まれたての60匹のウミガメの子どものようだった。
研修の最終日。
広島市内のとある居酒屋の座敷を貸し切りにして、その同期60人たちと
大打ち上げ呑み会を開いたことは、今でも楽しい思い出。
その時撮った写真は、今も何枚かアルバムに残っている。

それから1年後。

同期の連中は、約半分くらいまでに減っていた。
深夜残業、連続徹夜、理不尽な仕事・・・広告制作業の真の実態に
直面したウミガメの子どもたちは、次々と辞めていったのだ。

そして僕も、入社2年目の晩秋に、上司に退職届を提出した。

今思い返せば、最後の学校だったのだと思う。
気持ち的にも、まだ学生気分が抜けきってなかったし。
そんな時に、あの60人の連中と出逢ったのも、何かの縁だったのだろう。

あれから18年が過ぎて、さすがに60人全ての連中の消息は
知らないが、それでも何人かの連中とは、今でも交流は続いている。
思い返したら、そもそもこのmixiに入会したのも、
その連中絡みだった(笑)

“社会に出たら、もう友達は作れないぞ”

学生時代、社会人になった先輩がそう言っていた。
先輩の言葉は、正しかった。
でも、ある意味、間違っていた。
僕は、そう思っている。

数年前、今でもつきあいがある同期の一人が、
呑みの席でこんなことを言っていた。

「私たちって、戦友だよね」
コメント (2)
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