りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

魂は、死なない。

2010-04-05 | Weblog
一昨日、昨日の日記にも書いた通り、
この週末は、地区の行事で大忙しで、
地元密着主義のりきるに徹してました(笑)

今、僕が暮らすこの町は、僕が生まれ育った町、すなわち故郷では
あるんだけど、その中に数多の“地区”があり、今、僕が暮らすこの
地区に関しては、僕は昔から縁もゆかりもありませんでした。
親戚もいなかったし、親友もいなかった。
だから5年前に今の家を購入して、約10年ぶりに故郷に戻って来たと
言っても、どこかしら新鮮な気持ちがあったもんでした。

しかし。
この数週間、地区の行事に参加して色んな人と話す中で、そうではないことに気づかされて・・・。

僕の名字は、比較的珍しい名字なんですよ。
だからか、名前を言うと、“ん?りきるさんは◯◯地区(僕の実家がある地区)の人か?”と
よく尋ねられました。
僕がうなずくと、“じゃあ、Kさんは知ってるんか?”と立て続け質問されまして。
すると、“あ、それ、僕の祖父です”と僕が即答。
そうすると、“そうかぁ、あんたぁ、Kさんの孫かぁ。”と妙に納得したように感嘆されます。
そういう方は、だいたい60歳から80歳くらいのおじいちゃん。
そして、その後言われることもだいたい同じ。

「あんたのおじいさんには、若い頃、世話になってのう。同じ職場じゃったんじゃ」
「ワシが新入りの頃、あんたのおじいちゃんは造船の設計部におってのう。よう働いておられたんでぇ」

祖父は、ちょうど今から25年前に他界しました。
それ以来、親戚の間以外で祖父の話が出ることはまずなかった。
僕の知っている祖父は、盆栽とゲートボールが趣味の寡黙な人だった。
言葉が悪いかも知れないが、逝去して25年も経てば、身内の間でも
もう完全に“過去の人”になってしまっている。

でも、生きてたんだね。
色んな人の心の中で。
色んな人の想い出の中で。

素直に嬉しかった。
盆栽とゲートボールだけの人生だと思っていたけど、
おじいちゃんも色んな人と交わりながら一所懸命生きてきた後ろ姿を
遅ばせながら垣間見たような気がした。

そんな話をした後、ある人が、僕にこう言った。
「Kさんの孫なら、何かあったら手を貸してやるけぇ、いつでも相談に来んさい」

祖父が亡くなったのは、僕が15歳の時だった。
生前、僕が幼い頃、いつも一緒に遊んでくれた祖父。
まさか40歳になった今になって、再びその祖父に助けてもらうなんて・・・。
おじいちゃん、あなたは、まだ、死んでいなかったんだね。

ありがとう。
コメント
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