りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

もう一度。

2010-04-20 | Weblog
最近、ブログに書いてなかったな・・・祖母のこと。

別に避けていたわけではない。
まして、もうこの世にいないわけでもない。

祖母は、生きている。
安定している、という言葉を使えばいいのだろうが、
安易にそんな言葉を使うのもどうなのか・・・。
しかし、祖母は生きている。
辛うじて、生きている。

あれから・・・つまり、2ヶ月前、担当医師から祖母は“遺体が呼吸を
している状態”と宣告されてから、一度は覚悟を決めた僕ら家族であったが、
そんな家族を尻目に(というと不謹慎かもしれない)、祖母は驚くほど
までに快復した。
集中治療室で数週間過ごした後、一般病棟の個室に移り、その後、なんと
4人部屋に移されるまでに快復したのだ。
・・・いや、本当は“快復”という言葉は、この場合不適切なのかも知れない。
だって、祖母は元気になったわけでも快方に向かっているわけでもないのだから。

その間、祖母は人工呼吸器を常時付けていた。
最初は鼻から。
それが難しくなったら、次は口から。
それも難しくなったら、ついに喉の気道を切開して、そこから直接人工呼吸器
を突っ込まれた。
ここまで来たら、もう人工呼吸器を抜くことは出来ないだろう。
つまり、祖母は完全に自力で呼吸が出来なくなってしまった。
だから今の祖母は、やはり病状が“快復”しているのではなく“安定”しているだけで、
決して元気になったわけではないのである。

祖母の闘病生活を考える時、僕は必ずある風景を思い出す。

それは、鳥人間コンテストだ。
毎年、琵琶湖で開催されるこのコンテストには、多数の手作りの人力飛行機が
参加する。
スタート同時に真っ逆さまに湖上に落ちる人力飛行機もあれば、どこまでも
どこまでも滑空する人力飛行機もある。
子どもの頃、僕はこのイベントが大好きだった。
僕はテレビの前で、離陸と同時に墜落する飛行機に笑い転げ、その一方で
何百メートルも、時には何千メートルも湖上を滑空する飛行機をまるで自分が
操縦しているように錯覚しながら、ドキドキとワクワクを繰り返しながら応援
した。
しかし、どの人力飛行機も、すべて共通していることがひとつ、ある。

それは、いつかは湖面に着水する、ということだ。

どんなに長距離を滑空した人力飛行機も、いつかは湖面に着水し、その使命を
終える。静かに、まるで滑走路に着陸するように着水する飛行機もあれば、
最後の最後まで粘って湖に潜り込むように着水する飛行機もある。
どちらにしても、最後は深緑の湖面に落ち、もう二度と空を飛ぶことはない。

祖母は、今、どの辺りを飛んでいるのだろう。

医師の“遺体が呼吸をしている状態”という言葉は、衝撃的だった。
その言葉を耳にした瞬間、まるで飛び立った人力飛行機が、瞬時に真下の湖面に
落下するような感覚に陥った。
でも、祖母は落ちなかった。
飛び続けた。
全ての人々の予想を裏切って、2ヶ月以上も湖面の上を滑空し続けている。
でも、少しずつ少しずつ低空飛行になりつつあるのは、誰の目にも明らかだった。

先週、祖母は再び個室に移った。
喉に人工呼吸器を取り付けたため、声が出せなくなった。
起きている時間よりも、眠っている(昏睡している)時間の方が長くなりはじめた。
見舞いに訪れた人間の顔を見て、瞬時に誰なのか識別するのも難しくなりはじめたようだ。

少しずつ少しずつ、湖面が近づいていることは、否定できない。

先日、見舞いに行った時、母があるものを僕に見せてくれた。
それは母のメモ帳だった。
母は言葉を喋れなくなった祖母と筆談を試みたのだった。
帳面には、ミミズの這ったような記号にも絵にも見える、でも明らかに日本語らしい
祖母の“意思”が、数行にわたって祖母自身の手で書かれてあった。

“一度、一度は、もう一度、一度、一・・・(判読不能)”
“かえりた、かえ、かえ、か、かえ・・・(判読不能)”

「きっと、“一度、家に帰りたい”って思ってるんじゃろうね・・・」
母は手帳を僕に見せながら、くぐもった涙声でそう言った。
今、実家の祖母の部屋は、一年で最も過ごしやすい季節を迎えている。
庭に植えた樹齢約50年のキンモクセイの木がほどよい木陰を作り、窓を開ければ、
その木陰から心地よい風が部屋の中を通り抜ける。
「ええ季節になったもんじゃ、風が気持ちええ・・・」
昨年までの祖母なら、たおやかな微笑みを浮かべて、まるで独り言のように
おだやかな口調で僕らにそう語ったものだった。

祖母は先月の30日に89歳になった。
1年前の誕生日は、88歳、つまり、祖母は米寿だった。
両親はもちろん、孫の僕や弟夫婦、5人のひ孫に囲まれて、盛大にお祝いした。

それから1年後。
身体中に色んなコードやチューブをつながれて、おまけに人工呼吸器を喉に突っ込まれて、
89回目の誕生日をまさか病院で迎えるだなんて、誰も予想していなかった。
それを考えると、両親も僕も弟も妻たちも子どもたちも、みんな悔しく悲しかった。
でも、僕は知っている。
最も悔しく悲しく、そして虚しい思いで89回目の誕生日を迎えたのは、祖母自身なのだ。

もう一度。
もう一度、家に帰りたい。

本当に神様がいるのなら、その願いを叶えてあげたい。祖母が湖面に静かに着水する前に。
切に、そう願う。
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