りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

完読&四十路ドライブ。

2010-04-24 | Weblog
2週間前に図書館で借りた重松清氏の小説「カシオペアの丘で」。
昨日、完読しました。

感想は・・・・いい物語でした。

僕ら世代(いわゆるアラフォー世代)には、胸に迫る言葉や描写が
散りばめられていて、重松文学の真骨頂という感じでしたね。

この小説のテーマは、ひと言でいえば「ゆるす」という行為でしょう。
自分をゆるせるか?
他人をゆるせるか?
最愛の人をゆるせるか?
現状をゆるせるか?
過去をゆるせるか?・・・・・

それを、いろんな登場人物のいろんな境遇の中から炙り出すように
「ゆるす」ための物語が進んでゆきます。

そして、読み進むうちに、僕は思いました。
「ゆるす」とは、「受け入れること」なのではないかと?

自分を受け入れられるか?
他人を受け入れられるか?
最愛の人を受け入れられるか?
現状を受け入れられるか?
過去を受け入れられるか?
そして・・・未来を受け入れられるか?

個性的な登場人物たちの中で、僕が最も親近感を持ったのは、
ユウちゃんこと、雄司でした。
お調子者で、みんなのムードメーカー。
でも、ちゃんとみんなのことを少し離れた距離で優しいまなざしで
みつめている。
どことなく・・・昔の、いや、今の自分を見ているようで、まるで
他人のような気がしなかった(笑)。

終章を除いても十七章もあるこの小説は、語り手が章によって変わる。
その中でも、僕は第十五章が最も好きだ。
なぜなら、唯一、雄司が語り手の章だからだ。

雄司という絶妙な距離感の登場人物によって書かれたこの章は、
優しくも強い文章で物語が書かれている。

この章を読んで、僕は“おとなになる”ということの本当の意味を、
恥ずかしながら、40歳になった今ごろになって、やっと、おぼろげに
分かりはじめたような気がする。

雄司は、優しい。そして、強い。

もちろん、他の登場人物たちも十分に優しくて強いのだが、
その中でも、僕は雄司の強さと優しさに強烈に惹かれる。
そんな雄司は、第十五章の最後をこんな言葉で締めている。

“おとなになるのは悪いことじゃないな、シュン。”

こんな言葉で最後を締めてるから、僕は昨夜、高校時代の友人たちと
飲みに行ってしまった。
別に久しぶりというわけじゃなかったけど、僕を含めて3人だけで、
安い居酒屋で、今の話をしたから、昔話をしたから、
真面目な話をしたから、バカな話をしてたから、気がつくと、
真夜中なのに、僕らは卒業した高校に行ってしまった。

高校の校門はぶ厚い檻のような門で閉ざされていて、
僕らはあの頃と同じように校門の前の自販機でコーヒーを買って、
それを飲みながら、昔話にふけってしまった。

別にあの頃に帰りたいとは思わない。
帰ったとしても、少しだけ違う想い出が作れるだけで、
結局、今と同じような人生を選ぶんだと思う。少なからず、僕は。

でも、懐かしかった。
車だったのでアルコールを飲まなかった僕は
みんなを家まで送ることになったけど、僕がシャレのつもりで
カーコンポから思いっきりボウイの曲をメドレーで流してしまったら、
僕以外の2人が「懐かしい!」を連呼して、結局、そのまま40歳の
オッサン3人で真夜中のドライブに出る羽目になった。
「Dream'n」「ハイウェイに乗る前に」「わがままジュリエット」
「イメージダウン」「ホンキー・トンキー・クレイジー」・・・etc.
曲が進むに連れて、みんな無口になってしまった。
歌に興味がなくなったわけでもドライブに飽きたわけでもなく、
それぞれがそれぞれの歌に合わせて、それぞれの過去に、少しだけ
タイムスリップしてしまっていたのだと思う。

昔に戻りたいとは、思わない。
でも、自分の過去は受け入れたい。

きっと、小説「カシオペアの丘」での中で重松清氏が言いたかったことは、
あの時の瞬間のようなことだったのではないか?・・・と僕は思った。

・・・なぁ、雄司、そうだろ?
コメント
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