今週の月曜日。
実家の親父から電話があった。
「話があるから仕事帰りに家に寄ってくれ」
夜、実家に寄った。
話は、祖母のことだった。
この日記でも何度か書いたことがあるが、
祖母は今年の年初に入院し、春頃から容態が一気に悪化した。
一時は医師から「余命一週間」とまで宣告された。
しかし。
祖母は持ちこたえた。
余命一週間という冷酷な宣告から、すでに半年近くが過ぎようとしている。
まさに、祖母の生き様そのものだ。
大正~昭和~平成と、激動の時代を体現するように、祖母は辛酸と苦渋を
舐め尽くすような人生を送った。
しかし絶対に自暴自棄にならず、前だけを見て、自分に与えられた運命と
しっかり対峙して、祖母は生きてきた。
僕の知る限り、祖母は弱音を吐いたことがない。
いつもすべてを自分の運命として、(それが本心かどうかは別として)
肯定的に受け入れて生きてきた。
ひと言で言えば、決して“負けない”人だったのだ。
今の祖母もそうだった。
祖母は今年89歳だ。
体力的に考えても、もう助かる可能性はない。
快復したとしても、一人では生活は出来ない。
しかし、決して病気に負けようとしていない。
生きたい。
その信念が塊のように祖母の身体の真ん中で、
祖母の生命を辛うじて維持しているように思えていた。
しかしそんな祖母も、少しずつ少しずつ“その時”を
迎えつつあることは、誰が見ても明らかだった。
意識が混沌としている時が増えた。
手足のむくみが酷い。
人工呼吸器は、もう、決して外せない。
そんな状況の中、今週の月曜日、親父は病院の先生から
呼ばれたそうだ。
要件は、祖母の容態について。
かなり深刻な状況なのだという。
先生が説明するには、心肺機能が低下しているところに、
肺炎を併発しているらしい。
排泄が芳しくないので、腎不全の可能性もある。
とにかく、五臓六腑がほぼ機能不全に陥っているらしい。
そんな説明の後、親父は先生からこう言われた。
「今週がヤマだと思います。“覚悟”もしておいてください」
月曜の夜、仕事帰りに実家に寄って親父から聞いた話は、
そういう話だった。
一週間が過ぎた。
祖母は、健在だ。
いや、“健在”という言い方は、さすがに不適切かもしれない。
いろんな機械に囲まれて、祖母はとりあえず生きている。
でも生きているだけだ。
もう意識もほとんどないし、手足を動かすこともほとんどない。
たまに、思う。
人は、ここまでして生きなければいけないのか?
何のために?
誰のために?
できることならば・・・と思う。
できることならば、少しでも早く祖母を楽にしてあげたい。
祖母は本当に一所懸命生きてきた。
それこそ、命を燃やすように、89年間、ひたすら向かい風に
向かって、前だけを向いて生きてきたのだ。
もう、充分だ。
もう充分だよ。
祖母に逢わせたい。
27年も前に早々に旅立ったお爺ちゃんや、52歳という若さで
母親の自分よりも早くに逝ってしまった叔父さんに、祖母を
早く逢わせてあげたい。
これが今の僕の、偽らざる心境だ。
機械頼みで、色んな管やチューブでつながれて、まるでマリオネットの
ようになって生かされるよりも、よっぽどその方が人間らしい終わり方じゃないか。
神様。
僕も家族も、もう“覚悟”はできてるよ。
下世話な話だけど、“その時”を迎えた後の具体的な話も、もう進めている。
だから、お願いだ。
もうこれ以上、祖母に試練を与えないでくれ。
お願いします。
実家の親父から電話があった。
「話があるから仕事帰りに家に寄ってくれ」
夜、実家に寄った。
話は、祖母のことだった。
この日記でも何度か書いたことがあるが、
祖母は今年の年初に入院し、春頃から容態が一気に悪化した。
一時は医師から「余命一週間」とまで宣告された。
しかし。
祖母は持ちこたえた。
余命一週間という冷酷な宣告から、すでに半年近くが過ぎようとしている。
まさに、祖母の生き様そのものだ。
大正~昭和~平成と、激動の時代を体現するように、祖母は辛酸と苦渋を
舐め尽くすような人生を送った。
しかし絶対に自暴自棄にならず、前だけを見て、自分に与えられた運命と
しっかり対峙して、祖母は生きてきた。
僕の知る限り、祖母は弱音を吐いたことがない。
いつもすべてを自分の運命として、(それが本心かどうかは別として)
肯定的に受け入れて生きてきた。
ひと言で言えば、決して“負けない”人だったのだ。
今の祖母もそうだった。
祖母は今年89歳だ。
体力的に考えても、もう助かる可能性はない。
快復したとしても、一人では生活は出来ない。
しかし、決して病気に負けようとしていない。
生きたい。
その信念が塊のように祖母の身体の真ん中で、
祖母の生命を辛うじて維持しているように思えていた。
しかしそんな祖母も、少しずつ少しずつ“その時”を
迎えつつあることは、誰が見ても明らかだった。
意識が混沌としている時が増えた。
手足のむくみが酷い。
人工呼吸器は、もう、決して外せない。
そんな状況の中、今週の月曜日、親父は病院の先生から
呼ばれたそうだ。
要件は、祖母の容態について。
かなり深刻な状況なのだという。
先生が説明するには、心肺機能が低下しているところに、
肺炎を併発しているらしい。
排泄が芳しくないので、腎不全の可能性もある。
とにかく、五臓六腑がほぼ機能不全に陥っているらしい。
そんな説明の後、親父は先生からこう言われた。
「今週がヤマだと思います。“覚悟”もしておいてください」
月曜の夜、仕事帰りに実家に寄って親父から聞いた話は、
そういう話だった。
一週間が過ぎた。
祖母は、健在だ。
いや、“健在”という言い方は、さすがに不適切かもしれない。
いろんな機械に囲まれて、祖母はとりあえず生きている。
でも生きているだけだ。
もう意識もほとんどないし、手足を動かすこともほとんどない。
たまに、思う。
人は、ここまでして生きなければいけないのか?
何のために?
誰のために?
できることならば・・・と思う。
できることならば、少しでも早く祖母を楽にしてあげたい。
祖母は本当に一所懸命生きてきた。
それこそ、命を燃やすように、89年間、ひたすら向かい風に
向かって、前だけを向いて生きてきたのだ。
もう、充分だ。
もう充分だよ。
祖母に逢わせたい。
27年も前に早々に旅立ったお爺ちゃんや、52歳という若さで
母親の自分よりも早くに逝ってしまった叔父さんに、祖母を
早く逢わせてあげたい。
これが今の僕の、偽らざる心境だ。
機械頼みで、色んな管やチューブでつながれて、まるでマリオネットの
ようになって生かされるよりも、よっぽどその方が人間らしい終わり方じゃないか。
神様。
僕も家族も、もう“覚悟”はできてるよ。
下世話な話だけど、“その時”を迎えた後の具体的な話も、もう進めている。
だから、お願いだ。
もうこれ以上、祖母に試練を与えないでくれ。
お願いします。