りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

大八車。

2010-09-23 | Weblog
終戦直後の話である。

祖母は瀬戸内の親戚の家に間借りしていたそうだ。
傍らには前年に産まれた乳飲み子。
後の私の母である。

祖父は、いなかった。
突然届いた赤い紙一枚で出征したまま、消息を絶っていた。

親戚といえども、間借り生活は肉体的にも精神的にも
しんどかったことだろう。

何もない時代だ。
祖母はせめて食べ物だけでも自給自足した。
海辺から山の向こうの知り合いの農家に食べ物を
貰いに向かったそうだ。

祖母は親戚に大八車を借り、乳飲み子の母を荷台に乗せ、
浜辺の家から山の向こうの農家に向けて、自ら大八車を
引っ張った。

山を越えるためには険しい峠を越えなければいけなかった。
その峠を祖母は自分の力だけで登った。大八車を引っ張って。
乳飲み子の母を乗せて。何度も何度も・・・。

時々、思う。
峠の頂上にたどり着いた時、祖母は自分が登ってきた
道程を振り返ることはあったのだろうか。
もしそうならば、その風景を眺めながら、
祖母は何を思ったのだろう。
遠くキラキラと光る瀬戸の海を眺めながら、
何を思ったのだろう。
消息の分からない祖父のことだったのだろうか。
それとも自身が置かれた境遇のことだったのだろうか・・・。

思えば、祖母の人生はずっと大八車を引っ張り続けた
一生だった。
苦しく険しい坂道をひと言も弱音を吐かず、黙々と
登り続けた一生だった。
路傍の野菊や漂う柔らかい風に癒される時もあっただろうが、
坂道を登り続けたことに変わりはない。

祖母がやっと下り坂を緩やかに歩きはじめたのは、
最晩年の数年だけだったと思う。
だが、最後まで大八車を手放すことはなかった。

だけど、それも今日までだ。

おばあちゃん、もう大八車から手を放してもいいよ。
お疲れ様。本当にお疲れ様。
コメント
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