ここ1ヶ月ほど、また我が国と彼の国との間で、ギクシャクしている。
その度に、マスメディアを中心に声高に叫ばれる言葉がある。
“日中友好“、である。
よく考えると、この言葉って、語弊があるかも知れないが、奇妙な言葉だ。
例えば、日本と最も友好な国としてすぐに思い浮かべるのは、アメリカだろう。
では、アメリカを指して“日米友好”という言葉を頻繁に使うだろうか?
使ったとしても、もちろん意味は分かるが、どこかしら違和感を感じることを
否めないのは僕だけだろうか?
ではお隣の韓国。
“日韓友好”。
この言葉も、以前は頻繁に耳にした。
今、耳にしても口にしても、さほど違和感がない。
しかもここ数年、あまり聞くことがなくなった気がする。
では、遠い国ではどうだろう?
例えば、スペイン。
“日西友好”。
初めて聞く言葉だ(笑)
ポンと、この4文字を目の前に出されても、すぐに意味を解せる人は、逆に少ない
のではないか?
話を元に戻す。
日中友好。
断言できる。
世界中の国々で、対日本との間で“友好”という言葉が最もしっくりくるのは中国なのだ。
ではなぜ?
最近、危うくなりはじめたといえども、アメリカとの関係は日本にとって最大最強の関係だ。
終戦直後から現在まで、政治、経済、文化・・・すべてにおいて我が国はアメリカに追随してきた。
お互い、アメリカの数多い“相方”の一人として、当たり前の存在だったのである。
だから“日米友好”と口に出す必要はなかったのだ。
韓国は、いまだにアメリカに比べれば、まだまだ危うい関係であるが、8年前のWカップ共催や
昨今の韓流ブームで、一気に親しい関係に進展した。
少なからず、両国は、“文化”に関しては共有をはじめている。
本当の友好関係が生まれはじめている。
だからこそ、“日韓友好”という言葉に違和感を感じはじめているのかもしれない。
では、スペイン。
極論をいえば、これは、どうでもいいのだろう(笑)
スペインにしろ、ベルギーにしろ、アフリカの最奥地のナンチャラカンチャラ共和国など、
適当に仲良くしておけば、何も問題はない。
だから、友好もへったくれもない。
そこでもう一度。
日中友好。
やっぱり、しっくりくる。
まるで最初から成立している四文字熟語のようだ。
では、なぜここまで日中の間で“友好”の文字がしっくりくるのか?
それは、両国の間に友好が、まったく存在しないからである。
日本は言霊の国だ。
古来、日本人は、言葉には魂が宿っていると信じて来た。
そこに無いもので存在して欲しいもの、もしくは現在は不本意な状態だが、本来希望する状態になって
欲しい事柄があれば、それを口にすることでそれは必ず実現すると信じて来たのである。
初詣なんて、格好のいい例だ。
これに照らし合わせれば、現在(いや過去から)、日中友好が存在しないから、私たちは長年
“日中友好、日中友好”と、ことあるごとに口にして来たのである。それこそ念仏を唱えるように。
いつか。
いつか、“日中友好”という言葉に違和感を覚える日が訪れるのだろうか?