りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

古いモノ。

2011-08-08 | Weblog
昨日、親戚の叔母家族がちょっと早い墓参りがてら、
僕の実家へ寄った。

実家の近く暮らす僕も、顔を出した。

叔母家族とは、本当に久々・・・というわけではないが、
それでも疎遠になった親戚の話から最近の世相の話まで、
話が尽きることがなかった。

その中で叔母曰く、“この辺りも変わった”と。
この辺りとは、実家の辺りのことらしい。
昔、この実家を今は亡き祖父が建てた頃は、この辺りは
一面原っぱというか荒れ地というか、とにかく家は数え
られるほどしか無く、平地はそんな様相でも、小高い丘
にはミカン畑が広がっており、そんな風景の中に、明治
末期に建てられた小さな洋風の小学校がポツンと建って
いたという。
ちなみに、僕の実家はその小学校のすぐ斜め前にある。
もっとも、その小学校は今から35年前に廃校になってしまい、
他校と統合され2キロほど南に新しい小学校が造られた。

ちなみに、僕はその新しい小学校の1年生第1号である。
つまり僕は目の前に小学校があったにも関わらず、廃校&統合
という大人の勝手な理由で、齢6歳の小さな体で片道2キロの
通学路を通う身になってしまったのだ。

“なぜ、あんな瀟洒な学校を残さなかったのか?”

叔母はそう言った。少し憤っていた。
あんなに可愛くて歴史を感じさせる校舎は、今の世の中どこを
探しても残っていない。もったいない、もったいない・・・。

叔母の話には一理あるような気がした。
でもその一方で、それは今だからそう思える話のような気もした。

あの頃・・・つまり実家の前の小学校が廃校した頃は、今のように
古いモノを大切に扱う気風は、今ほど世の中に無かったような気がする。
それは子どもだった僕でさえも、幼い子ども心に、無意識に感じて
いたような気がする。
それが建物であろうが小さな生活用品であろうが、常に新しいモノを
追いかけ追いかけ追いかけ追いかけ・・・そんな時代だったのでは
ないだろうか。
古いモノは悪・・・とまでは言わないが、疎まれる格好の対象だった
ような気がするのだ。

世の中が、今のように古いモノを大切にしはじめたのはいつの頃だろうか。

僕が思うに、ここ20年ほどの間ではないだろうか。
おそらくバブルがはじけたあの頃、人は温故知新よろしく、古いモノに
一斉に優しい目を向けはじめたような気がする。
そういえば、日本がユネスコの世界遺産条約に加盟して、国内に世界遺産が
続々と生まれた出したのもこの頃だ。

叔母たちは夕方帰宅した。

見送った後、実家の前の道で携帯で写真を撮った。
道の北側は、そんなに風景は変わっていないような気がする↓



しかし、道の南側は大きく変わった。
向かって左手の家がある辺りが、上述した小学校があった場所だ。
廃校した後、跡地はゲートボール場になり、その後広場になり、子どもたちの
格好の遊び場だったが、この5年くらいですべて宅地分譲されてしまった↓



遠くに見える山は、高見山という山。
僕が暮らす島の最高峰・・・と言っても標高280m弱だが(笑)
人間の目線で見る風景は変わってしまっても、山の姿カタチは、ほとんど
変わっていない。
もし高見山に“意思”というものがあるのならば、いったい高見山は、
どんな風に、この島の変遷をみつめているのだろう。
コメント
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