りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

キャンパス。

2011-08-07 | Weblog
昨日、広島へ行った帰りに、母校の大学へ寄ってみた。



訪れたのは卒業以来。
つまり、20年ぶり、ということになる。

大学は、山の斜面を強引に切り崩したような場所に
建てられてる。
だから、キャンパス自体も斜面に沿って広がっている。
大学時代は、この坂道を登ったり降りたりを繰り返した↓



掲示板。
当時はインターネットもメールもなかったから、
学生のための「情報」は、ここにすべて掲示されていた。
僕がここで一番よく探したのは、自分が受ける講義が休講に
なっていないかどうか・・・ということだった。
休講なら、その足でキャンパスを後にして、自分の家へ帰るか、
友達の家へ直行して次の講義の時間までよく時間を潰したっけ↓



大学時代、最も時間を費やした場所であろう中広場。
ここで、学生食堂で買った弁当を食べたり、友達とタバコをくゆらせながら
雑談に興じたりしていた。
昔は、アスファルト敷きの地面と芝生の花壇と数本のソテツが
植樹されていたのに、すべて一新されてどこかの病院の中庭のようになっていた↓



そんな中庭の奥に喫煙コーナーがあった。
そこで2人の学生がタバコを吸っていた。
昔はそこらじゅうでタバコは平気で吸えたけど、これも時代なのだろう。
その2人の学生と目が合った。
キャンパスを徘徊する、明らかに学生ではない中年の男を、
学生は、まるで不思議な生き物でも見るような目で見ていた。

何回生だろう?

2回生か3回生くらいだろうが、20歳前後には変わりないだろう。
・・・ということは、僕がちょうどこの大学、このキャンパスで
過ごしていた頃に生まれた子たちということになる。
そう気づいたとたん、ちょっと感慨深い思いがした。

キャンパスの中を散策したのは、
結局約20分程度の短い時間だった。

しかし、“懐かしい!”という思いはなぜか湧いてこなかった。

なぜだろう?

僕が通っていた頃に比べると、倍近く校舎が増えてしまった
からだろうか?
それとも、中学や高校とは違って、毎日毎日朝から夕方まで
通うわけではなかったからだろうか。
それとも、懐古主義に浸るには、20年という歳月では、まだ
まだ熟成期間には短すぎるのだろうか。

ひとつ、気づいた。
喫煙中の学生には遭遇したが、他にはまったく学生がいなかった。
夏休みのど真ん中だから当たり前ではあるが。
しかし、僕がキャンパスに懐かしさを感じなかった最たる理由は
それかもしれない。

ポツンと1人でたたずむキャンパスには、違和感を感じざるを得なかった。
やはり大学のキャンパスという場所は、多種多彩な学生がひしめく
ようにいて、初めて実体を感じられる場所なのかも知れない。
コメント
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