昨日の午前中、子どもにせがまれて海へ泳ぎに行った。
干汐(ひしお)海水浴場。
僕が暮らす島にある、昔ながらのひなびた小さな海水浴場だ。
遠浅の海が広がり、波も穏やかで、そのせいか訪れる海水浴客も
その大半が家族連れである。
しかし昨日は、午前中だったからか、まだ海水浴客も少なく、
浜辺はまるでプライベートビーチ状態だった。
僕らが子どもの頃も、海に泳ぎに行く、と言えば、それは
干汐のことを指していた。
友達と自転車を漕いで、汗だくになって到着して泳ぐ海ほど
気持ちがいいものはなかった。
干汐は、その頃とほとんど変わっていない。
風景も、日差しも、訪れる客層も、まるでこの浜辺だけ
時間が止まったままのようだ。
沖に浮かぶ飛び込み台へ泳いでゆく。
ほどなくたどり着くと、昔のように僕は台の上であおむけに
寝転んだ。
太陽の光が肌を焼く。
緩やかな風が体を撫でる。
浜辺の方から家族連れの声や蝉の大合唱が耳に届く。
そして、濃い潮の香りが鼻をくすぐる。
目を閉じていると、身体は40代だけど、中身は15歳、13歳、
10歳・・・と逆行してゆくような錯覚に陥った。
飛び込み台から飛び込んで、一度浜辺に戻った。
すると、入れ替わるように子どもたちが嬉々としながら
飛び込み台に向かっていった。
いつの時代も、干汐は子どもたちの海だ。
いつまでも、僕らの海だ。
干汐(ひしお)海水浴場。
僕が暮らす島にある、昔ながらのひなびた小さな海水浴場だ。
遠浅の海が広がり、波も穏やかで、そのせいか訪れる海水浴客も
その大半が家族連れである。
しかし昨日は、午前中だったからか、まだ海水浴客も少なく、
浜辺はまるでプライベートビーチ状態だった。
僕らが子どもの頃も、海に泳ぎに行く、と言えば、それは
干汐のことを指していた。
友達と自転車を漕いで、汗だくになって到着して泳ぐ海ほど
気持ちがいいものはなかった。
干汐は、その頃とほとんど変わっていない。
風景も、日差しも、訪れる客層も、まるでこの浜辺だけ
時間が止まったままのようだ。
沖に浮かぶ飛び込み台へ泳いでゆく。
ほどなくたどり着くと、昔のように僕は台の上であおむけに
寝転んだ。
太陽の光が肌を焼く。
緩やかな風が体を撫でる。
浜辺の方から家族連れの声や蝉の大合唱が耳に届く。
そして、濃い潮の香りが鼻をくすぐる。
目を閉じていると、身体は40代だけど、中身は15歳、13歳、
10歳・・・と逆行してゆくような錯覚に陥った。
飛び込み台から飛び込んで、一度浜辺に戻った。
すると、入れ替わるように子どもたちが嬉々としながら
飛び込み台に向かっていった。
いつの時代も、干汐は子どもたちの海だ。
いつまでも、僕らの海だ。