りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

閉塞の夏。

2011-08-15 | Weblog
本音を吐露すれば、今まで8月15日を特別に意識して
過ごしてこなかった。

それは僕が戦後生まれだからとか、
広島県民で親族に被爆者がいるので8月6日を意識し
すぎた反動だからとか、
お盆の真っただ中で従兄弟や友達と遊ぶことを優先
させてきたからとか、今になれば色々と
言い訳もできるのだが、全部本当のことでもある。

しかし、今年は違う。

いつもの年よりも少なからず8月15日を意識している
自分がいる。
このブログをお読みの方で、僕と同じような方も
少なからずいらっしゃるのではないだろうか。

その理由はおぼろげに・・・いや、よく分かっている。

しかし、あれから66年が過ぎたが、これほどまでに
閉塞感に覆われた8月15日を、この国は今まで迎えた
ことがなかったのではないだろうか。

5月の日記にも書いたが、今、この歌がずっと響いている。
1986年の発表から25年間、この歌はどこにでもいるような
働く男の1人称の歌だった。
そう思い込み、気持ちが落ち込んだ時にこの歌を聴いて
鼓舞されてきた人も多かったことだろう。僕もそうだった。

しかし、今年。

3月11日を境に、この歌は変わってしまった。
アレンジはもちろん、歌詞も一言一句そのままなのに、
まったく違う意味を内包した歌に一変してしまった。
5月の広島でのライブで直接この歌を耳にした時、僕はそう
直感したのだ。
その時、僕は生まれて初めて、「歌」という表現が「時代」と
呼応した瞬間に立ち会ったのかもしれない。

いつかまた、この歌の意味が“1人の働く男の歌”に戻る時が
やってくるのだろうか。

それは、分からない。
今は、分からない。

ライブの会場で、僕の斜め前の席に同世代の女性がいた。
この歌が演奏されている間、彼女は号泣しながら一緒に歌っていた。
その姿が、今も僕の両目に焼きついている。

浜田省吾「J.BOY ( from " THE LAST WEEKEND " )」
コメント
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