りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

ハガキ。

2011-09-05 | Weblog
パソコンのデータを整理してたら、我が家の過去の年賀状の
デザインがまとめて出てきた。

まるで、押し入れから古いアルバムを見つけたみたいに思わず
しばらくの間、見入ってしまった。

僕は仕事柄、年賀状をはじめとした季節のハガキは、自分で
デザインするようにしている。
それは、誰かに命令されているわけではないし、まして家族に
強要されているわけでもない。

単に、自分がやりたいからだ。

時間をさかのぼって見てゆくと、プライベートのハガキながら、
自分のデザインのセンスやスキルの変遷が手に取るように分かる。
あらためて思う。
昔は・・・ヘタクソだったんだなぁ(笑)

それからもうひとつ。
その時、その時の自分の気持ちの在り様も透けて見えてくる
ような気がする。
アッチへ行ったりコッチヘ行ったり・・・と、その時に興味を
持っているモノやデザインの嗜好も垣間見える。

すべてのハガキをお見せすることは出来ないけど、
せっかくなので、この14年余りの間に創ったハガキの何枚かを
アップロードしてみます。

(1)暑中見舞い(1999年)


(2)年賀状(2001年)


(3)年賀状(2002年)


(4)年賀状(2006年)


(5)年賀状(2008年)


(6)年賀状(2009年)


(7)引っ越し報告(2005年)


(1)の暑中見舞いは、結婚してたけど、まだ子どもがいなかった頃。
だから“アットホーム”なデザインなんて、まだ自分の中になかった。
だから妙にカッコつけてます(笑)
今なら、もっと優しいデザインで創れるような気がする。
もっとも、今では暑中見舞い自体、出さなくなったけど(^_^;)

年賀状では、出色はやっぱり(2)の年賀状だと思う。
これは昔の映画のポスターをイメージして創ったんだけど、
手前みそながら、親類他人を問わず、送ったみなさんから、
かなりの反響がありました(笑)
やっぱり人間って、褒められたら嬉しいものだからね。
特に僕は「ブタもおだてりゃ・・・」の人間なので、神輿のように
担がれたら、それだけでスイッチが入ってしまう。

でも、それ以降の年賀状は、おとなしいデザインだと自分でも思う。

真面目なことを言えば、おそらくこのあたりから、“家族を持った自分”
とか“親になった自分”というモノを受け入れたんじゃないか、と思う。
見方を変えれば、家族とか、親というモノに、自分がまだ慣れてなかった
からこそ、(2)のようなデザインにすることで、まだ自分自身の
立位置に戸惑っていた当時の状況をごまかしていたのかもしれない。

だからここ数年の年賀状である(4)、(5)、(6)あたりは、今の自分の
心境や環境を素直に描いているようで、今見ても、自分でも好きだ。

ここ2年間は身内に不幸があったので、年賀状は出せなかったが、幸い、
今年はそのようなこともなさそうなので、来年の年賀状は出せそうだ。

さて、どんな年賀状にしようか。

いっそのこと、僕がデザインするのをやめて、漫画家志望の娘に描かせるのも
いいかもしれない(笑)
コメント
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