りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

リコール。

2010-03-19 | Weblog
晴天の霹靂・・・と言うとちょっと大げさだけど、
でも、びっくりしたなぁ~もう

SUZUKI Twinリコール↓
http://www.suzuki.co.jp/about/recall/2010/0317/

先日のTOYOTAプリウスのリコール騒動なんて、完全に対岸の火事だと思ってたもん。
そんな中、まさか、自分の愛車がリコールだなんて(-_-;)
しかも、生産中止からもう5年以上過ぎた絶版車なのに(爆)

不具合の個所は、排気管の補強部。
構造が不適切なため、使用過程で当該部に亀裂が発生し、排気管が折損する
おそれがあります・・・とのこと。

SUZUKIのサイトを覗くと、その個所がイラストで載っているんだけど、
その部分って、純正マフラーから社外マフラーに取り換えている人も多いんだよね。
だから、その人たちはリコールの対象でも修理しなくてもいいのかな?

ちなみに僕のTwinは純正マフラーです(^_^;)
先端だけ、マフラーカッターを付けてイキがってますが(笑)
でも、“いつか砲弾型の社外マフラーに換えたいなぁ~”って
思い続けてたところに、今回のリコール

18歳で車の免許を取得して、23歳でマイカーを初めて購入して以来、
何台もクルマを乗り継いで来たけど、今回が生まれて初めてのリコール。

メーカーからハガキが届いたら、直しに行きましょうかね
・・・で修理した直後に、新しいマフラーに変えちゃったりして(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胃痛。

2010-03-18 | Weblog
昨日の日記にも少し書いたけど、今週に入ってから胃痛がヒドくて・・・。

元々、僕は胃は丈夫な方で、どんなに食べても、どんなにストレスが溜まっても、
ダメージを受ける事はそれほどなかった。
たまに食べ過ぎて膨満感を感じる事があったが、そういう時は市販の胃薬を服用すれば
すぐに治ったものだった。

でも、今回は違う。

どうも、おかしい (-_-;)
こんなに長期間、胃に変調を感じる事は生まれて一度もなかった。
特に昨日は、夕方から夜にかけて、今まで経験した事がないほどの
重みや、痛みや、張りが胃袋の辺りに広がって、帰宅して一度横になったら、
起き上がれないほどだった

でも、夕食は食べたけどね (^_^;)

空腹感はないけど、目の前に食べ物があると食べらるんだよ(笑)
それでも、胃に違和感があることに変わりはない。
食べ終わった後に、お腹を押さえてゆっくりと横になる。
そんな姿を見るに見かねた妻が、
「明日、病院へ行きなさい」と命令口調で言った

というわけで、今朝、出勤前に近所の胃腸科の医院へ行って来た。
検尿を採られ、体温を測られ、血圧を測られ、そして診察。
初老の医師に聴診器をお腹に当てられ、背中にも当てられ、
簡単な問診を受けて、終了。

そんなもんなの

・・・と、思っていたら、
「念のため、レントゲン撮ってみます?バリウム飲むけど」
と医師が言った。
胃の診察自体初めてなので、その答えの是非の基準なんてこっちにはまったくない。
「お任せします」
としか言いようがなかった。

というわけで、明後日の11時半からバリウムを飲んで胃のレントゲンを撮る事に決定。
バリウムを飲むのは、5年前に初めて人間ドックで飲んで以来、人生で二度目。
相変わらず、前日から食事制限があるようだ。

しかし、胃カメラも完備されている病院なのに、胃カメラではなくレントゲンで
済ませようとしていることや、診察の時の医師の言動からして(妙に事務的だった)、
病院側からすれば、この種の症状は、よくある症状なのかな?
ということは、治る可能性も高いのかも・・・と強引にポジティブシンキング(笑)

まぁ、それでも用心をするのに越した事はないからな。
ここ数ヶ月の間、ブログにも何度か書いたように、今年に入って公私で色々な出来事が重なって
しんどかった事は事実だから。。。。
知らない間に、胃袋にもダメージを負わせてたのかもしれないし。
ごめんな、胃袋

みなさんも、ご用心くださいませ。

※写真はイメージです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一般病室。

2010-03-17 | Weblog
昨日、親父から携帯に電話。

祖母が集中治療室から一般病室に移ったという。
一瞬、自分の耳を疑った。
しかし親父の話の内容を聞く限り、事実のようだ。

なんという生命力だろう。

まだ詳しい話を担当の医師からは聞いていないが、
約一ヶ月前の医師の話ならば、もう一週間ももたないような説明だった。

おばあちゃん・・・あなたって人は、どうしてそんなに強いんだ。
これほどまでに強い人間に、僕は出逢ったことがない。
親父の電話を耳にしながら、僕は不覚にも鼻の奥がキュンとして、
目頭が熱くなってしまった。

しかし、ここは冷静に考えなければいけない。
おそらく祖母は、快復しはじめたから一般病室に移されたわけではないのだろう。
実際、今も喉の気道を切開して、そこに人工呼吸器を直接挿入している。
それ以外に祖母が呼吸をする手段は、もう、ない。
だから、これ以上の快復は見込めないのだ。

ただ、直接喉に機械を挿入したおかげで、声は出せなくとも意識は戻った。
おぼろげながら、家族の顔は認識できるようだ。
先日の日曜日も弟家族が見舞いに行った際に、弟の子どもで、祖母が一番可愛がっている
1歳半のひ孫の写真を見せたら、おだやかに目を細めたそうだ。

今までは集中治療室だったので、子どもたち、つまり祖母のひ孫たちは入室できなかったが、
これからは一般病室なので、ひ孫たちも見舞いに行ける。
祖母が溺愛している一番末の1歳半のひ孫も会える。
本心を言えば、もうひ孫たちはたぶん、会えないだろうと思っていたので、素直に嬉しい。

しかし、今の祖母の姿は、子どもたちが知っている祖母の姿ではない。
特に喉元に突き刺さっている人工呼吸器は、大人の僕らが見ても痛々しく見えるのだから、
子どもたちが目にすれば、もっと強い衝撃を受けるに違いない。
だけど、うちの子どもたちも、近いうちに祖母に会わせたい。
でもその前に、今のおばあちゃんの状態を、10歳や6歳の子どもにも理解できるように
説明しておかないと・・・。

ここ数日、胃が痛い。
春は、もう、すぐそこまで来ているのに。。。。

がんばれ!りきる!!
がんばれ!おばあちゃん!!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おぼっちゃまには、わかるまい。

2010-03-16 | Weblog
「鳩山邦夫元総務相、自民党を離党」

昨日、一番笑った出来事がこのニュースだった。
いや、正確に書けばニュースの内容自体ではなく、その放送の仕方に。

昨夜、帰宅してTVでニュースを見ていると、トップニュースは
この出来事だった。
「ほぉ、離党かぁ・・・まぁ、“友達の友達がアルカイダ”だからなぁ・・・」と
誰にともなくニュースを見ながら独り言を呟いていたら、TVの中から
その友達の友達はアルカイダの本人が、またまたぶちまけた。

「私のいとこのいとこのひいおばあちゃんの弟が、坂本龍馬」

すっげーーーーーーーーーーーっ
別にその血筋に驚嘆したわけではない。
何がスゴいって、そういう事を平然と言えるその神経
邦夫さん、それって・・・もうほとんど他人なんじゃないの(笑)?
それ以前に、“いとこのいとこ”って誰だよ?
普通に考えたら、自分のことになるんじゃないの(爆)?

まぁ、TVだから放送用に都合よく編集したんだろうから、一概に言えないけど、
数年前の“アルカイダ”発言にしろ、今回の“坂本龍馬”発言にしろ、こういう言い回しを
聞く度に、“あぁ、やっぱりポッポちゃん(鳩山家)は、カネモチなんだなぁ”って、
カラッポのため息を落としてしまう(-_-;)
カネモチって、あえてカタカナにしたけど、漢字よりもそっちの方が似合ってる。

すぐに人脈をひけらかす。
それって、カネモチの典型のような気がする。
もちろん人脈は大切だよ。広ければ広いほどいい。
でも邦夫氏の発言は、小学生レベルだよ
「僕の父さん、パイロット」って、教室で吹いてるおぼっちゃまと同じだよ(笑)

カネモチって、心の奥底まで探れば、きっと自分に自信がないんじゃないだろうか?
だからこんな虎の威を借りる発言を簡単にしてしまうのかもしれない。
“僕の知り合いで、◯◯◯◯・・・”と言うことで、それを自己の存在理由の根拠に
しようと思っているんだろうけど、聞かされる側からすれば、“僕の知り合いで”と
なった時点で、もう話している“僕”は切り離されて、“僕”はすでに存在理由を無く
してしまっている。
でも悲しいかな、本人は客観視できないから、一向にそれに気づかないのだ。
だから、ドラえもんに出てくるスネ夫のようなカネモチは絶滅しないのだ。

喜劇だよなぁ~。

俺?
俺はカネモチじゃないから、そんな自慢はしない。
自慢する時は、自分で何かをやり遂げた時。
そういう時は、大いに遠慮なく自慢させてもらいます。

ちなみに、僕の友達の高校時代の先輩は、若い頃に奥田民生とバンド組んでたけどね(爆)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開花宣言、まだ?

2010-03-15 | Weblog
思いっきり、ソメイヨシノ咲いてますよ

しかも、そこらへんの木のほとんどで(笑)

まだ、桜の開花宣言、出ないのかなぁ?


話は変わるけど、昨日、普通に歩いていてねん挫しました
しかも足首ではなく、足の甲・・・
だから今日は冷シップを貼ってます。
足の甲をねん挫するなんて、生まれて初めてだよ
単なる僕の気の緩みか?
それとも・・・年齢か? (-_-;)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表彰式。

2010-03-14 | Weblog
今日、「第34回ふくやま文学選奨」の表彰式が行われたので
行って来ました。



この文学賞、広島県東部を中心とした小さな文学賞ですが、
短編小説、随筆、川柳、短歌、俳句・・・とあらゆる言葉による
表現のコンクールで、いわば“日本語の作品コンクール”の
ような趣きの文学賞。

そんな文学賞において、僕は、幸運にも昨年に続き、
2年連続で短編小説部門で入賞させていただきました。
もっとも、最優秀賞ではなく、今年も佳作でしたが・・・(^_^;)

作品名は、「エミリー」。
ご存知の方もいるかもしれません。
以前、このブログにUPしたことがあったので。
今回、再度改稿して、もう一度登場人物のディティールやあらすじを
修正して応募した次第です。

・・・で、受賞者名簿を見てビックリ
短編小説部門で最優秀賞を獲得された方は、木下訓成さんと
いう方で、全国のアマチュア作家対象の文学賞で、のきなみ
受賞している常連の方で、僕が今まで応募した文学賞でも、
ことごとく大賞や最優秀賞をかっさらっていかれている方なのだ。



ちなみに、3年前の「中国短編文学賞」で、僕の作品が最終候補まで
残った時も、大賞は木下さんの作品だった↓

http://www.chugoku-np.co.jp/prf/tanpen/40/4001.html

“この人が応募しなかったら、受賞してたんだよ”って
なんど冗談半分、本気半分で愚痴ったことか(笑)
この時も心底悔しかったけど、木下さんの作品を拝読して納得した。
それはもうメチャクチャ巧くて巧くて・・・。
夕陽の沈む風景の描写なんて、到底僕には書けません

そんな木下さんと今日、はじめてお会いした。
とても穏やかな紳士な方で、上記の旨を僕が笑いながらお話したら、
“それはそれは、すみませんでした。でも、もう寿命ですから
来年にはいないかもしれませんので、許してやってください”と
笑いながら、お答えになった。
やっぱり、巧い文章を書かれる方は受け答えも洒落ている

今年は、最優秀賞の方のみ賞状と副賞の授与で、優秀賞と佳作の
人は、なんと賞状がなし
その代わりに、副賞のデパートの商品券のみ・・・



事情は詳しく説明してくれなかったが、どうもすべての人に
賞状を渡せるだけの予算がなかったようだ。
主催は福山市の外郭団体、共催は教育委員会だからなぁ。
もしかしたら、こういう所にも仕分けの影響が響いてるのかな?

副賞は、上述したとおり、至近のデパートの商品券だったので、
帰りに寄り道がてら、さっそく使わせていただきました(笑)
よく考えたら、奇しくも今日はホワイトデー。
家族で食べられる、それなりのスイーツを購入。
こういうものは、即行で使わなきゃ

・・・で、昨年の表彰式の日記の締めに“今年のりきるさんは、
こんなもんじゃ終わらないよ”という威勢のいいセリフで
終わらせたら、結局“こんなもん”で終わったので(爆)、
今年は謙虚に締めたいと思います・・・・

今年のりきるさんは、まだ何かありそうな気がしますよ(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

届きました。

2010-03-13 | Weblog
息子の学習デスクが届きました。

家の2階の一番西の部屋なので、できるだけ採光が良いレイアウトにデスクを設置。

デスクが届いたとたん、息子も自分が小学生になることをやっと実感した様子(^-^;
自分なりに本棚を片付けはじめました(笑)
もっとも、“本”といっても、ほとんど恐竜図鑑やポケモンがらみの本ですが
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛抱の3月。

2010-03-12 | Weblog
今週も、もうすぐ終わります。

今週で、3月も半分が終わり。
ハァ~~~~~~~~~~~。
肺の奥の奥の奥底から吐き出す、深いため息(爆)
早いなぁ。
・・・いや、今年はゆっくりなのかな?
今、抱えている物事によってどっちにでもとれるような感覚です。
いずれにしても、踏ん張って這いつくばってすごしているような
毎日には変わりないわけで

最近、思います。
3月といえば、学生時代は“別れの季節”とか“新しい旅立ちへの季節”とか、
希望の光が全面に満ちあふれていた感じだったけど、
大人にとっての3月は、“辛抱の季節”だなぁって。
“我慢”じゃない。
“忍耐”でもない。
“辛抱”なんだな。
理由は上手く説明できないけど(笑)
色々と公私でバタバタしているけど、出来ないことで押しつぶされそうな
わけではない。
ただ今は、じっと“辛抱”の時だと・・・。
間違っても、学生時代よりもネガティブなわけじゃない。
裏を返せば、その先に“光”があると信じているからこそ、“辛抱”しているわけだし。
まぁ、良い事と悪い事のバイオリズムが最も顕著に現れる時期なのかもしれません。

そういえば、高知県で桜の開花宣言がされたそうですね
少しずつ、春は近づいてるんだな

村上龍の小説「69」の中の一文で、僕の好きな言葉があります。
うる覚えだけど、たしかこんな文章だった。
“幸せは、庭に蒔いた花の種だ。目の前で少しずつ少しずつ育ってゆく”
たしかに
幸せって、そこへたどり着くまでの過程が、一番幸せなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きる、ということ。

2010-03-11 | Weblog
この数週間、仕事の帰りに、祖母のお見舞いに行っている。

集中治療室に入っているので、面会時間は1日のうちで
正午~午後1時の1時間と午後6時~午後7時の1時間。
計2時間の2回だけ。
だから毎日というわけにはいかないのでが、夜の面会時間に
間に合えば顔を出すようにしている。

数週間前、担当の医師から祖母の病状の話を聞いた時は、
それこそ、もう1週間ももたないような話だった。
医師は「非常に厳しい表現ですが」と前置きして、
「人工呼吸器で亡骸に無理矢理呼吸をさせているようなもの」とまで言った。

しかし、悲しいかな、たしかにその頃の祖母は誰が見てもそういう状態だった。

それから数週間が過ぎ、今週の月曜日、祖母は鼻から挿入していた人工呼吸器を外し、
その代わりに、喉の気道を切開して、そこへ直接人工呼吸器を挿入する手術を受けた。

そのおかげで、祖母は人工呼吸器の痛みを和らげるために、数週間投薬し続けた
“眠り薬”(看護師さんからそういう説明を受けた)をやめ、多少意識が混濁気味ではあるが、
完全に目を覚ました。
しかし、その一方で、気道へ直接人工呼吸器を挿入した姿は、あまりにも痛々しく、
大人である僕らでさえも正視するのをためらってしまう。
そして何よりも、ここまできたら、祖母はもう自発的な呼吸は無理だということになり、
人工呼吸器なしで生命を維持することはできない・・・ということになる。
だから今回の措置によって、決して祖母は快復傾向になったわけではなく、
あくまでも、生命の維持の仕方を変えただけなのだ。

仮に。

仮に、祖母がこれから奇跡的に快復傾向に向かったとしても、自分の足で歩いたり、食事をしたり、
用を足したり・・・という日常生活を過ごすことは、もう不可能だろう。
寝たきりで、自分ひとりでは何も出来ない身体になってしまうことは必至だ。
身体だけではない。
医師の説明では、初期の認知症の症状も認められるという。

この数週間、頭の片隅で、考えている。
“生きる”ということは、どういうことなのだろう。
この当たり前すぎて、どうしようもない難題に、僕が考えあぐねいている。

特に、鼻から人工呼吸器を挿入し、様々な機械に囲まれ、マリオネットの
ように身体から数本のコードが伸ばされ、昏睡状態だった祖母を目にしていた頃、
僕は、祖母の快復を願いながらも、“もう楽にしてあげたい”という気持ちで
心が支配されていた。

祖母は89年間、一所懸命生きて来た。
数え切れない苦労も苦難も乗り越え、どんなに辛い状況でも、いつも前向きに生きてきた。
自分の人生を“生き抜いた”のだ。
だから、もう十分だ。早く楽にしてあげたい。
27年も前に60歳あまりで先立った祖父や、7年前に53歳という若さで逝ってしまった叔父
(祖母の息子)の元へ早く行かせてあげたい。
正直にいえば、今もその気持ちの方が強い。

でも、現在のこの国の医療は、それを許してはくれない。
わずかであっても、“生命”として存在しているものは、生かさねばいけないのだ。
そこに理由など、ない。
生かす。
あえていうなら、それだけが理由だろう。

昨日見舞った祖母は、耳元で話しかけるとすぐに反応して、僕をみつめた。
そして僕を見て、少しだけ顔を緩ませた。
気道に人工呼吸器を挿入しているので声は出ないが、頻繁に口を動かして、
何かを必死に訴えかけてきた。
言葉(口)での伝達が難しいと分かったら、今度は点滴やコードが何本も
付いている両腕を動かしはじめた。
その間、祖母の目は僕を見ていた。明確に感情や意志のある目で僕を見ていた。

祖母は、生きているのだ。

しかし・・・これ以上の快復は、今のところ見込めそうにない。
意識が明確になったのと反比例するように、体力は少しずつ落ちていっている。
だけど、祖母は、生きている。
何か、新たにやりたい事があるわけでもないだろう。
何か、やり残したことがあるわけでもないだろう。
もしかしたら、自分の死期が迫っていることも自覚しているのかも知れない。
なのに、生きようとしている。
最期まで、生きようとしている。

いったい、“生きる”とは、どういうことなんだろう。

僕は、その答えのカケラを見つけるために、今日も仕事帰りに、祖母の見舞いに行く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Rock'n Rouge

2010-03-10 | Weblog
寒いですね

もう要なしかと思って、先週クローゼットの奥に仕舞い込んだツィードのジャケットを
引っ張り出して、この2日間は着込んでいます(^_^;)

ホントに、春が待ち遠しい・・・。

もうこのブログに何回このセリフを書いたことか(笑)
今年はホントに、春が来るのを待ち焦がれてます

理由は自分自身でもおぼろげに分かっているつもり。
仕事の多忙さは例年のことだけど、それに祖母の容態、地区の役員、息子の小学校入学、
その他にも友人がらみのこと・・・などなど
情けないけど、例年より、心に余裕がなくなってるんだよね

先日、仲の良い友達から日常の悩みの相談をメールで受けて、“全部を自分一人で背負い
込むなよ”って返事したんだけど・・・何、言ってんだよ。一人で背負い込んでるのは、
てめぇの方じゃねぇか(笑)

別に春が来たからといって、何かが大きく変わるわけじゃないことは分かってるよ。
たぶん、何も変わらない。
自分から動いて、ひとつ、ひとつ、クリアしない限り。
でもね・・・・・寒いよりは暖かい方が、いいでしょ(笑)?

さっき、会社の隅っこに置いてあるラジカセから、この歌が流れて来た。
誰かがリクエストしたのかな?
この時期になると、僕もこの歌が聞きたくなる。
春を待ち望んでいる人が、僕以外にもたくさんいるのかもしれない。
そうであって欲しい。

松田聖子 Rock'n Rouge(ロックン・ルージュ)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする