りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

親と子。

2010-06-13 | Weblog
昨日は、地元の商店街の土曜夜店に行った。



息子はなぜか行きたがらなかったので、息子と妻は留守番。
上の娘と2人で出かけた。

細長い約1.5kmの商店街に、露店や出店が立ち並ぶ。
客の大半は家族連れか中学生くらいの年齢の友達同士のグループだ。
そんな人ごみの中を、僕と娘は歩いた。

露店でからあげとたこ焼きを買って、道端の空き店舗の玄関に並んで
座って食べた。
その後、お約束のようにソフトクリーム。
となりの露店で売っていたふで箱をもの欲しそうな目で見ていたので、
買ってやった。もちろん、値札を見て(爆)
その後、“弟にお土産を・・・”と娘が言ったが、何を買ってやったら
息子が喜ぶのか、自分がサッパリ分からないことに気づいた。
そんなわけで娘を任せたら、迷うことなくピカチューのバッジを選んだ。

それから、あてもなく長い商店街を二人で散策。
ゲームをやったり、かき氷を買ったり・・・・。

歩き疲れて、海岸通りの岸壁に座って休憩した。
緩やかに頬に当たる潮風が心地よかった。

商店街を歩いている間、娘はずっと僕の手を握っていた。
人が多くて離れ離れになりそうだったのだ。
僕が“気をつけろよ”と娘に言ったら、自分から僕の手を握ってきた。

娘は今年の夏で11歳だ。

もう一緒に風呂には入らない。
自分の部屋のベッドで寝るようになって久しい。
娘と最後にキスをしたのは、もう何年前だろう。

娘は、確実に成長している。
少しずつ、少しずつ大人の扉を開きつつある。

正直に吐露すれば、最近の娘の成長に戸惑うことが多くなった。
娘が大人に近づくに連れて、僕から遠い場所に離れていくような
気がしてならなかった。そして、それはきっと、事実なのだろう。
そう思うと、大仰かもしれないが、自分が親になったことの“意味”
を自問してしまうことがある。

親離れは、いつかしないといけない。
でも・・・・・。

横に並んで座った娘に目をやる。
今年は、2人で夜店に来た。
でも来年は、友達同士で夜店に来るかもしれない。
そして再来年には、もしかしたら・・・どこかの男の子と一緒に来るかもしれない。
もしそうならば、これが、娘と2人で来る最後の夜店になるかもしれない。

港の風景を眺めながら、ぼんやりそんなことを考えていた。

「もう、行こう」
娘が僕にそう言った。

「どうする?まだ向こうの方には行ってないけど・・・行ってみるか?」
と僕が娘に尋ねると、
「いいよ。お土産、早く見せたいから、帰ろ」
と言った。
「よし」と言って、僕が立ちあがって歩き出すと、また娘は僕の手を握った。

そうなんだ。・・・そう思った。
どんなに娘が変わろうとも、僕が変わろうとも、家族のカタチが変わろうとも、
この子は、僕の娘なんだ。
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古墳。

2010-06-12 | Weblog
今まであまりこのブログでは語ってこなかったけど、僕は、古墳マニアだ。

古墳、大好き
1週間でも休みがあれば、奈良の“山辺の道”をゆっくり散策してみたいなぁ

写真は、昨日仕事でお邪魔したとある事務所の至近にある古墳。
名前は「松本古墳」という。
5世紀後半の古墳で、長年、方墳と思われていたが、調査の結果、帆立貝形古墳と
判明したらしい。瀬戸内海地方で帆立貝形古墳が築造されるのは珍しく、
広島県の史跡にも指定されている。

この周辺は瀬戸内地方でも比較的古墳が多い。
もっとも大和や筑紫、出雲地方はもちろん、同じ瀬戸内地方の吉備地方ほどでは
ないが、有力な豪族が支配していた地域のひとつだと推測されている。

実は、5年ほど前まで、僕はこの古墳のすぐ近くの借家に住んでいた。

だから、休日にはこの古墳や、周辺の小さな祠のような古墳まで散歩に出かけたものだった。
子どもが生まれてからは、子どもをベビーカーに乗せて古墳に登ったこともあった(爆)
なんで、そんなに古墳にこだわるのか?
そう尋ねられても上手く答えられない。
ただ、答えになるか分からないが、古墳が築造された場所には共通する点がある。

それは、眺望が素晴らしいということだ。

古代の人々も、きっと古墳に葬り祀る人のために眺望の良い場所を選んだのかもしれない。
古墳の墳丘に登ったり、古墳が群集する丘に登ると、そこからはキラキラと波が光る瀬戸の海と
幾重に重なる島々と、そして天気がいい時には、遥か遠くに四国山脈までが眼前に広がって
見えるのだ。
古代の人もこの景色を眺めたのか・・・と思うと、胸が熱くなる。気持ちが高鳴る。
心がワクワクしてくる
そして、古代にまつわるいろんなことを、心ゆくまで一人で思い描く。
それが僕が過ごす休日の楽しいひとときだった。

・・・やっぱり、職業、間違えたかなぁ(笑)?
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車検。

2010-06-11 | Weblog
先日、愛車・Twinを車検に出しました。

今回で3回目になります。(早いなぁ~
・・・そんなわけで、今まで見て見ぬ振りをしていた(笑)
細かいパーツも取り替えまして。
プラグ、ベルト、フィルター、各部のゴムやパッキン・・・etc.

さすがに6年も乗っていると、色んなところにガタが来ますねぇ。
人間と一緒だね (^_^;)

・・・で、ついでにマフラーも、先日の「ついわし」の時にキムさんに
譲ってもらったボスコのアメリカン・マフラーに付け替えました。

いいです

アイドリング時や低速時の音は、純正マフラーと違って重厚だけど、
うるさいほどではない。
しかも高速になると、ほとんど純正マフラーと音は変わらなくなる。
見た目も派手でもなく、かといって地味でもない。
鉄管をぶった切ったような大雑把なデザイン(笑)
燃費もさほど変わらないようなので、ひと安心です

今回の車検は、6年間の大掃除といった感じで、今までで一番お金が
かかってしまった

でも、いつもお世話になっているエンジニアの方に、
“購入から6年が過ぎてるのに、こんなにキレイに乗っている車も珍しい”と
言われました(笑)
“だから、こっち(クルマ屋)も、ちゃんと点検しなきゃ・・・って、身が
引き締まる”とも。

こんなことを言われると、素直に嬉しい

今回、タイヤ&ホイールも、この際マフラーと同じくキムさんから譲って
いただいたワタナベに履き替えさせるつもりで、エンジニアさんたちと
イロイロと試行錯誤したのですが、結局、今回の車検時での履き替えは
見送ることにしました・・・。
キムさん、ごめんなさい
でも、家の倉庫で大事に保管しておきますんで。

いつか、履かせたいなぁ・・・。
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サマージャケット。

2010-06-09 | Weblog
このサマージャケット。

購入したのは、2年前だったかな。
ひと目ぼれでした
肩幅や袖や丈はピッタリ
でも、少し脇腹あたりがキツくてね
ちょっと考えたんだけど、逆に“だったら、
もう少し痩せればいいんじゃん”と
無理矢理プラス思考で購入(笑)

あれから2年。

また、このジャケットが活躍する季節が巡ってきました。
先日、今年初めて袖を通した。

やっぱり、脇腹がキツい・・・・・(-_-;)

そうだ、これだ。
単に“減量減量”と何とかのひとつ覚えの
ように唱えるのではなく、このジャケットを軽々と着れるように
なることを、目標にしよう

・・・・ということは、やっぱり5kg減量か(苦笑)
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日はまた昇る。

2010-06-08 | Weblog
大阪に、友人がいる。

友人と言っても、2歳年上だが。
友人と言っても、1回しか会ったことがないが。
友人と言っても、 mixiで知り合った仲だが。

でも、どんなカタチであってもかけがえのない友人には変わりがないわけで。

その友人は、ずっと失業中だった。
昨年から体調を崩して仕事を辞めざる得なくなった。
友人は家庭を持っていた。
しっかりした奥様とかわいい娘さんがいらっしゃる。

友人は、自分のブログを持っていた。
そのブログやmixiへの書き込みから就活状況は垣間見えていた。
垣間見えた現状は、今、この国で、40代の家庭持ちの男が就職活動することが、
どれほどまでに困難を極める行為か・・・ということだった。

彼の文章やその行間からは、日頃の就活の苦労が滲み出ていた。
でも、僕はその文章に対して、特別な返事やコメントを残したことはなかった。

理由は、2つ。
ひとつは、必死にがんばっている人に対して「ガンバレ~」と安易に声をかけ
たくなかったからだ。
がんばってるんだよ。だけど上手くいかないから、ネットを通してガス抜きを
しているんじゃないか。そこで「ガンバレ~」なんて声をかけるのは、ガス抜き
をしている栓に蓋をするようなもんだ。

偽善以外の何ものでもない。

もうひとつは、他人事じゃないからだ。
紛いなりにも、僕もサラリーマンだ。
しかも地方の、小さな広告代理店の、デザインという特別な職種である。
国全体はもちろんだが、特に地方は疲弊している。ボロボロである。
不謹慎かも知れないが、今勤めている会社だって、いつ倒産してもおかしくないし、
たとえ倒産したところで、社会が傾いて困るわけでもない。そんな会社だ。
・・・いや倒産しなくても、僕だけ解雇される可能性だってある。

今の世の中、何があってもおかしくないのだ。

だから、必要最小限の返事やコメントは返したが、基本的に僕はその友人の
就活に関しては静観してきた。

今日。
mixiの日記に、友人の日記が久々にアップされていた。
内容は、短い文章で「会社が内定した」と。

この約1年間、
辛苦を舐めたことだと思う。
不安で潰れそうだったと思う。
屈辱的なこともあったと思う。
眠れぬ夜もあったと思う。

でも、耐えたんだ。
掴んだんだ。
すごい。
よかった。
本当に、よかった。

彼の日記の最後に YOU TUBEからある歌が貼付されていた。
彼の日記の文章は短くて感情を抑えてあったけど、
きっと本心は内定をもらって飛び上がるほど嬉しかったんだろうな。
友人も、僕と同じく(いやそれ以上に)浜田省吾ファンだ。
だから、最後にこんな歌を貼付したんだろう。
この歌の歌詞が友人の気持ちのすべてを代弁している気がした。

TETTEさん、就職内定おめでとう☆☆☆

浜田省吾「日はまた昇る」


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ついわし。

2010-06-07 | Weblog
6月6日・日曜日。
約3年ぶりに「ついわし」に参加しました。

「ついわし」とは、“Twin”で岡山県の“鷲羽山(わしゅうざん)”に
集まることの略語。

今回は、スカイラインのRISKYさんを含め、東は名古屋、西は広島(私)から7人が結集。


※写真はキムさんのサイトから拝借しました。キムさん、すんません(^_^;)

だけどみんな旧知の仲の人たちばかりなので、楽しい話が途切れない。
晴天の中、クルマを駐車して何時間も話していたので、思いきり日焼けしました(笑)

キムさんから、お土産をもらいました~
袋に入ってて分かりにくいけど、ボスコのマフラー↓



そして、12インチのタイヤとワタナベのホイール。
ダンナ、ワタナベですぜ、ワタナベ



・・・でもタイヤは装着できるかどうか、諸々の事情があって微妙(-_-;)
カッコよくて、憧れのワタナベのホイールなんだけどねぇ・・・

とりあえず、帰り道、車検も兼ねてクルマ屋さんにクルマ本体と一緒に
持って行ったので、相談しながら進めていこうと思います。

[おまけ]
行く途中に立ち寄ったPAで、フェラーリ軍団に遭遇



とりあえず、お約束としてこっそり隣にTwinを置いてパチリ



総勢20台はいたかなぁ?いったい総額いくらだろう?
Twinに換算したら、いったい何十台ぶんになるんだろ(笑)
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デンジャー・ゾーン。

2010-06-06 | Weblog
昨日、家の近所で見つけた看板。

今暮らしている地域に引っ越してきて5年。
こんな看板が設置されてるなんて、今まで知らなかった。

たしかに、やみくもに銃をぶっ放されては困るけど

でも、逆に考えれば、こんな看板を立てなければいけない
ようなそんな場所なんだね、この辺りは(笑)

たしかに、最近、山側の畑でイノシシを見かけた・・・という
話をチラホラ聞くし(-_-;)

ちなみに今日の午前中は、そんな地域の清掃作業です(爆)
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ウアルカイシ。

2010-06-05 | Weblog
昨日は、この国の新しい宰相誕生のニュース一色で。

今朝の朝刊もその関連記事で紙面が埋め尽くされていた。
その中で、片隅の記事に僕は釘付けになった。

「天安門事件の民主化運動リーダー逮捕 中国大使館に侵入」↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100604-00000649-san-soci
その逮捕された人物の名は、ウアルカイシというらしい。

ウアルカイシ。

生きてたんだ。
直感的にそう思った。
もう僕の記憶の中層に埋没しかけていた名前だった。
でも、決して忘れてはいない。

天安門事件の時の民主化運動のリーダーだった。
“天安門事件”と書いても、今の北京五輪や上海万博でパワーに満ちた
華やかな中華人民共和国しか知らない、僕より下の世代の人々には、
もうよく分からない出来事かもしれない。
ちょうど、僕たちの世代が“プラハの春”や“文化大革命”をリアルに知らないように。

21年前。
1989年6月。

世界中の目が、中国の天安門広場に向けられていた。
僕も連日、TVニュースを視ていた。
天安門広場には、添付した写真のように、民主化を求める数え切れない人々が集結していた。
その人々のリーダーが、ウアルカイシ氏だった。
当時、21歳。
僕は、20歳。

まさに、同世代だ。

21年前、ウアルカイシ氏は、拡声器を片手に目の前の民衆と戦車とバリケードの向こうの国家に
向かって、民主化をひたすら叫び続けていた。
僕は、バブルに踊るひ弱な国の地方都市の大学に通う、絵に描いたような怠惰な大学生だった。

天安門事件は、失敗した。
正確に書けば、中国当局に徹底的に弾圧された。

ウアルカイシ氏は、当局の追手から逃れるために、亡命した。亡命し続けた。そして世界中を逃げ回りながら
中国の民主化を訴え続けた。
僕は、怠惰な大学時代を無難なく過ごし、売り手市場の就職活動で楽に就職し、結婚し、生まれた街に帰って
来て、年老いてきた両親の近くに家を買い、普通の家庭を持った。

そして、2010年。

ウアルカイシ氏は、突然、日本に現れた。
そして、中国大使館に侵入しようとして逮捕された。
報道によると、自ら中国国家に拘束されようとしたという。

新聞やネットによっては、その詳細を報道しているニュースもある。
その中に、ウアルカイシ氏が中国大使館に侵入した理由について、政治的理由とは別の理由を口にしていた。

「事件後一度も会っていない両親も高齢になった。どうしても会いたい」

この言葉を目にした時、正直言って、ホッとする自分がいた。
21年間、同世代なのにまったく違う人生を歩んできた僕と彼。

しかし、彼・・・ウアルカイシ氏も、普通の一人の人間だったのだ。

ウアルカイシ氏は、警視庁の事情聴取が終われば、おそらく近日中に中国当局へ身柄を引き渡されるだろう。
その後、彼がどうなるか分からない。
当局から見れば、どんな理由であれ、21年前、国をひっくり返そうとした人間である。
彼の国は、不条理をオブラートにくるんだような国である。
おそらく、二度と釈放されることはないだろう。
彼の名前を耳にするのも、もしかしたら、これが最後になるかもしれない。
それと同時に、この一件によって、天安門事件が現在進行形の問題から、完全に歴史の出来事のひとつ、
・・・いやそれ以前に事件そのものが、闇に葬りさられてしまうような気がする。

それも、時代なのかもしれない。

天安門事件の頃、僕はウアルカイシ氏を見ていると、なぜか幕末の志士・高杉晋作をいつも連想していた。
高杉晋作は、民衆による兵隊・奇兵隊を組織し、急進的な尊王攘夷(要は改革)を追い求めたが、
志半ばで若くして結核で亡くなった。

奇しくも、昨日この国の新しい首相となった御仁も、尊敬する人物は、高杉晋作なのだそうだ。
はたして、この稀代の幕末の志士を敬愛する彼は、この国をどこへ導いてゆくのだろう。

・・・そして、ウアルカイシ氏は、両親に会えるのだろうか。
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超一流企業。

2010-06-04 | Weblog
ネットサーフィンしてたら、見つけた。

・・・転職しようかな(笑)
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基本中の基本。

2010-06-03 | Weblog
会社の近くのコンビニに立て掛けてあった看板。

著作権とか、そうゆうややこしい事には目をつぶって(笑)、

この看板には、広告の基本中の基本の大事な事が、

いっぱい詰まっている気がする。
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