りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

42歳。

2011-09-19 | Weblog
本日9月19日で、42歳になりました。

早いもので40代になって3回目の誕生日。
そろそろ40代にも慣れてきたようで、30代後半の頃、“40代に
なりたくな~い!”と往生際の悪いことをのたまっていた僕は、
不思議なほど、もうきれいサッパリ消えてしまいました。

いったい、なんだったんでしょうね、あれは(笑)?

昔は誕生日はお祝いしてもらうもの・・・という考えが当たり前の
ようにあったけど、ここ数年でその考え方が少し変わってきました。

誕生日とは、周囲の方々に感謝する日ではないかと。

昔はそんなことを誰かが言ったりすると「偽善くせぇ~」と顔をしか
めて鼻をつまんだものですが(笑)、僕も家庭を持ったからか、それ
とも平均寿命でいえば人生も折り返し地点を過ぎたからなのか、なん
だか自然にそう思っている自分がいます。

妻、子ども、弟、友人、仕事仲間、先輩、後輩、ご近所さん、近い人、
遠い人、好きな人、苦手な人、もう亡くなった人・・・42年間生きて
きて、その間に僕とつながった全ての人たちがいなければ、今の僕と
は全く違う人間になったような気がするし、そしてたぶん、それは本
当にそうなのだと思います。

これからどんな人生になるか?

それは、これからどんな人たちに出会うか?ということと同義語
なのかもしれません。
だからこそ、人との出会いは大切にしたいし、出会って生まれた
つながりは、もっと大切にしたい。
この年で、やっとそんなことを普通に受け入れられるようになった
ことが42年間生きてきて、最大の収穫でしょうか(笑)?

僕は子どもの頃から明確な目標を掲げて生きてゆくのがおそろしく
苦手な人間だったので、これからも今までのように、自分の直感と
自分のペースで生きてゆくと思います。
昨年の誕生日にも書いたけど、石橋は渡った後に叩く・・・という
感じで(笑)

どんな人生でも、後悔は少ない方がいいです。

そのためには、そういう生き方が自分には一番合っているんじゃない
かと、最近よく感じます。

話は少しズレますが、昨夜、ドライブしました。

ちょうど日付が変わる頃・・・つまり誕生日を迎える時、クルマを
走らせながら、1人でその瞬間を迎えました。別にそれ自体に大きな
意味はないけど、真夜中に、目的もなく、1人でドライブ・・・と
いうのは自分らしいというか、たまにはそういう誕生日の迎え方も
いいかな・・・と。

まぁ、これからも、こんな感じで生きてゆきます。

今日は、本当に多くの方々からバースデーメールやメッセージを
いただきまして、ありがとうございました。本当に嬉しかったです。
この場をお借りして、お礼を申し上げます。

あ、最後に・・・最も感謝すべき人へ。

親父、お袋。

今年も無事に誕生日を迎えることができました。
いつまでも元気で。
俺を産んでくれて、本当にありがとう。
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40代の少年。

2011-09-18 | Weblog
3日前か。「BLUES BROTHERS」っていうタイトルで
日記を書いたのは。

http://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/0f4f3ae04bd49d1b2188041127717a8e

今日、カッティングシートをクルマに貼った。
細かい部分(唇やネクタイなど)が多く、ボディの外側に
貼ると風雨で剥がれる可能性が高いので、中に貼った。
ダッシュボードの両サイド。

運転席側↓


助手席側↓


黒だと見えにくいだろうな・・・と思っていたが、
実際に貼ってみると、その見えにくい感じが
逆に渋く見え(少なからず自分には)、意外にも
いい感じになった。

しかし、夜中に思いついてデザインしたのが3日前。
それから、若干2日でカッティングシートにして
貼ってしまうなんて(しかもハンドメイド)・・・

我ながら、相変わらずせっかちな性格だと思う。

以前、知人からこんなことを言われた。
「りきるくんは、10代のオッサンだね」

褒めてるのかと思って、嬉しくなって真意を尋ねたら、
要は、短絡的とか真っすぐ過ぎるということだそうで・・・(-_-;)

否定はできなかったけど、ちょっとその例えが釈然としなかったので、
後日、“40代の少年”というふうに変えてもらった(笑)
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蓄膿症。

2011-09-17 | Weblog
実は、今週は週初めから風邪をひいてしまって・・・。

最初は喉の違和感にはじまって、その次に
咳、たん、悪寒、耳の違和感・・・と、
もう風邪の症状のオンパレード状態。

週の中頃には、それもピークを迎えて、
朝の出勤前、何度休もうかと思ったことか。

それでもなんとか休まずに一週間を乗り越え
られて、ちょっと安堵しております。

だが。

昨日から鼻水が止まらない。
しかしこれはいつもの僕の風邪の症状で、風邪
の末期状態の時に必ずこうなる。
だから、鼻をかみながらも「あぁ、やっと
治りはじめたか・・・」と思っていたのだが、

今朝、鼻の横、頬がやけに痛む。
歩くと、ズキズキする。
歩いてなくてもボ――っとする。
こぶとり爺さんの話ではないが、頬にこぶではなく、
水風船でもぶら下げているような感覚。

あぁ・・・onz

保険証を持って、近くの耳鼻科へ。
診察の結果、案の定、「蓄膿症」だった。

10年くらい前に初めて患ったことがあったが、
それ以来だ。
問診の後、細長い管を鼻の奥に突っ込まれて、
何かを吸ったのか吹きつけたのか知らないが、
脳天の奥でシュッシュッという音がして、
それでおしまい。

1週間分の薬を処方してもらって、帰宅した。

今日から連休で、しかも来週は僕や我が家にとって
アニバーサリー・ウィークだけど、どうやら
おとなしく過ごさなくてはいけない様子。

それにしても、鼻をかむ度に思う。

どうして鼻をかんだら鼻水しかでないのか?
たまには、小さなプリンやグミでも出てきてくれりゃあ、
少しは鼻をかむ行為も楽しくなるのに。

言われなくても、分かってるよ。
こんなことを考えてるから、いつまでも風邪が治らないんだ(笑)
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BLUES BROTHERS

2011-09-15 | Weblog
このブログを初めて間もない頃にも書いたけど、
僕は映画「BLUES BROTHERS」が大好きだ。

家族が寝静まった夜更けの一人タイムに、ふと思い立った。
ネットでアクセスして、画像をチョイス↓



その画像を仕事で使うソフトで、チョコチョコッと。
で、作ったのが、これ。所要時間5分くらい↓



しかし作ったはいいものの、用途をまったく決めていない ・・・(-_-;)
カッティングシートに加工してクルマに貼っちゃおうか。
しかしクルマのボディが青だから、黒のカッテッィングシートじゃあ、
貼っても分かりにくし・・・。

白黒反転のパターンならクルマに貼っても、見えるだろうけど、
なんだか違和感があるなぁ。
やっぱりBLUES BROTHERSは、黒だよ、黒。

さ、どうするべ・・・。

あ、そうだ、この家のノートパソコンに貼っちゃおうか?
カミさん、怒るかな?
・・・いや、カミさんよりも、娘が怒りそうな気がする(笑)

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36歳っすよ~。

2011-09-14 | Weblog
先日、居酒屋に行った。

週末だったからか、ちょっと混雑していて、仲間と入り口でしばらくの間、順番待ちをしていた。

その入り口に、一人の女の子がへたり込んで座っていた。どうも、精算を済ませて出て来たようで、
一緒に呑んでいた女友達らしい集団は、彼女から少し離れたところで輪になって雑談をしている。

「飲んだの?」

手持無沙汰だったので、話しかけてみた(笑)
すると、女の子は頭を上げて声が聞こえてきた方、つまり僕へ顔を向けた。

「はぁ~い、飲みましたぁ~」

完全に酔っぱらっていた。
若い。
どうみても僕よりひと回り・・・いや、ふた回りは、若い。

「若いんだから、深酒しちゃ、いかんよ」

ちょっと年上ぶって(というか確実に年上なのだが)、僕がそう言うと、

「いや、もう~若くないっすよ~」

と、へたり込んだ女の子は答えた。ベロベロで。

「自分、何歳?」

思わず、そう尋ねた。すると、

「えへへへ・・・18ですぅ~」

コラ!

「えへへへ、でも大学生ですから」

「O大(地元の大学)か?」

僕がそう尋ねると、女の子はこう答えた。

「いや、J学院ですぅ~」

それは広島市内の大学で、お嬢様大学として有名な大学だった。

「J学院!?ウソだろ~?」

「ホントっすよ~、電車で通ってるんですよぉ~、毎日毎日大変っすよ~」

尾道から広島市内のJ学院までは、片道100kmはある。
理由はそれぞれあるにしても、広島や岡山といった100km程度離れた街の学校に電車で通う学生は、
この街には意外と多い。たぶん、彼女の言っていることは本当なのだろう。

しかし・・・彼女がJ学院大学の学生だなんて・・・。
僕らが学生の頃のJ学院の女子大生といえば、清楚でおしとやかで可憐なイメージだったのだが。
今、目の前のJ学院は、茶髪は仕方ないとしても、そこらへんのおバカタレントのような今風の化粧を
して、ジーンズを穿いた両脚をおっぴろげて放り投げるような格好でへたり込んでいる。もちろん片手
に携帯を大事そうに持って。
時代が変わったのか、それともJ学院が変わったのか・・・。

「俺、K大だったんだよ」

脚をおっぴろげたJ学院に向かって、僕はそう言った。

「え!?そうなんすかぁ~」

J学院の表情が変わった。

「あぁ、俺は向こうに住んでたけど、横川にね」

「へぇ~」

僕が卒業した大学は、J学院の近くだった。
太田川という広島を流れる川を挟んで対岸同士の大学だった。

「もっとも、オネエちゃんが生まれた頃だけどな」

「え・・・今、何歳なんすか?」

「41。もうすぐ42」

なんの躊躇もなく、僕はそう答えた。
こんなふた回りも年下の女性に見栄を張ったり嘘をつく必要など、ない。

「え~、そうなんすかぁ~、見えないっすよ~」

別に、驚かない。
こんなセリフ、僕はもう聞き飽きるくらいに耳にしてきた。
丸坊主で、薄いグラサンをかけて、髭を生やしてりゃ、そりゃあ年齢相応に見えないだろう。
40半ばか?50代か??いったい何歳に見えるんだ???
もう、覚悟は出来てるぞ(笑)
すると、J学院の口から意外な言葉が飛び出した。

「いやぁ~、どう見ても、36歳っすよ~」

その時、僕はハンチング帽を逆に被っていた。そして髭も長くなり過ぎたので昼間に短くカット
したばかりだった。服は普通のジーンズを穿いてTシャツの上にジレを羽織っていた。
それらを差し引きしたとしても・・・なんなんだ、その36歳っていう微妙な年齢は (-_-;)

「いやぁ~、36歳っすよ~」

J学院はそう繰り返す。たまにゲップをしながら。

「そういう時はなぁ~、“30代にしか見えない”とか、そういう言い方をしろよ、その方が嬉しいんだよ、
オジさんは」

僕が懇切丁寧にそうアドバイスすると、

「そうっすねぇ~、勉強になりましたぁ~、でも・・・36歳っすよ~」

J学院は、笑いながらそう言った。

そうこうするうちに、僕らの席の準備ができたらしく、僕は仲間たちと一緒に店内に入った。
入る間際、僕は振り返り、

「いいか、今度からは“30代”って言うんだぞ」

と、J学院にもう一度念押しした。すると、

「わかりましたぁ~、でも・・・36歳っすよ~」

と言いながら、僕に手を振って、J学院は女友達の輪の中に戻っていった。

それ以来、「36歳っすよ~」というヘロヘロの言葉が、僕の頭の中でグルグルグルグルと回っている(笑)
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怖い話。

2011-09-13 | Weblog
7月の中旬、知人のS氏からとある本を借りた。

福澤徹三氏のエッセイ「怖い話」。

「とにかく読んでみて。めちゃくちゃ面白いから」
“怖い話”というタイトルなのに、面白いから、というのもなんだか奇妙な薦め方
だなぁと思ったが、なにはともあれ、福澤先生のエッセイである。

昨年読んだ「Iターン」。先日読んだ「東京難民」。どちらの作品も、もうホント
にとてつもなく面白かった。

人間社会の最底辺の世界や裏社会。
ある日、そんな世界に普通の日常からいとも簡単に落ちてしまった、どこにでも
いるような小市民。
絶体絶命のピンチや理不尽極まりない困難が、主人公をこれでもか!これでもか!
と次から次へと襲って来る。

蟻地獄のようなストーリーに、“この主人公は、もう普通の生活には到底戻れない
だろう・・・かわいそうに”と、同情めいた気持ちを抱きながらページをめくるの
だが、最後には意外な展開が待っていて、スーーっと胸が救われるような気持ち
になった。

巧いなぁ。
俺もこんな物語が綴れたら・・・読了後、そんな風に思ったものだ。

余談だが、「Iターン」を読んだ直後、このブログでそのことを書いたのだが、
その後、ブログを読まれたS氏経由で、なんと福澤先生ご本人からメッセージを
いただいた。あの時は、あまりの嬉しさに飛び上がってそのまま大気圏を離脱
しそうになった。

とにもかくにも。

そんな先生のエッセイである。
エッセイならば、小説とは違って限りなく生身に近い言葉が詰まっているはずだ。
そう思いながら、本を開いた。
そして、読み終えた感想は・・・

悔しい。

そのひと言しか、思い浮かばない。
もう、とにかく悔しい。
どうして、こんなに言葉の使い方が巧いんだ。
豊富な語彙はもちろん、凡庸な言葉でさえ変化球を使って巧みに読ませる。

また、S氏が僕に薦めた時に言った「面白い」という意味も、よく分かった。
たしかに、面白い。
「怖い話」というタイトルなのに、笑ってしまう箇所が、まるでエアーポケット
のようにところどころに忍ばされている。
それも、意図的に笑わせようとしているのではない。怖い話を書き進めていく
うちに気がつくと笑いに転化してしまっている・・・そんな笑いなのだ。

例えば「怖い刑罰」という章がある。
その章の終わりの部分に、とある著名な映画の一部分を引用してあるのだが、
その映画を見たことがある人が読めば、それはもう爆笑必至の文章なのだ。
実際に、僕は腸が裂けるかと思うほど、腹を抱えて笑い転げてしまった。

氏の小説やエッセイを読む度に、こう思う。
「怖い」という感情は、実は「笑い」と表裏一体の感情なのではないか?と。
あまりにも怖かったり、迷ったり、疲れたりして、それが究極の状態にまで達する
と最後には笑顔になる・・・という話を聞いたことがある。
実際、僕も仕事が極端に多忙になった時に、気がつくと意味もなく笑顔になっている
ことがあった。
脳内に現状から逃避させるような分泌物が出てくるためなのかどうかよく知らないが、
もしかすると「笑う」という感情は、人間にとって自身に降り掛かる困難から逃れる
ために残された最後の武器なのかもしれない。
氏の作品を読んでいると、そんなことまで考えさせられてしまう。

しかしなによりも僕を唸らせたのは、福澤氏の知識と経験の豊富さである。

いったい、この御仁はどういう人生を歩んできたのか・・・。
話題の守備範囲が途方もなく広い。
先生は自称、ホラーやアウトローの分野が本丸なのだが、それ以外の分野にも多岐に
わたって精通されている。
実は先生のこの博識ぶりこそが、この本の中で最も怖いことなのかもしれない。

やはり小説家たる者、文章の巧みさも必要さだが、それ以上に必要なのが“経験”なのだろう。

実はこのエッセイ、もうずいぶん前に読み終えていたのだが、もう一度、読み直している。
今度は少し読む角度を変えて、文章の組み立てや構成の仕方に留意しながら。

だからSさん、すみませんが、もうしばらく、この本を貸してくださいm(_ _)m
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自画像。

2011-09-12 | Weblog
前もって書くが、今日の日記は親バカ日記である(笑)

先月の娘の誕生日に、娘についてこのブログに書いた。
その時の日記に、娘が2歳の時の写真を一緒に添付した。
それは娘の写真の中で、僕が一番お気に入りの写真だった。

昨日、娘が「新しい絵を描いた」というので、見せてもらった
のだが、ちょっと驚いた。

それは自分を描いたいわゆる自画像だったのだが、その元に
した写真が、上述した写真だったのだ。

話を聞くと、先日の日記にも書いたとおり、ここ1ヶ月
ほどの間、娘は4コマ漫画に没頭していて、それがなんとか
応募し終わったので、気軽に何か書こう・・・と思い立って、
今まで挑戦したことがなかった、写真を元にした人物画を
描こうと思い立ったそうだ。

・・・で、自分のアルバムから写真を選択していたらしいのだが、
たまたま娘が自分で決めて手に取った写真が、奇しくも、先日
このブログに僕がアップロードさせた写真と同じ写真だったのだ。

やっぱり親子というのは、何か目に見えないモノでつながって
いるのだろうか?

・・・・と、まぁ、前フリはこれくらいにしといて、肝心な
写真と娘が描いたイラストをアップしようか(笑)
もちろん、娘の承諾済み。

元の写真↓



娘が描いた絵↓

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免許更新。

2011-09-11 | Weblog
今、運転免許の更新のため、運転免許センター。

夕べは寝たのが遅かったけど、早めに講習を受けておこうと思い、
朝一番の講習を受講しようと寝ぼけ眼でやって来たのだが、
同じように考えている人間が多かったみたいで、会場には、
朝から免許更新の人達がうじゃうじゃ・・・

免許を所有している方はよくご存知のように、免許の更新って、
ハッキリ言って面倒くさい。

中には、チャチャっと終わる人もいるんだろうけど、自慢じゃないが、
僕はゴールド免許じゃないからね(笑)
18歳で免許を取って以来、毎回きっちり3年毎の更新でございます。

今回、唯一救いだったのが、運転免許センターが新しくなって、
以前よりも申し込みや手続きの手順が、格段に効率的になってたこと。

以前の講習会場は、建物もシステムも古くて、手続きの手順も非効率的の
極致だった。そのために受講するまでにかなりの時間を費やして、それ
だけでかなりのストレスだったから。

新しい免許免許センターは、まるでちょっとした総合病院のような雰囲気。
受付や窓口の場所も分かりやすくて、スイスイと更新の手続きが進められる。

さ、昼までしっかり講習を受けて、安全運転に徹しましょう。

いつか、いつか・・・ゴールド免許(笑)
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四コマ漫画。

2011-09-10 | Weblog
1ヶ月ほど前から、娘が漫画を描いていた。

地元で今年から開催される「尾道マンガ大賞」に応募するために。
応募対象は、小・中学生部門と一般部門。
審査員は、尾道出身の漫画家のかわぐちかいじ氏とかわぐちきょうじ氏。
前者の方は、男性諸兄ならば「沈黙の艦隊」や「ジパング」といった青年誌に連載された
漫画でご存知の方も多いと思う。後者の方は、そのかいじ先生の双子の弟さんで、地元で
会社を経営されながら、セミプロの漫画家として活躍されてらっしゃる。
とにかく、プロの漫画家の先生が審査員の、本格的なコンクールなのだ。

娘は絵が好きだ。

学校の風景画大会でも何度か入賞しているし、市主催のコンクールにも入賞したことがある。
でも漫画のコンクールは、応募どころか描いたこともないはずだ。

いや、描いたことはある。家でいつも描いている。
描いてはいるが、人に見せたことがないのだ。

娘の将来の夢は、漫画家だ。

娘の部屋の本棚には、月刊少女雑誌が何十冊も並び、その下の棚には、「ちびまる子ちゃん」
や「名探偵コナン」のコミックが、これまた何十冊も並んでいる。
それらの雑誌やコミックを参考にしながら、誰に読ませるでもなく、黙々と勉強机の上で漫画
を描いているのを、僕は知っている。

半月ほど前、おそるおそるといった口調で、娘が僕に尋ねてきた。

「あの・・・マンガ大賞に出す漫画、見て欲しいんだけど・・・」

ここ2~3年で、どうも僕の仕事が“絵”にも関係がある仕事だとおぼろげに分かりはじめたらしい
娘は、そんな仕事をしている最も身近なオトナである僕に、自分の作品の出来がどうなのか、見
てもらおうと思ったようだ。

メチャクチャだった・・・。

四コマ漫画なのだから、最低限度“起承転結”が成立していなければいけないのに、娘が描いた漫画
のストーリーは“起承転結”どころか、“結承転転”のような作品だったのだ。
しかも予想通り、その画風は、少女漫画の影響をモロに受けていて、主人公の女の子はキュート
すぎるほどキュートで、瞳の中にはお約束のように星がいくつも散りばめられている。
おい、いったい、どれが本当の目玉なんだ?

ここで、僕は迷った。

これが仕事なら、その場でビリビリッと破り捨てて一蹴してもいいものなのだが、当たり前だが、
これはそういう代物ではない。
アドバイスするにしても、罵倒するように頭ごなしに作品を否定することもいいとは思えない。

どうするべ・・・ (-_-;)

娘が描いた漫画としばらくにらめっこした後、僕は絞り出すように言葉を選びながら、必要
最低限度の直すべき箇所、考え直す箇所を慎重に感情を抑えて伝えた。
娘は、僕の横で直立不動のまま、時折頷きながら、僕の口から出る言葉に耳を傾けていた。

数日前。

娘が、また漫画を見て欲しい、と僕に言って来た。
僕が承諾すると、2階の自分の部屋から大事そうに原稿用紙を抱えて1階のリビングにいる僕の
元へやって来た。

原稿用紙を受け取ると、僕は上から下までザッと読み流した。
そして、その後、娘に向かって片手を伸ばし、親指を突き上げて、こう言った。

「いいじゃん」

その途端、相変わらず僕の横で直立不動で不安そうな顔をしていた娘の相好が崩れた。

出来ていた。

とりあえず、起承転結は成立している。絵のタッチも、誰かの模写の域から脱して、何とか自分
の画風をみつけようとしている心意気が垣間見える。

受賞出来るかどうかなんて、もちろん分からない。
でも、これならば、少なからずコンクールの土俵には上がれるような気がした。

僕は、最後に細かい重箱の隅の隅・・・本当に隅っこの指摘をひとつだけした。娘は笑顔でそれに
頷きながら、僕の指摘を聞き終えると、踵を返して階段を駆け上がり、再び自分の部屋にこもった。

実は、娘には言ってなかったことがある。

それは、娘が必死に四コマ漫画と格闘していたちょうど同じ頃、僕は審査員の両氏と、それぞれ
とある仕事で関わっていた、ということだ。だから、もしも僕の中に屈折した親心があったならば、
何とかその“つて”を使って、根回し・・・ということも出来たのかもしれない。

でも、当たり前のことだが、そんなことをしたところで、誰も幸福になんかならない。
だから、それに関しては、娘にはもちろん、審査員のお二人にも一切口外していない。

昨日、娘は苦労して描いた四コマ漫画を、学校の担任教師に提出し、学校を介してコンクールに応募
したそうだ。
さて・・・娘の初漫画作品は、どうなるのだろうか。
親としては、受賞して欲しいと思う一方で、実は、“落ちればいいのに”と思っている僕もいる。

ここで受賞や入選をしてしまうと、後が厄介だからだ。
“ビギナーズラック”という言葉を、強引に別の言葉に換えれば、それは“勘違い”である。

勘違いをしたまま突き進むほど、哀れな生き方はない。
それは、約10年前に処女作の小説でいきなり文学賞を受賞した僕自身が、一番よく分かっている。

できれば落選して欲しい。
それも箸にも棒にもかからないような落選をして欲しい。
そして悔し涙をいっぱい流して、それでもやる気がまだ自分の中でメラメラと残り火のように燃え
ていたならば、何度でも何度でもチャレンジして欲しい。
その方が、絶対にいい作品が出来るはずだ。
そして受賞した時の喜びも、もっともっと大きいはずだ。
それは、この10年間諦めずに小説を書き続け、今年やっと最優秀賞を受賞した僕自身が、一番よく
分かっている。
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社会見学。

2011-09-09 | Weblog
昨日、仕事から帰宅すると、リビングに
小さなリュックサックが置いてあった。

そのそばに小さなメモ用紙が置いてあって、
紙面には達筆な妻の文字で

“もう貴方との結婚生活に疲れてしまいました。
このリュックの中に必要最低限度のモノは
入れてあるので、このリュックを持って、
今日限り家を出て行ってください”

・・・とは書かれてはなかったのでホッとした。

メモは、小学校で配られたらしきプリントで、
リュックサックは、息子のだった。

夕食の支度をしていた妻に尋ねると、
息子は明日(今日)、社会見学なのだと言う。

知らなかった・・・。

続けざまにどこに行くのか尋ねたら、
隣町のヤクルトの工場だと言う。

そう言えば・・・・僕も息子と同じ小学低学年の頃、
社会見学でそのヤクルトの工場へ行った記憶がある。

もちろん、今ではもうおぼろげな記憶しか残ってないが、
そのヤクルトの工場を見学して帰る間際に、工場の方から
ヤクルトのロゴが刻印された鉛筆を、みんな1本ずつ貰った。
するとその次の日から、そのヤクルトの鉛筆をクラスメート
の大半が授業で使っていた記憶がやけに残っている(笑)

息子も、今日、鉛筆をもらうのだろうか?

懐かしいから、譲ってもらおうかな(笑)
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