りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

晩夏の海。

2011-09-08 | Weblog
昨日の午後、取引業者の元へ出かけた。

ちょっと時間が空いたので、海に寄った。

台風一過ということもあって少し濁ってはいたが、

これから満ち潮になろうとしている潮騒の音は

僕の鼓膜に心地よく響いた。

潮風が頬を撫でる。

空も澄みきっていた。

ブルーの絵の具を斑なく塗ったような、青。

水平線に目をやると、はるか彼方にあるはずの

四国山脈が、間近に見えた。

誰も、いない。

何も、ない。

高い空と優しい潮風と防波堤の上の中年男。

ほんの一瞬、忙しい日常を忘れてたたずんだ、

晩夏の海。
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今年は不参加。

2011-09-06 | Weblog
毎年秋に開催される、 Twinオーナーの全国オフ会「Twin Peaks」。

今年も10月9日(日)に愛知県の知多半島の突端にある「チッタ・ナポリ」で
開催される。

全国オフ会は、普段めったに会えない、それこそ1年に一度しか会えないような
関東や東海地方など遠方のTwinオーナーに会えることが、なんといっても最大の
楽しみだ。

小さなクルマでつながった、日常では出会うはずがなかった人たちと、まるで
昔からの知り合いのように会話を交わすのは本当に楽しい。

小さなクルマに一人で乗って、真夜中に出発して、片道450kmをひたすら
東へ向かって走り続ける。
それは、もう、肉体も神経もクタクタのボロボロになるようなドライブなのだが、
そんな疲れも吹っ飛ぶほどの楽しい時間が、知多半島の先端で待っている。

しかも途中の風景・・・例えば大阪の千里周辺や京滋バイパスから眺める宇治周辺の
夜景や、夜明け直前の白々とした空に稜線が浮かぶ鈴鹿山脈、中京工業地帯のド真ん中を
横切り、昇りゆく朝日に向かって突っ走る伊勢湾岸道路など、家族持ちとしては、一人で
目にするのがもったいない気持ちになるような景色が次々とフロントガラスに映し出される。

そんなイベントに、昨年まで延べ通算4回参加してきたが、今年は参加表明をしなかった。

行きたい気持ちは山々だったんだけど、なんだか今年は、どういうわけか、身体というか
気持ちが重くて・・・。

おそらく、今年前半の段階で、僕はかなりのエネルギーを消費してしまったようだ。
日常の仕事や家庭の行事に加えて、執筆した短編小説の文学賞受賞とその作品の刊行、
そしてawesome!の共同個展への参加表明と、それに出展するポスターのデザイン制作~
東京の個展会場への陣中見舞い・・・etc.

普通なら1年くらいかけて行う個々の活動を、今回は3ヶ月から半年の間にほぼ同時進行で
行った。

元々、僕は持久力よりも瞬発力で生きてるような人間なので、たぶん、今は身体の中の
“行動力”というボックスの中が、限りなくエンプティに近いのかもしれない。

こういう時は、充電することに徹した方がいいのかも。

そしてまたエネルギーが満杯になったら、思う存分に動き出せばいい。
その時には、岡山の鷲羽山でのTwinのオフ会「ついわし」にも参加したい。
そして、来春くらいには、久しぶりに「Twin&尾道ラーメンオフ」も開催できれば。

そんなわけで、これからしばらくはの~んびりと暮らそうと思っている、りきるでございます。
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ハガキ。

2011-09-05 | Weblog
パソコンのデータを整理してたら、我が家の過去の年賀状の
デザインがまとめて出てきた。

まるで、押し入れから古いアルバムを見つけたみたいに思わず
しばらくの間、見入ってしまった。

僕は仕事柄、年賀状をはじめとした季節のハガキは、自分で
デザインするようにしている。
それは、誰かに命令されているわけではないし、まして家族に
強要されているわけでもない。

単に、自分がやりたいからだ。

時間をさかのぼって見てゆくと、プライベートのハガキながら、
自分のデザインのセンスやスキルの変遷が手に取るように分かる。
あらためて思う。
昔は・・・ヘタクソだったんだなぁ(笑)

それからもうひとつ。
その時、その時の自分の気持ちの在り様も透けて見えてくる
ような気がする。
アッチへ行ったりコッチヘ行ったり・・・と、その時に興味を
持っているモノやデザインの嗜好も垣間見える。

すべてのハガキをお見せすることは出来ないけど、
せっかくなので、この14年余りの間に創ったハガキの何枚かを
アップロードしてみます。

(1)暑中見舞い(1999年)


(2)年賀状(2001年)


(3)年賀状(2002年)


(4)年賀状(2006年)


(5)年賀状(2008年)


(6)年賀状(2009年)


(7)引っ越し報告(2005年)


(1)の暑中見舞いは、結婚してたけど、まだ子どもがいなかった頃。
だから“アットホーム”なデザインなんて、まだ自分の中になかった。
だから妙にカッコつけてます(笑)
今なら、もっと優しいデザインで創れるような気がする。
もっとも、今では暑中見舞い自体、出さなくなったけど(^_^;)

年賀状では、出色はやっぱり(2)の年賀状だと思う。
これは昔の映画のポスターをイメージして創ったんだけど、
手前みそながら、親類他人を問わず、送ったみなさんから、
かなりの反響がありました(笑)
やっぱり人間って、褒められたら嬉しいものだからね。
特に僕は「ブタもおだてりゃ・・・」の人間なので、神輿のように
担がれたら、それだけでスイッチが入ってしまう。

でも、それ以降の年賀状は、おとなしいデザインだと自分でも思う。

真面目なことを言えば、おそらくこのあたりから、“家族を持った自分”
とか“親になった自分”というモノを受け入れたんじゃないか、と思う。
見方を変えれば、家族とか、親というモノに、自分がまだ慣れてなかった
からこそ、(2)のようなデザインにすることで、まだ自分自身の
立位置に戸惑っていた当時の状況をごまかしていたのかもしれない。

だからここ数年の年賀状である(4)、(5)、(6)あたりは、今の自分の
心境や環境を素直に描いているようで、今見ても、自分でも好きだ。

ここ2年間は身内に不幸があったので、年賀状は出せなかったが、幸い、
今年はそのようなこともなさそうなので、来年の年賀状は出せそうだ。

さて、どんな年賀状にしようか。

いっそのこと、僕がデザインするのをやめて、漫画家志望の娘に描かせるのも
いいかもしれない(笑)
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大人。

2011-09-03 | Weblog
台風が、近づいている。

・・・というより、すでに今、おもいっきり、暴風雨圏内だが。

子どもの頃、台風が近づいてくると、怖い反面なぜかドキドキする自分がいた。

「台風の接近にドキドキしたり、真冬の積雪にワクワクしなくなったら、
その時、人はもう、子どもではなく、大人になったのだ」

ずいぶん昔、ある人からそんなことを言われたことがある。

いつからだろう。

暴風雨や銀世界に、浅いため息を落とすようになったのは。

おそらく。

見慣れた“日常”の風景が、“非日常”に変わることに警戒しているのだと思う。

きっと、台風や雪よりも、自分や周囲の「安定」の方が大切になるのだろう。

そういう意味では、僕はもう、立派な大人なのだ。

それが淋しいことなのか、嬉しいことなのか・・・それはこの際、別として。
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お前が、欲しい。

2011-09-02 | Weblog
理由なんか、ない。

年齢も、体裁も、関係ない。

好きなんだ。

ただ、それだけなんだ。

だから、もう、かまわない。

何も考えなくていい。

何も心配しなくていい。

何もかもはぎ取って、

そのままの姿で、

俺の元へ、今すぐ、おいで。

お前が、欲しい。

今すぐ、欲しい・・・。


















スイート・デニッシュ・ブレッド
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アラフォー・フォトグラファー。

2011-09-01 | Weblog
以前から、気になっていたことがある。

それは、僕の周囲の友達、それも同世代の女友達が、まるで示し合わせたかの
ように、ここ数年で、一様にカメラに凝っているのだ。
もちろんすべての女友達ではないし、カメラに凝っているその友達の中には、
20代の頃から一眼レフを片手に様々な場所を訪れているような人もいる。
だから一概には言えないことは百も承知なのだが、それでも、多い。
今、ざっと頭の中で思い浮かべただけでも・・・7人ほどいる。

みんな僕と同世代、いわゆる“アラフォー”世代である。

これが男友達もそうならば、まだ何か理解できる糸口でもみつけられそうな
ものなのだが、これが面白いくらいに、誰一人、男でカメラに走っている人間
がいないのだ。

単に、僕の人脈が狭いからなのだろうか。
たしかに広いというほどではないが、極端に狭いとも思わない。
おそらくほとんどの人がそうだと思うが、「友人」、しかも「同世代の友人」
というカテゴリーになると、異性よりも同性の方が多いのではないだろうか。
そこから考えてみても、やはり女性のカメラ指向は、男性の比ではないような
気がする。

何が彼女たちをカメラに走らせるのだろう?

一度だけ、当事者に尋ねたことがある。
僕のブログにもたまに登場する、徳島のsugarlessゆ~こさんだ。
彼女は、元々僕と同じ会社に勤めていた先輩だったのだが、当時は総務部に
配属されたいわゆる普通のOLだった。
それが今では、広告のデザインもディレクションも、そして、デザインプロ
ダクションさえも経営する才女として活躍されている。
趣味・・・いうよりも、半分仕事のようなスタンスかも知れないが、彼女も
30代になってから、カメラ、しかもデジタルが完全に主流になった現代において、
フィルムの一眼レフに魅せられてカメラ道をひた走っている一人なのである。

もう半年ほど前になるが、同業者ということもあり、彼女にメールでストレート
に質問をぶつけてみた。

すると、しばらくして返事が返ってきたのだが、そこにはアラフォー女性がカメラ
に走る理由がコンコンと書かれていた・・・ような気がする(笑)

実は、そのメールの内容を、僕は憶えていないのである(ゆ~こさん、ごめん!)

記憶力が悪いわけではない(と思う)。
おそらく、そこに書かれていた文面は、頭で理解できても、心では共感できなかった
からではないか、と勝手に推測している。

要するに、男と女の違いという、根本的なことまで掘り下げないと分からない感性が、
女性をカメラに走らせるのかもしれない。
上述したようにすべての女性ではなく、何らかの琴線に触れた女性が、どういう理由
かは分からないが、40歳前後、つまり人生の真ん中あたりになると、カメラで周囲の
人物や風景を撮りたくなるのかもしれない。

そうとしか、考えられない。

でもその一方で、こうも考えられる。
アラフォー世代でカメラに走る女性が、たまたま僕の周り多いだけだ、と。
つまり、彼女たちは僕と性格なり相性なり何かしらが合うからこそ、友達なのである。
ということは、僕を中心に据えて考えれば、センスや感性といった部分で、彼女たち
は同じようなセンスや感性の持ち主なのかもしれない。
もしそうならば、何かをきっかけに、自己の表現手段として一様にカメラを選択する
可能性は大いにある。

ここまで書いて、自分でもその可能性の方が高いような気がしてきた。
思い返せば、カメラに夢中になっている僕の女友達は、出自や生活スタイルは違えど、
僕から見れば、みんな、どこかしら似ているような気がする。
性格や容姿といったレベルではなく、それぞれが持っている空気とかオーラとか。
会話を交わしていると、なぜか元気をもらえる・・・というのも共通している。
そして、最も共通していることが、あともうひとつ、ある。

それは、みんな、前向きに生きている、ということだ。

上述した彼女たち7人は、みんな明るくて元気だ。
今の自分に自信を持って生きているように思える。
そんな女性たちだからこそ、自分の外部に敏感に反応し、それを写真という手段で
自分の内部に収めようとしているのかもしれない。

きっと、身体の内部にエネルギーが、あふれているのだ。

そして最後にもうひとつ。
そういう女性たちは、みんな一様に魅力的でキレイだということを、補足として
付け加えておく(笑)

(Photo by sugarlessゆ~こ)
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