林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

東京散歩日和~亀戸~・前編

2014-07-12 | 鉄道・旅行
7月6日日曜日に東京フリーきっぷを使って東武亀戸線の徒歩取材をした。
東武亀戸線はもともと本線として機能していた時代もあった路線である。
現在の東武鉄道の本線格は浅草から伊勢崎までの伊勢崎線であるが、
東武鉄道の最初の開業区間は1899年8月に開業した北千住から久喜までだった。
しかし東武鉄道は最初から吾妻橋を起点に考えていたようで、
さらには越中島までの延伸計画もあったが、なかなか認可が下りなかった。
1902年4月1日にようやく吾妻橋までの延伸が許可された。
この延伸の時に同時に申請されたのが曳舟から分岐して亀戸までの支線であり、
1904年4月に開業、当時は総武鉄道(現・JR総武線)に入り両国まで乗り入れていた。
これによって曳舟から吾妻橋までの区間は廃止された。
両国駅が東武鉄道にとっても起点駅となったのだが、
1907年9月1日に総武鉄道が国有化されると再び起点を吾妻橋に戻し、
旧吾妻橋駅(現・とうきょうスカイツリー)を起点として駅名を“浅草”とし、
1910年3月に旅客営業を再開、これに伴って総武線への乗り入れは中止された。
現在の起点の浅草への乗り入れは京成電鉄と競合した。
京成電鉄は自社に有利に免許が交付されるように政界工作し、
それが発覚して社長が逮捕されるなどの事件となった。
京成電鉄はこのことにより浅草乗り入れを断念して、
東武鉄道が1931年5月に旧浅草を業平橋に改称、浅草雷門(現・浅草)まで開業させた。
業平橋は東京スカイツリー開業に合わせ、2012年3月17日に改称された。

今回は東武亀戸線全区間3.4kmを歩いてみようと思う。
現在は地下鉄網の拡充で都心へのアクセス線というよりは、
地元の生活路線と行った様相である。
充当されているのは8000系2両編成であるが、
それでも元は本線格だったために曳舟に入る直前まで複線で敷設されている。
東武鉄道亀戸駅は島式1面2線のホームであり、
さらに終着駅であるためにホームからスロープになって改札に繋がる。



JR亀戸駅の北口から線路に沿って歩いて行く。
スタートしたのがちょうど7:30a.m.だったが、
駅近くにある亀戸の名店「亀戸餃子」では店主がちょうど出勤してきたところだった。
近くの踏切から亀戸駅を見る。



特に地図では確認しておらず、ただ線路に沿って歩く。
亀戸の隣の駅は亀戸水神である。



駅名の由来の亀戸水神宮は約200mの距離にある。
亀戸水神は大きく弧を描いて南北にホームが延びる位置にあり、
相対式2面2線で2番線側に駅舎があり、1番線ホームとは構内踏切で繋がれている。
次の東あずまに向かって線路沿いを歩くが、
途中に用水路があり、それを越えるのに苦労した。
近くには小原橋という橋があるのだが、改修中で橋桁はない。
丸八通りの橋の下に仮橋が設置してあった。
これを渡って漸く東あずま駅に到着する。



駅舎は2番線側に丸八通り側に向かって設置されている。
ホームは相対式2面2線で、構内踏切で結ばれている。
ここで亀戸線の漸く半分である。
コメント
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