rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

海と岩山の織り成す風景、リオ・デ・ジャネイロ

2013-12-15 23:33:54 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」かつてはブラジルの首都であり、今は第二の都市、リオ・デ・ジャネイロは、海岸まで迫る岩山と白いビーチ、青い海と空が作る絶景だ。
コパカバーナとイパネマの2つの世界的ビーチがあり、情熱熱狂のカーニバルが催され、ゴルドバーナの丘に聳え立つキリスト像が象徴的な有数の観光都市でもある。

世界的スポーツにもなったフットバレーはコパカバーナ・ビーチが発祥の地だ。
サッカー好きなブラジリアンだが、ビーチでのサッカーは危険として禁止されていたけれど、ビーチバレーコート内では足でボールを蹴ってもお咎めなしということで考案された経緯がある。
「必要は発明の母」!?
チジュカ国立公園にある標高520メートルの山頂エスチロ・ヴォー・リブレから、ハンググライダーで望むリオ・デ・ジャネイロの景色は迫力満点。
初心者でもインストラクターとタンデム飛行ができるので、この土地ならではの岩山と海のコントラストを堪能したいものだ。

それではグルメ。
メルカード・サン・ペドロは、豊富な種類の新鮮な魚介類を扱う魚市場。
ブラジルでは、輪切りにした魚を売るのが一般的。
市場内にあるレストラン「バー・ダ・レダ」で、この輪切りの魚を使った”ムッケカ”という伝統料理が食べられる。
ムッケカは、300年以上の歴史を持ち、トマト・ココナッツ・ニンニク・コリアンダーで作ったソースで輪切りの魚を煮込んで作る。
これにはごはんが必ずついてきて、ムッケカとご飯を混ぜて食べるそうだ。
「ガロータ・デ・イパネマ」は、ボサノヴァの名曲「イパネマの娘」が作られたお店。
それもとても有名だが、”ピッカーニャ”というイチボと呼ばれる牛のお尻の肉を岩塩のみで味付けし表面にさっと焼き目をつけたレアの状態で熱々の鉄板にのせて運ばれてくるものがある。
これは、お客が自分好みに肉を鉄板で再加熱して食べるスタイルで、日本のとあるファミレスでも取り入れていた。
ついで、スウィーツ。
カフェ「コロンボ」は、1894年創業のあーるヌーボー様式の老舗店。
”パステル・カイピリーニャ”は、ポルトガル由来のエッグタルトにライムとトウモロコシで作ったお酒で風味をつけたお菓子。
ライムの爽やかさにお酒のアクセントが大人のお菓子といった、往時の大人文化の名残りを感じる。

南国の眩い太陽と鮮やかな色彩にマッチしたファッションは、ラテンの陽気さを表現している。
「トーテン」は、元サーフィン・チァンピオンがデザイナーのファッションブランド。
太陽と海風に合いそうな、カラフルで軽やかな生地を使ったフェミニンなデザインが特徴。
「フランチェスカ・ロマーナ・ジアーナ」は、カラフルな石などを使ったシンプルでもパンチのあるデザインのアクセサリー・ショップ。
いづれも元気が出そうな感じがいい。

初めてリオ・デ・ジャネイロを強く意識したのは、高校生の頃。
夏休み、外国から一通の絵葉書が届いた。
なんとクラスメートからで、絵柄はイパネマの海岸風景だったように記憶している。
「ボサノヴァの・・・」と添え書きがあったが、当時ボサノヴァが何たるか知る由もなかったので、ただ地球の裏側のブラジルに彼女が行っていたことにひどく驚いていた。
ブラジルの風習に、友人宅から帰るときにやってはならないことがある。
それは、自分でドアを開けて帰るのは失礼に当たるということ。
招いた側がまた来て欲しいという願いを込めて玄関のドアを開け送り出すのが礼儀とされているからだ。
玄関のドアではないけれど、その葉書をくれたクラスメートとは、クラスが変わりその先の進路にあたふたしていたこともあって夏休み明けにお礼を言ったのが最後になった。
それから20年以上も経ったある日、旅行代理店のカウンターに座る女性に、彼女の面影を見た。
通りすがりだったので思い違いともいえるが、「旅行が好き」といっていた彼女なので、おそらく間違えないと確信している。
その後、どれほどの国と地域を旅したのだろうか。
颯爽とした彼女にあいたい気がする。
ほんとうならば、「またいつか会いましょう」といって別れるべきだったのだ。
だから、まだ私の心の中では話し足りなくて、彼女が帰るための玄関のドアを開けてはいないだと思う。