rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

手練なハエ  

2011-12-05 23:23:18 | 生き物たち
暖かい晴れた日には、布団を干したくなる。
まさに今日は、布団干し日和だった。
ベランダをきれいに掃除して、布団をめいいっぱいに干す。
陽射しを十分に浴びて軽くなった布団を、陽の傾きが60度になる頃の2時前には取り込もう。
ベランダに出てみると、ハエたちが布団の上で日向ぼっこをしている。
ハエも暖かいところがいいのだな。
布団を取り込み終え、窓を閉める。
すると、暖気を求めて入り込んだハエたちが、4~5匹天井に張り付いている。
夏目漱石は当てた文字のように、五月蝿い(うるさい)ので、ハエたたきで捕殺する。
ところが、それを上手く掻い潜ったハエが1匹いた。
それが今、部屋の中で時折飛び回っている。
しばらく黙殺していたが、やはり気になる。
そこで、ハエたたきを取り出してやっつけようと思った瞬間から、何処にいるのやら姿をくらましてしまう。
殺気を感じ取ったのか?
少し身構えてみて、埒が明かないので、一時止めてみる。
チョットの間をおいてから、ハエはまた飛びまわり始める。
その繰り返しをして、やっと、いま、カーテンに止まったところを仕留めてきた。
なにやら、武士の真剣勝負のようだ。
相手の殺気を読み、自分の出方を計る。
ううむ、手練なハエだった。
勝負はついたが、もう少しで根負けしそうになるところであった。


キャベツフィーバー

2011-12-04 23:50:42 | 食べ物たち
畑でキャベツが大きく育っている。
今日も、ごろりと1個、母から手渡された。
でも、冷蔵庫の野菜室には二分の一のキャベツが1つと四分の一のキャベツが、まだ残っている。
昼にキャベツの千切りサラダを食べても、大して消費できない。
それならば、やっぱりシュークルト・ガルニしかないでしょう。
夕食は、これとジャーマンポテトとトマトソース・パスタに決まりだ。
ドイツとイタリアの共演。
テーブルの上は、なんだか料理で満たされた。
野菜が幅を利かすメニューは、我が家の定番。
みんなそろっての食事は、やっぱりいい。
ああ、満足満足。
さて、キャベツは如何ほど減ったのか。
今日のキャベツまるまる1個と前回の六分の一個分。
また近日中に、野菜炒めか回鍋肉あたりにでもしようかな。
採れたてキャベツは新鮮で、しゃきしゃき瑞々しく、そのまま食べても甘みとほんのり辛味があって美味しい。
畑の野菜は待ってはくれないから、毎日のように食卓に上るようになるけれども、存分にその生き生きとした命を頂こう。
キャベツフィーバー、大歓迎だ。

奇想の画家アルチンボルドの錬金術

2011-12-03 23:53:28 | アート
 春 (ルーブル蔵)

「美の巨匠たち」奇想の芸術、アルチンボルド編。
16世紀に活躍したマニエリスムの系譜、イタリア人画家で、ウィーン:パプスブルク家の皇帝に仕えた。
様々なものを組み合わせて描いた肖像画風の絵で、象徴と寓意を盛り込んだ、当時としては奇想天外な絵を次々に世に送り出した。
3代の皇帝に仕えた中でも、マクシミリアン2世の治世に描いた4枚連作の”四季”は、いたく皇帝に気に入られ、ヨーロッパ各国に複製画を寄贈。
そのうちの一連作が、フランスのルーブル美術館に所蔵されている。

番組では、アルチンボルトの時代、錬金術が流行っていて、その思想がこうした奇想の絵を生み出すきっかけの一つになったのではといっていた。
それは、普通のものを完全なものへと変化・精錬させるという考え方だ。
ならば、アルチンボルドの絵は、なかなかうまくそれを成し果せたのかもしれない。
”春”は、春に咲く花々を使い、人生の春を象徴する少女の肖像画を描き、”秋”ならば、円熟した壮年の男性像に仕立てるというように。
また、当時のヨーロッパにおいて広大な領地を治めた神聖ローマ帝国に産する様々なものを使うことでも、国家の威信と宣伝を兼ねた。
あとは、”四台元素”の4連作とも対を成す構成になっている。
”春”は”大気”、”秋”は””大地”の組み合わせだ。
このような意味づけも、見た目の奇抜さで、子供遊びの落書きの延長上としか見られないかもしれない。
いや、それこそが、錬金術という、いかがわしくも科学に目覚めた時代精神ではないか。
その精神を持って、アルチンボルドは、真面目に遊んで描いた画家なのだと思う。
ただの真面目は、行き詰まり、柔軟な思考を阻むだろう。
一見、無謀でくだらないという思いつきが、次なる局面を展開してくれることは、意外とあるのだ。

あるものを見立て、違うものを引き出し置き換える、このような遊び感覚は、文化の爛熟期に出現する。
以前書いたが、歌川国芳の”寄せ絵”も、アルチンボルドに通じる。
そうだ、”見立て”は、文人の言葉遊びとして、日本に根付いている。
落語では、扇子や手ぬぐいが、いろいろな小道具として見立てられ使われているではないか。
アルチンボルドは、まだ見立て方に硬さがあるかもしれないが、当時のヨーロッパではかなり異端だったのではないだろうか。

遊ぶ、真面目に楽しく遊ぶ、柔軟な思考を持つことは、大切だと思った。
特に、いらないもの代表格の芸術にとっては、それが生命力なのだから。

 秋 (ルーブル蔵)

丘陵地に造られた古代ローマの街並み、ローマ:ヴァチカンから東へ

2011-12-03 00:04:54 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」イタリアのローマ。
ヴァチカン市国とローマを結ぶサン・タンジェロ橋は、テベレ川に架かり、ベルニーニの彫刻で飾られている。
17世紀に活躍したバロックの巨匠ベルニーニは、時のローマ法皇に「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにある」と言わしめたほど、ローマには彼の彫刻が溢れている。
サン・ピエトロ寺院の広場は、ベルニーニの設計によるもの。
広場を囲む回廊の四重に並べられた372本の円柱は、広場のある一点以外から見ると重なり合って壁のようになり、その一点からはみると、前後の柱が重なって、外の空間が見渡せるようになっている。
それは、”閉ざされた空間”と”開かれた空間”を両方表現することによって、神の救いと神への祈りは本来開かれたものであるというメッセージが込められているという。
また、ローマ市中にある噴水にも、ベルニーニの彫像が使われている。
”プロセルピナの略奪”の彫刻に見られるように、ベルニーニの彫刻は、肉体に食い込む指や流れる涙からもわかるが、非常に肉感的で表現が誇張されている。
大都市に相応しい、大胆かつ躍動感溢れ、ロマンティシズムもある。
まさに、ローマが、ベルニーニ美術館といった具合だ。

ベルニーニの”四大河の噴水”があるナボーナ広場から東に向かうと、世界最古のアーケード街の”トラヤヌスの市場”の遺跡を通り抜け、モンティという地区がある。
モンティとは、”小高い丘の上にある街”という意味で、古代ローマでは、湿地地帯だったところにある丘の上に街を築いた、そのままの名称。
その昔ここは貧民街だったが、今は庶民の街、しかもアーティストやおしゃれ系の人たちに人気なのだとか。
以前より住む人にとっては、需要と供給の関係で家賃が値上がり、少し迷惑そう。
どの路地も石畳が引き詰められ、壁はネイプルスイエローやジョンブリヤンなどの落ち着いて明るめの黄色からオレンジ色にかけての色で塗り分けられている。
そこに、観葉植物を飾ったり、壁にツタを這わせたりして、不足している緑を補う工夫をする。
とある肉屋の壁は、ぐるりとツタに被われ、見事だった。
店主の説明では、彼の父親がもらったアマゾン土産のツタを植えたのがきっかけだという。
モンティ地区で見かけるツタの大本は、この肉屋が元祖ということだ。
ある絵描きの家の前にも、まだ若いツタが植えられていた。
”げんかつぎ”として植えたらしい。
彼いわく、「ツタの石壁に諦めずその身を這わせていく姿が、諦めないで続けて行けばいつかきっと夢が叶う」と思うからだとか。

石畳といえば、その歴史は古く、大々的なものとして、紀元前320年にできたアッピア街道が有名。
イタリア半島の南にあるブリンディジまで続く、軍隊などを効率よく移動させる為に70センチあまりの大きな石を中央盛高にして水はけをよくした、世界初の舗装道路。
その道には、1.5キロメートルを1マイルとしたマイルストーンが、設置されている。
土木はローマにありといわれるのも、大きくうなずけるのであった。

ローマには、猫コロニーが、市内4箇所の遺跡を使って設けられている。
かつて、猫はローマの守り神として珍重されていた。
それが今では、野良猫として街を徘徊している。
そこで、「猫はローマ市民と同等の権利を持つ」という条例を制定し、野良猫の保護地区を作り、ボランティアたちが面倒を見ているのだ。
それから、”猫カード”があり、持っているとエサが10パーセント割引になる得点付き。
おそらく、昔、ネズミが媒介する疫病ペストの防止として、猫を飼うことが奨励されたのだ。
衛生的になった現代では、猫の役割はなくなったのかもしれないが、猫にしてみれば人の都合に翻弄されるのは、大きな迷惑だ。
猫コロニー、人間の恩返しといったところだろう。

今回のモンティ地区は、25年前のローマの面影を残していたように思う。
懐かしく、今すぐに飛んで行きたくなった。
ローマは永遠の都にして憧れなのか。
ナボーナ広場近くのピッツェリア、まだあるかしら。
どうか、ローマよ、その姿をいつまでも留めておいておくれ。

心を癒す、レム睡眠

2011-12-01 23:19:06 | 随想たち
”レム睡眠には、心を癒す効果がある”との研究成果が、最近発表された。
これについては誰しも、経験的に思い当たると思う。
体はもちろんのこと、心が疲れたり辛かったりしたとき、眠って回復しようとする。
たいがい、眠ると心の疲労が幾分軽減しているものだ。
しかし、辛かった体験の夢を見た場合、起きた後、さらに疲れが増しすことがある。
それでも、眠りにつけただけまだましなのかと、自分を慰めることもできる。

困るのが、あまりの疲労で眠れない場合なのだ。
眠れないから、レム睡眠での記憶の整理や統合が阻まれ、心の疲労が蓄積されてしまう。
それが度重なると、鬱に突入してしまうのだろうと、ヒヤリとしたことがある。
ただ本当に幸運なことに、そこには至らなかったが、本来持っている自己防衛本能、つまり”眠り”機能しなくなったら、どんなに辛いことか。

今、大人はもちろんのこと、子供たちも、睡眠を十分にとることが難しくなっている。
習い事や、塾に部活動・・・毎日過密スケジュール状態だ。
子供だって、一日のうちに好きなゲームをしたり、テレビなどを見て、気分転換がしたい。
そうすると、睡眠時間を削らないと、その時間を捻出できない有様なのだ。
また、少子化の影響で、学校の統合が進み、通学にかなりの時間を割く子供達がいる。
徒歩通学で、一時間弱かかる場合もあるが、子供同士での集団登下校ならば、その時間は無益ではない。
子供社会のコミュニケーションが生まれ、あるいは、通学路周囲にある自然や風物にふれたり、ぼんやりと考えることもできる、大切な時間でもある。
でも、スクールバスで長時間巡回するとき、親の自家用車での送迎はさらに、無益な時間になる危険性がある。
そこに追い討ちをかけるように、過密な予定。
最低6時間の睡眠時間を確保できている子は、どのくらいいるのだろうか。
6時間睡眠といっても、ベッドに入ってから起きるまでの間が6時間と思ってはいけない。
電源スイッチを切るかのごとく、瞬時に睡眠に突入できるとは限らないのだから。
ましてや、成長期なのだ、さらに1~2時間プラスが好ましいだろう。
理想の眠りは、するりと眠りに付き、ゆっくりと自ら目が覚めるものだと思う。
目覚ましや、目覚ましでも起きられずに親などによって強制的にたたき起こされては、よい睡眠を得られたとはいえないだろう。

体ばかりではなく、心を健やかに保つためにも、十分で質のよい睡眠が望まれる。
だから、心が疲れすぎないように、少し弱ってきていると感じたなら、気分転換と睡眠をとろう。
自分達を取り巻く環境が、なかなかそうさせてくれなくても、自分を守るためには、何かを切り捨て、眠るしかない。
もし、家族友人に、疲れている人がいたなら、ゆっくり眠れる環境を用意してあげよう。
まずは、備わっている自浄作用を活かすことだと思う。
眠れるうちは、大丈夫・・・ということで。