椅子の上の貧ちゃん 9/3/2014
これは貧ちゃんこと家人のニット帽である。
家人と貧ちゃんの馴れ初めは、今を遡ること27年前、家人がまだ初々しい好青年であった頃、ユニーのワゴンセールでのことだった。
それから冬になると貧ちゃんは家人の体の一部となりベルギー遠征の心強い友となり、今も現役続行中だ。
そのニット帽が貧ちゃんと名付けられたのは、子供が観ていたアニメ「おじゃる丸」に登場する満願神社に住み着いた貧乏神”貧ちゃん”の風貌と醸し出す雰囲気が家人の帽子と重なることを二人して認め合ったことに由来する。
そしてほぼグレーで統一された家人の服装が、より貧ちゃんを貧ちゃんたらしめる効果を持っていたことも付け加えよう。
しかし、貧ちゃんはけっして疫病神などではない、愛すべき貧ちゃんなのだ。
重い病気を患うものが家族にいなく、厄介な問題も抱えていない、さらに一銭の借金もない、食べるに事欠いたこともなく、これはかなり幸福度が高いといえるだろう。
ただ、お金持ちでないだけだ。
おじゃる丸の貧ちゃんは、満願神社を繁栄させることはしなくても、小さき者たちが集う憩いの場として滅亡させはしないのだ。
その貧ちゃんが、最近姿をくらました。
失くし物大王の家人だからまたどこかに置き忘れたのだろうと家人の行動範囲を丁寧に探しあたってみてもどこにもなかった。
それでもきっとどこかにあるだろうと様子を見ていたら、なんと散々探しなおかつ皆が集う居間の椅子の上にポンとのっているではないか。
突然出現した貧ちゃんに、家族皆が驚いた。
貧ちゃんの姿が見えなくなったのは、シャーマンから電話のあった日の夜から。
あの電話はもしかすると貧ちゃんがシャーマンに信号を送ったからなのだろうか。
それとも大いなる力が作用して、貧ちゃんが霊媒の役を仰せつかったのか。
オカルトのような話だが、不可知のものを否定できる根拠もないと思うので、それを一つの人生のエッセンスとして捉えてもいいような気がする。
貧ちゃんが戻ってきたことで、通常通りの気分になりほっとした家人、そして私なのである。