ライトノベルセレクト・144
『車上狙いエルメスのブーツ』
大阪は三年連続で、ひったくり、車上狙いが、全国で一位である。
「この悪しき記録を書き換えるために、各所轄におかれては、粉骨砕身されたい!」
年頭に当たり、府警本部長は六十人あまりの府内の署長を集めて訓辞した。そして、座る直前に、府内ワーストワンのN署長の顔を見てしまった。
「こんなとこで、見るやつあるか……ほれ見てみい、マスコミが、みんなワシの顔撮りよるがな」
N署長は苦り切った顔になった。
ケタクソ悪いことに、暇なテレビ局が署まで付いてきそうな気配である。いずれ署に着くまでの路上でインタビューされることになるだろう。
それなら、いっそ見場の良いところでと、近場の神社に駆け込んだ。
むろん、ひったくり車上狙い全国一の大阪の中のベストワンの汚名返上祈願のポーズである。
案の定、付けてきたマスコミへの対策であり、マスコミも目論見通り、N署長に同情的な記事をかいてくれた。
だが、署長は気づいていなかった。そこが護国神社であったことに……。
ヒロヤンは、車上狙いの実力では、大阪のベストスリーに入る。今年こそ、大阪でベストワン。つまり全国一のツワモノになってやろうと、近所の神社にお願いに行った。
ヒロヤンも、それが護国神社であることには気づかなかった。なんせ神社の名前は「護國」と旧字を使ってあり、ヒロヤンは正確には読めなかった。
ヒロヤンの手口は、もう芸の域である。
あらかじめ監視カメラの有無、また監視カメラがあったとしてもダミーか本物かの区別は一発でついた。狙う車も、ちょっとの間だと油断して、ロックもしないでアイドリング中のを狙う。たとえ電子ロックしてあっても、自分で開発した電子キーを使えば二三秒で解錠できる。マニュアルキーであれば、ほとんど触れただけで鍵が開けられる。
用心は車載カメラであるが、強烈な電磁波でカメラの機能を停止させてしまう。従って、彼の姿は警察も、業界の中でも知るものがいなかった。
その日も、カメラがダミーであることを確認して、一台のセダンを狙った。
まるで、持ち主が忘れ物を取りにもどったような気楽さで座席の茶色い革鞄を取った。
仕事を終えて車から出ると……世界が一変していた。
「広崎、獲物はあったようだな」
かがんだ姿勢で、エルメスのブーツを履いた男がニコニコしていた。
「は……」
ヒロヤンはあっけにとられた。エルメスのオッサンは警察とは違うカーキ色の制服を着てヘルメットを被っている。出された手に、ヒロヤンは素直にカバンを渡してしまった。
「やったぞ、広崎。敵の戦車中隊が、この丘の向こうにいる。もう一働きだ」
気づくと側にエルメス以外はオッサンと同じナリの男が二人。そして驚いた事に自分も同じナリをしていることであった。
「じ、自分は……」
そう言いかけて、別の人格になっていくのに抵抗できなかった。
「自分は、最後列のM4が最適だと思います。輪形陣ではありますが、ここが一番気が抜けています。むろん鹵獲防止のロックはされているでしょうが、二秒もあれば解錠できます。問題は……」
「いかに、敵の注意をそらしておくかだな」
エルメスは、そう言うとアメリカ兵のヘルメットをみんなに配った。
「丘の向こうで、敵の動きがある」
エルメスは、流ちょうな英語でアメリカ兵に語りかけた。日本人離れした高い身長の者が二人、ヘルメットのシルエットで、見張りの米兵二人は丘の方に視線を向け、その隙に二人の日本兵が米兵に足払いをかけ、転倒したところで、首の骨を折って即死させた。
「西大佐、OKです」
広崎上等兵が言うと、三人は、ごく自然に戦車に乗り込んだ。エルメスの西大佐は、手榴弾三個を結んだものを輪形陣の真ん中に投げ込んだ。
手榴弾の爆発音と共に、エンジンをかけ、英語でエルメス西が叫んだ。
「一号車が敵に鹵獲された!」
そう言うと、いかにも慌てた風に、一号車の横の二号車を撃破。
「間違うな、鹵獲されたのは一号車だ!」
と、無線で、各車両に呼びかけ、混乱した中隊の中を駆け回り、次々と中隊九両のうち七両を撃破。海岸に向かって夜明けを待ち、弾薬集積所に榴弾をぶち込み米軍を大混乱させ、昼までに敵の戦車や火砲を二十あまりを撃破したのち、敵の集中砲火を受けて戦車ごと吹き飛ばされてしまった。
これで、歴史が、ほんの少し変わった。
硫黄島の玉砕は一日遅れ、七十年後の大阪の車上狙いは、全国一から二位にダウンした。