イスカ 真説邪気眼電波伝・31
『マトリックス』
魔物やモンスターばかりの一日だった。
学校に着くなり時間が停まっていてドラゴンと戦うハメに、昼には三宅先生に取りついた魔物と命のやり取り。気のいい佐伯さんまで巻き込んでしまった。パラレルから飛ばされてきた三宅先生は、ここがパラレルだとも気づかず、海水に入れられた淡水魚のように死んでしまった。やっと落ち着いた帰り道、危うく愚妹の優姫に化けた土くれに化かされるところだったが、イスカの機転で大事に至る前に退治することができた。
「なによ、人懐っこい顔して」
脱いだ靴を揃えているイスカをシミジミ見てしまった。
「え、あ、いや、ごめん」
「気持ちは分かるわ、大変な一日だったものね。我が家の温もりに、思わずシミジミしたのよね……その安堵感の何割かがわたしだったら嬉しい」
「めがね……」
「え?」
イスカが眼鏡をかけていないことに気づき、イスカも、いま初めて気づいた様子だ。
「あ、バトルが続いたんで無くしちゃったかな……」
言いながらマジシャンのように手を回すと眼鏡が現れた。
「眼鏡無いのもいいよ……」
「ハハ、そんな惜しそうに言われたら掛けられないわね」
他愛のないことを言いながら部屋のドアを開ける。
玄関に入ってきた時以上の温もりを感じてベッドに直進して横になってしまう。
「ごめん、すぐに起きるから……」
「いいわよ、わたしもなんだか……」
イスカもオレの横に並んでしまう。オヤオヤとは思うんだけど、こんなにリラックスできるんだ、当然か。
「しばらく起きれないかも……」
「いいわよ、わたしが起こしてあげる……」
そう言いながら、イスカは気持ちよさそうに目を閉じてしまう。
――ま、いいか――
いろんなことがあり過ぎた一日だ、少しくらい自分を甘やかしてもいい……。
目を閉じると、ごく小さいころにお袋の膝で眠ってしまったような懐かしさになる……いや、まるで子宮の中にいるような安心感だ。
「お茶が入りました……」
優姫がお盆にお茶を載せて入って来た。優姫も、いっそう優し気だ。
その優しさは、家の優しさと結びついて……オレも家と同化してもいいという気持ちになる。
机にお茶を置く優姫は、羨ましくも同化が始まっていて、部屋のあちこちから伸びてきた菌糸がくっ付き始めている……ああ、出来かけの繭の中の蚕って……こんな感じだったよな……小学校でみた学習映画を思い出した。
ビチ ビチビチビチビチビチビチ!
ガムテープを剥がすような音をさせてイスカが起き上がった!
髪や制服はベッドと一体化し始めていて、何百本かの髪と制服の破れが持っていかれたが、半裸になったまま優姫に跳びかかった。
「油断していたああああああああああああああああああ!」
ネバネバのまま優姫に跳びかかると、ネチャネチャ音をさせながら取っ組み合いになり、やがて右こぶしを千枚通しのようにして優姫の頭を刺し貫き、溶けかけのゴム人形のように頭を引き抜こうとした。
ネチョーーーーーーブチュ!
名状しがたい音をさせてくびが抜けた。
「逃げるわよ、掴まって!」
ごきぶりホイホイに掴まった仲間を助けるようにオレを引き剥がしにかかるイスカ。
「い、い、痛い! いててて! 痛えーーーーーー!」
ブチョ! ズブズブズブズブブブブブブーーーーージュポ!
イスカの頑張りで、抜け出したのは、ついさっき夕焼けを愛でていた切通だ。
家の方を振り返ると、そこには巨大な、それこそ家ほどの大きさの肉塊、それが断末魔に身を捩っている。
「マトリックス……」
イスカが、ちょっと昔の映画のタイトルを呟いた。
「え?」
「子宮って名のモンスターよ……多分、今日一日のことはあいつが仕組んだことよ……何度も痛めつけて、最後は得物が安息を求めるところまで疲弊させて、最後には自分の中に取り込んで生まれ変わらせる……あのままいっていたら、ルシファーの下僕にされていたわ……危ないところだった、ほんとうに……」
そう言うと、イスカはオレにしなだれかかって来た。
エネルギーが不足してきたんだ。もう分かっていたから、イスカのするに任せてやる。いや、オレの方からも腕を回して抱きしめてやる。もう、何度もやったエネルギーのチャージだ……と思っていたら、イスカの体がめり込んできた。
出来の悪いCGがポリゴン抜けをするのに似ている。
「ちょっと間に合わなかった……」
残念そうに言うと、まるでHPを完全に失って、最終セーブポイントまで転送されて行くプレイヤーのように儚くなっていった。
「イスカ……」
イスカの姿もマトリックスも切通も消えて行ってしまった。
そうだよ、オレの近所に見晴らしのいい切通なんかねえもんな……。