ライトノベルセレクト
『幕があがる』
幕があがった。こんなことは初めてだ。
「幕、どうしたんだ?」
顧問の岡山が、密かに、でも心配げに楽屋にやってきた。
幕とは、この四月から三年になり演劇部の大黒柱になる幕内順子のことである。
通称「幕」 下級生からは「幕先輩」と慕われ、同輩からは「高校演劇の幕内力士」と頼りにされ、先輩や顧問の岡山からは絶大な期待が寄せられている。
その証拠に、国営放送局が朝の連ドラのヒロインにと打診までしてきた。しかし、幕は傾き始めている高校演劇を微力ながらも支えたいと、プロになることは拒み続けてきた。
幕のS高校は、今まで、コンクールで地区予選に落ちたことが無い。都下でも有数な実力校であった。
脚本は生徒作であったりするが、実際は顧問の岡山が書いている。
幕は、そこに僅かな不満と言うか、心配があった。幕を入学以来主役や準主役で使ってくれるのはありがたかった。でも口に出して言ったことはないが、岡山の本は思い込みと思い付きだけで書かれた本で、ドラマの肝心なところで矛盾や飛躍があり、台詞も説明的なモノローグが多かった。でも、幕以外の生徒たちは岡山を信頼しきってここまで来た。軽々と異を唱えることはできなかった。
今回の芝居は東日本大震災による原発事故がモチーフになっている。
「わー、寄るな触るな、放射能が伝染する!」
幕が演じる少女は、家庭事情で東京に転校してくるが、周りの子たちからは、そんな風にイジメられる。しだいに無口に、不登校になっていく少女。やがて昼夜が逆転し、夜に外出することが多くなる。
夜の公園にいくと、いろんな年代の子供たちの姿が見える。
いつのまにか、その幻のような子たちと話ができるようになる少女。
「あ、ミカちゃんじゃない!?」
子どもの一人が、そう声をかけてきた。
「あ……サキちゃん!?」
少女は信じられなかった。それは震災で津波に飲み込まれた親友のサキちゃんだった。サキちゃんの遺体はまだ見つかってもいない。
その夜の幻想と、昼の現実がカットバックのようにして進んでいく。
夜の幻想の世界では、友達が増えていく。その中には世田谷の交通事故で亡くなった子もいた。その子が言う。
「ミカちゃんは、生き残ったことが後ろめたいんだよね。だから暗くなって不登校にもなるんだ」
「あたしが震災で死んだのも、世田谷の交通事故で死んだこの子も『死』においては、いっしょだよ。そんなこと気にして暗くなってるからイジメられたりするんだ。もっと明るく毅然として自信を持ちなさいよ!」
そして、少女は夜の子供たちに励まされる。
「あたしに放射能なんてないわよ。なんならこのガイガーカウンターで調べたら。職員室で借りたものだから正確だよ」
少女は、そう言って昼の子供たちに宣言。昼の子供たちも納得して少女に詫びて大団円のカタルシス。
幕は、この戯曲を初めて読んだ時から違和感があった。
――これは違う――
放射能によるイジメは似ているが、こんなんじゃない。根っこのところで作り物だ。
それに、震災で生き延びた人は、こんな負い目を持っているんだろうか。フィールドワークもしないで、軽々と設定していい話じゃない。
震災による死と、交通事故による死は同列には考えられない。
「先生、この芝居。カタルシスにもっていくために書かれたんじゃ……」
「ああ、そうだよ」
意外な返事だった。幕は否定してほしかった。岡山への最後の信頼の糸が切れてしまった。
「それが、どうかしたか?」
「いいえ、先生と話せて自信がもどってきました」
半ば条件反射、半ばみんなへの気遣いで、岡山が喜ぶような返事をしてしまった。
幕が上がる……卓越した集中力で幕は役の中に入っていった。順調に舞台は進行していった。
そして、最後の台詞。
「みんな、ありがとう!」
が出てこなかった。
舞台は、幕を中心として沈黙になってしまった。下手の袖からプロンプの必死の呟き!
幕は、責任感と違和感がないまぜになって、なぜか涙が溢れてきた。
涙は嗚咽になり、大号泣になってしまった。
そして、観客席からは割れんばかりの大拍手。
「いやあ、岡山先生。こんなどんでん返しがあるとは思いませんでしたよ。台本通りだと陳腐な芝居になるところでしたからね」
「あの主役の幕さんのタメと号泣は凄かったですね。あれで弛んだ芝居がいっぺんに引き締まりました。かなり高等な演出ですなあ!」
審査員はべた誉めで、予定通り最優秀賞がもらえた。他に生徒たちが選ぶ地区賞(ちくしょー、に掛けてある)も、個人演技賞ももらった。
「岡山先生」
「うん、なんだ主演女優?」
「ちょっと具合が悪いんで、本選はアンダースタディーのアンちゃんにやってもらってください」
同時に幕は退部届を出した。
「では、おせわになりました。失礼します!」
「おい、幕ー!!」
幕は二度と演劇部に戻らなかったが、卒業後国営放送のヒロインに抜擢され、その後映画でも成功をおさめた。
「いやあ、もとから力のあった子ですから」
岡山は、謙遜を装って、マスコミに言った。
「今のわたしがあるのは、高校時代の岡山先生のおかげです」
国際的な金龍賞を受賞したとき、なんの躊躇いもなく幕はそう答えた。