学校時代 04
1970年の安保改定を前にした二三年、全国的に学園紛争の嵐が吹き荒れました。
大学の正門やピロティーにベニヤ製のパネルに独特の書体でスローガンやアジ文が書かれて、何枚何十枚と立てかけられていました。ヘルメットにタオルの覆面、ハンドスピーカーでアジ演説しながらアジびらが配られ、時にはカンパの募金箱。
学生会館やクラブハウスには学校はおろか学生自治会の人間も立ち入れません。講義中にメット姿の活動家学生が乗り込んできて、講義を中断して演説したりカンパを募ったり。意に沿わない教授をつるし上げたり、大衆団交をやって高齢の学長や女子学生が倒れて救急車を呼んだり、とりまいたり。ストをやったりピケを張ったり、学内デモをやったり、騒然とした数年間でした。
これを高校でもやっていました。
制服の廃止、進路別学級編成の反対、生徒の職員会議傍聴要求、中教審答申の反対声明の要求、食堂の値上げ反対……。
要求は様々でしたが、今から思うと無理難題やイチャモンでありました。
簡単に言えば、カッコいい大学生の真似っこでありました。正門横に張り出されたアジ看板は、向かって右が見事な東大風、左が京大風です。
ある高校では、制服は非人間的な画一化教育の現れであり、廃止すべきと生徒たちが要求しました。
そもそも詰襟は、明治日本の軍服が元になっている! セーラー服は水兵服だ! 制服で学校が知れてしまう! 高校生にファッションの自由を! まあ、いろんな理屈がありました。
結局、その学校は次年度からの制服を廃止しして私服に変えましたが、新入生の大半は自由購買になった旧制服を着て入学式に臨みました。
どういうルートがあったのか、国連で「わたしたちは、こんな制服を強制されているんです!」と演説する機会を得た高校生たちが居ました。
「そんなに良い制服を着られて、どこに文句があるのか?」
「クールじゃない、制服があったら、毎朝着るものに苦労しなくて済むんじゃない?」
世界は大半、そういう反応でした。
その学校は今世紀に入って再び無事に制服に戻りました。
ある学校では、進路別学級編成を教育差別だとして、半年にわたる紛争になりました。校内のあちこちで討論集会や生徒集会、あるいは大衆団交が行われ、その都度授業がストップしました。ガラスが割られ、空き部室が活動拠点として治外法権になり、酒やたばこも持ち込まれていました。
学校は手を出せません。手を出せない学校を活動家の生徒たちはバカにして、ほとんど授業にも出なくなりました。
夏休みを挟んで、朝夕が涼しくなると、多くの生徒が冷めていき、活動家の生徒たちも正気に戻って自分の進路が心配になってきました。
あっさりヘルメットを捨てて、進路相談のために進路指導室に通うようになりました。相談相手は徹夜の大衆団交でドクターストップのかかった進路指導部長。「こんなことをやっても、学校のためにも君らのためにもならない!」と叫んでいた先生に「反動!」「ナンセンス!」と封じてきた生徒君ですが、先生は咎めません。むろん、生徒も「すみませんでした」の一言もありません。
ノンポリの大学生の兄に見てもらった書類は完璧な内容でした。生徒は内心『どんなもんだ』とつまらないプライドを守りました。ありがとうございましたの一言も言わずに席を立ちました。
「あ、ひとつだけねえ」
「なに?」
「内容には問題ないがね、その字はだめだよ。アジビラの書体でしょ、書き直した方がいいよ。ま、君の自由だけど」
そいつは、近場の京大に通って一年がかりで書体を身に着けたのですが、なかなか元に戻らず、それが原因なのか、志望校は全て落ちました。