泣いてもω(オメガ) 笑ってもΣ(シグマ)
マッジさんに来てもらえないかしら。
一通りマッジさんのいきさつを説明すると、木田さんは胸の前で小さく手を合わせた。
四月の下旬に、学校で『ミサイル着弾を想定した避難訓練』が行われ、木田さんは負傷してしまった。
その木田さんを助けたことで、木田さんのお祖父さんがお礼に来られた。
木田さんのお祖父さんは徳川家友と言う名前で、盾府徳川家の当主。
世が世ならば侯爵家、貴族院の議長でもやっていようかというようなエスタブリッシュメントだ。
木田さんは、その嫡孫、すなわち盾府徳川家のお姫様。未成年のうちは母方の姓を名乗っているが、ゆくゆくは盾府徳川家を相続するお姫様なんだそうだ。
そのお姫様が、誰も居ない生徒会室とはいえ、困った表情で手を合わせているんだ。正面から向き合わざるを得ない。
「父の代から勤めていてくれていたメイドが辞めてしまったの……」
学校に通う都合で、木田さんは別宅に住んでいる。
身の回りの世話は、住み込みと通いのメイドさんがやっているそうなのだが、住み込みのメイドさんが身体を壊して辞めてしまったのだ。
低血圧の木田さんは、遅刻せずに起きるのが精いっぱいで、自分の身の回りのことも不自由になってきているらしい。
「通いのメイドも居るのだから、なんとかなると思っていたんだけど、ちょっともう限界で……それで、こないだマッジさんがお弁当届けに来たじゃない。窓から一部始終を見て、こんなメイドさんに来てもらえればと、そう思ったの」
「分かった。マッジさんも来日早々勤め先のお宅が火事になって困っていたんだ、結論は話してみなきゃ分からないけど、双方にいい話なんじゃないかな」
「ほんと?」
「おそらく」
「嬉しい、相談してよかったあ!」
木田さんはバネ仕掛けみたいにジャンプして俺の手を握った。
フワッとシャンプーだかのいい匂いがして、クラクラした。
「だ、だいじょうぶ?」
「ドンマイドンマイ」
いそいで取り繕う。こういう時に、俺のω顔は人に安心を与える。
「まことにありがとうございました」
マッジさんが慇懃に頭を下げる。こういう動作にもリアルメイドの気品が漂う。
盾府徳川家本宅に挨拶に上がった帰りだ。
本宅は江戸時代の上屋敷で、終戦後手放したのをお祖父さんの事業拡大に伴って買い戻したものだ。
面積は半分になってしまったらしいが、それでも都心の小学校程はある。
「これなら、マッジさんが言ったように、マッジさん一人でも来れたね」
「いいえ、右も左も分からない東京です、付き添ってくださって助かりました」
謙遜なんだろうけど、マッジさんは行き届いた人だ。
マッジさーーん!
すでに遠くなった門の方から木田さんの声がした。
「おじい様もとても喜んでくださったわ! わたしったら舞い上がっちゃって、お話もできなくて、よかったら別宅の方見てもらえないかしら?」
「あ、それは、こちらこそ」
「じゃ、決まりね。妻鹿君も来てくれるでしょ?」
マッジさんが一瞬俺の顔を見る――乙女心です、いらしてください――と言っている。
こういうのは苦手なんだけど、マッジさんの思うことなら間違いはないだろうと思ってしまうから仕方がない。
「うん、行かせてもら……」
そこまで行った時にスマホが鳴った。画面はシグマからの着信を知らせていた。
「おう、俺だけど……」
気楽に出た電話だったが、シグマの声はこわばっていた。
『すみません、い、今から会えませんか……いえ、会って欲しいんです……神社で待ってます』
シグマの、こんな声は初めてだ。
どんなフラグかは分からないが、放置していい声じゃない。
「分かった、鳥居の前な、すぐに行く!」
何かあったんだ! 二人に挨拶もせずに駆けだした。
表通りに飛び出したところで、視野の片隅に大きな影が膨らんだ。
それが流行りのSUV(スポーツ用多目的車)だと気が付いた瞬間、俺の体は宙を飛んだ。
梅雨にしては青い空だ……そう思って、意識が切れてしまった。
※ オメガとシグマ第一期終わり 第二期に続きます
☆彡 主な登場人物
- 妻鹿雄一 (オメガ) 高校三年
- 百地美子 (シグマ) 高校二年
- 妻鹿小菊 高校一年 オメガの妹
- 妻鹿幸一 祖父
- 妻鹿由紀夫 父
- 鈴木典亮 (ノリスケ) 高校三年 雄一の数少ない友だち
- 風信子 高校三年 幼なじみの神社(神楽坂鈿女神社)の娘
- 柊木小松(ひいらぎこまつ) 大学生 オメガの一歳上の従姉 松ねえ
- ミリー・ニノミヤ シグマの祖母
- マッジ・ヘプバーン ミリーさんの知り合いの娘 天性のメイド資質
- ヨッチャン(田島芳子) 雄一の担任
- 木田さん 二年の時のクラスメート(副委員長)
- 増田汐(しほ) 小菊のクラスメート
- ビバさん(和田友子) 高校二年生 ペンネーム瑠璃波美美波璃瑠 菊乃の文学上のカタキ