くノ一その一今のうち
その深夜、改めて天守台に潜んでいる。
昼間は中断した。観光客に化けた敵がうろついていたからだ。
眼下の稲荷曲輪では監督やスタッフたちが来週撮影予定の深夜ロケの下調と準備に余念がない。
「昼間の続きだ」
声まで違う。
今は、課長代理の服部半三そのもので、軟弱脚本家三村紘一の片鱗も見せない。
「稲荷櫓が再建されたのは、再建工事にことよせて信玄のお宝を探すためだ」
「木下が工事を請け負ったんですか?」
「いや、甲府の地元にもお宝を狙っている者がいる」
「地元にもですか?」
「見ろ、あの謝恩碑」
本丸の対角線方向に聳える謝恩碑はライトアップされて発射の時を待っているロケットのようだ。
「あの明治の大水害でも、信玄の埋蔵金には手を付けなかった。まあ、探しても容易に見つかるお宝ではないがな。武田家には三つ者と呼ばれる忍びたちがいたんだが、その裔の者たちがあの謝恩碑に『埋蔵金に手を出すべからず』と暗号を記している」
「え?」
「忍びの仕込文字だ、見た目には分からん。その三つ者たちが甲府市や県まで動かして再建したのが稲荷櫓。床下から地下道が……掘ったのか見つけたのか存在する」
「潜ってみたんですか?」
「何度かな……善光寺の戒壇巡りよりも難しい」
「課長代理でも……」
「あの石垣を見ろ」
目を凝らすと、稲荷曲輪の石垣にいびつなところが見えた。幅五メートルほどの崩れがあって、崩れた石垣の中には別の石垣が覗いている。前には二重石垣の説明版も見える。
「最初に甲府城を築いたのは太閤殿下だ。その後、家康が天下を取って築き直した」
「大坂城と同じですね」
「太閤殿下は『信玄の埋蔵金などタカが知れておるわ』と申されて、この地にあったとされる手がかりごと埋め立てて城を築かれた」
「そして、家康が、さらにその上に城を築いてしまったというわけですか」
「本来の隠し場所、その上の城、そのまた上の城、工事を重ねるにしたがって、複雑に呪がかけられている」
呪とは、おまじない。
安倍晴明のように術として掛けることもあれば、作事や工事、人の想いが重なってかかってしまうこともある。
「その両方がかかっている」
う……あいかわらず、心を読まれる。
「……気配を感じます」
「ああ、敵も焦っているようだ」
身を隠すために天守台の石垣ギリギリのところで腹ばいになっているので、微かな地中の気配でも感じてしまうんだ。
「モグラが居る……昼間地上に出ていたモグラのようだな」
確かに似た気配だ。しかし地中……稲荷櫓の床下から潜るのか?
「あそこから潜るぞ」
課長代理が示したのは稲荷曲輪の端にある井戸の跡だった。
「承知」
応えた時には、すでに課長代理はヤモリのように石垣を下りはじめている。
監督たちは、ロケの背景にする稲荷櫓の周辺で、照明やカメラアングルのテストに余念がない。衣装やメイクさんたちもなにやらタブレットと台本片手に真剣だ。おそらく、夜の光や櫓の白壁に合わせる工夫をしているんだ。昼間は大学のサークルみたいなノリでやっているけど、やっぱりプロ。大したものだと思う。
その分、曲輪の反対側、井戸の周辺は人気(ひとけ)が無い。
「やはりな」
課長代理の呟きの意味は直ぐに分かった。
井戸蓋の鉄格子の鍵は外されていた。敵は、ここから侵入したんだ。
―― それだけではない ――
―― え? ――
―― 開けたからには閉める者がいる ――
そうだ、忍者は忍び込むにあたって複数の侵入口を確保する。入ったところから出ては発見される確率が高くなる。
ここは城址公園、朝になれば観光客が来る。係員の見回りもある。
―― ロケチームの中に敵がいる? ――
―― 朝になれば分かる、行くぞ ――
―― 応 ――
忍び語りになっても、課長代理は多弁だ。駆け出し下忍のわたしを教育しようという意味もあるんだろう。
―― 性分だ、気にするな ――
―― 応 ――
昨日の戒壇巡りでは、それとなく夜目の準備を指示されたが、今回は無い。言われなくても天守台を降りる時から片目をつぶって準備していたけどね。
三十メートルほど行ったところで足が止まった。
自分で停まっておきながら、瞬間は訳が分からない。
忍者の五感は常人とは違って、脳みそが判断する前に反応する。一呼吸おいて脳みそも追いついた。
―― この先、広い空間になってます ――
―― 少し探るぞ ――
わたしも課長代理も呼吸をおさえ、五感全てを動員して様子を探った……
☆彡 主な登場人物
- 風間 その 高校三年生 世襲名・そのいち
- 風間 その子 風間そのの祖母(下忍)
- 百地三太夫 百地芸能事務所社長(上忍) 社員=力持ち・嫁持ち・金持ち
- 鈴木 まあや アイドル女優 豊臣家の末裔鈴木家の姫
- 忍冬堂 百地と関係の深い古本屋 おやじとおばちゃん
- 徳川社長 徳川物産社長 等々力百人同心頭の末裔
- 服部課長代理 服部半三(中忍) 脚本家・三村紘一
- 十五代目猿飛佐助 もう一つの豊臣家末裔、木下家に仕える忍者