銀河太平記・213
先生が跳びこんだ窪地には逃げ遅れた十数名の民間人が居た。
十数名と曖昧なのは、五体満足な者は三名しか見当たらず、断裂飛散した遺体からは直には人数が読めないからだ。
先生は、そのうちの二名に見覚えがあった。
岡島という技術者夫妻だ。二人とも静かの海の深層採掘の見通しを立てるために国交省の依頼を受けてやってきた資源採掘の専門家だ。もう一人は技術者でも専門家でもない、学生風の女性。
夫妻の方に外傷はないが、すでに生命反応は無い。女性の方は右半身にヒートパルスを浴びて重度の火傷を負っていたが、辛うじて息はある。
先生はハンベを軍事用のトリアージモードにした。
一般のトリアージと異なり、軍事用のそれは、軍事的社会的な有用性緊急性をも判定基準にする。そのために、単なる負傷のレベルだけではなく対象者の属性を機密レベルまで検索している。
「息のあるのは女性だけなのに、なんでトリアージするんだろ?」
ミクがジト目で俺を見る。
「場合によっては『救助しない』という選択もあるからだ」
「ええ!?」
「戦争をやってるんだからな、そういうこともある」
不愉快そうに眉を顰めるが、俺は構わずに再生を続けた。
画面には、先生が開いたトリアージのためのデータが映し出されている。
「「ええ!?」」
声が揃ってしまった。
姉崎すみれ:岡島香里菜(旧姓・姉崎香里菜、すでに生命反応無し)の姪、宇宙地質学者姉崎浩一郎の長女、東京教育大学1回生。姉崎浩一郎博士は月面開発のため、娘夫婦と共に月に移住。末娘のすみれは学業のために地球に残るが、夏休みで父親と姉のいる月に帰省して戦災に遭う。
本籍地・ピタゴラス〇〇市ゴールデン街北町〇〇番地。現住所・世田谷区豪徳寺〇〇。
トリアージレベル赤1。
「これって……」
「先を見るぞ」
「う、うん……」
先生は30秒置いて、瀕死の『姉崎すみれ』と会話した。
『俺は日本の傭兵で山野勘十郎という。この窪地に避難した者で生きているのはきみ一人だ』
『叔母さんは……』
『言った通りだ。きみも10分以内に死ぬ。もうきみのボディーは数分脳核を維持することしかできない。今から俺の脳核と入れ替える』
『え?』
『脳核不全症でな、もう一か月ももたない、最後に一花咲かせようと月に来たんだが、もう、ここらへんでいい。オッサンのボディーで気持ち悪いだろうが、地球に戻ったらアキバのジャンク街にでも行って、頃合いのボディーに積み替えるといい』
『そんなぁ……』
『たったいま、ボディーの名義変更と適正化をやっておいた』
『でも』
『もう時間がない、バイタルが落ちてきた。いくぞ』
『あ、待っ……』
プツン
そこで切れてしまった。
「これって……」
「先生は、なんというか……真・姉崎すみれだったんだ」
「でも、なんで?」
「身内はみんな亡くなっている、それに三十年前だ、静かの海戦争の後で荒れているしな、オッサンで居る方が楽でもあったんだろう……」
説明している俺自身確証は持てないんだけど、大筋で外してはいないと思う。
ミクが死亡診断書と検死報告書、俺が事案報告書を書いて、姉崎先生の人生にピリオドを打った。
☆彡この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑月面軍三等軍曹、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑幕府北町奉行所与力 扶桑政府老中穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) ピタゴラス診療所女医、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑科学研究所博士、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 加藤 恵 天狗党のメンバー 緒方未来に擬態して、もとに戻らない
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任
- 扶桑 道隆 扶桑幕府将軍
- 本多 兵二(ほんだ へいじ) 将軍付小姓、彦と中学同窓
- 胡蝶 小姓頭
- 児玉元帥(児玉隆三) 地球に帰還してからは越萌マイ
- 孫 悟兵(孫大人) 児玉元帥の友人
- 森ノ宮茂仁親王 心子内親王はシゲさんと呼ぶ
- ヨイチ 児玉元帥の副官
- マーク ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス・越萌メイ バルス ミナホ ポチ)
- アルルカン 太陽系一の賞金首
- 氷室(氷室 睦仁) 西ノ島 氷室カンパニー社長(部下=シゲ、ハナ、ニッパチ、お岩、及川軍平)
- 村長(マヌエリト) 西ノ島 ナバホ村村長
- 主席(周 温雷) 西ノ島 フートンの代表者
- 及川 軍平 西之島市市長
- 須磨宮心子内親王(ココちゃん) 今上陛下の妹宮の娘
- 劉 宏 漢明国大統領 満漢戦争の英雄的指揮官 PI後 王春華のボディ
- 王 春華 漢明国大統領付き通訳兼秘書
- 胡 盛媛 中尉 胡盛徳大佐の養女
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
- カサギ 扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
- グノーシス侵略 百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
- 扶桑通信 修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信
- 西ノ島 硫黄島近くの火山島 パルス鉱石の産地
- パルス鉱 23世紀の主要エネルギー源(パルス パルスラ パルスガ パルスギ)
- 氷室神社 シゲがカンパニーの南端に作った神社 御祭神=秋宮空子内親王
- ピタゴラス 月のピタゴラスクレーターにある扶桑幕府の領地 他にパスカル・プラトン・アルキメデス
- 奥の院 扶桑城啓林の奥にある祖廟