鳴かぬなら 信長転生記
お待ちを
そこを曲がったら指南街というところで、落ち着きを取り戻した女の一人が立ち止まった。
「どうした」
「はい、お二人が痛めつけられましたので大事は無いと思うのですが、追手が来たりしませんでしょうか?」
「胸糞の悪い奴らだったが、雑兵ばかりだ。そもそも軍規に違反している。追い打ちなど、企んだだけで奴らの首は飛ぶ」
「そ、そうですか、安心しました」
「あんたたち、三人とも同じ家の娘なのか?」
「あ、わたしと、この子は姉妹ですが……」
「わたしは、二人の友だちです。わたしたち……」
「わけは聞かん、送り届けるだけだ。夜も更けてくるから、お前たちの家で泊めてもらうと助かる」
「あ、それはもう……あ、あそこが家です」
「あれか」
百坪そこそこの家だが、くたびれている。
周囲の家も似たり寄ったりで、どうも、酉盃の街では学者は優遇されてはいないようだ。
……ッワン! ワンワンワン!
怯えたような犬の鳴き声、妹の方が崩れた土塀に回り込んで「おう、よしよしよしよし」となだめる。
「お母さん、帰りました」
戸口から姉が声を掛けると、ガタガタ音をさせて、怯えた表情の女がでてきた。
「お、お前たち、どうして……?」
「はい、こちらのお坊様方がお助け下さって、ようやく戻ってきました」
「え……え……」
反応がおかしい、娘が無事に帰ってきて喜ぶ母親の姿ではない。
「あんた……娘を売ったんじゃないのか?」
市が押さえながらも、険しい声で質す。
「差しさわりがあるんだ、聞いてやるな」
「お母さんは、売ったわけじゃないんです。あの男たちが『いい勤め先がある』からって」
「はい、兵隊になる前は口入屋をやっていたという伍長さんが『駐留中、隊長の身の回りの世話をする者が欲しい』とおっしゃって」
「ふうん、身の回りの世話をねえ……」
「落ちぶれたとはいえ、学者の家の娘ですので、礼儀作法や家事一般のことには長けておりますので。そう申し上げると『それは都合がいい、では時間給を上げて特別手当も出そう』とおっしゃって、過分に前払い金を……」
「それを鵜呑みにしたのか!?」
「シイ(市の偽名)、止せ」
「止さない! あんな薄汚い兵隊の言葉をそのまま信じるなんて、こっちが信じられない! 娘たちが、どんな目に遭うかぐらい、想像がついただろ!」
「あ、いえ、わたしどもは……」
「お母さんを責めないでください。わたしたちも承知の上だったんですから」
「承知の上だって? 男どもに追いかけまわされ、乱暴されたあげくに殺されることが承知の上だって言うのか!?」
「こ、殺される?」
「そうよ、この子たち、半ば裸に剥かれて、必死で逃げて『助けて!』って叫んでた。それをほっとけなくて、あたしたち、助けたんだから! あいつら、あんたの娘たちを追いかけまわして、いたぶった挙句に犯して殺すつもりだったんだ、まるで、鷹狩の得物の兎のようにな!」
「止せ、シイ!」
「あんたたちも、これでいいわけ!?」
「「それは……」」
「明花、静花、殺されかけたのかい?」
「あ、いえ、お母さん……」
「ごめんよ、まさか、そこまでされるとは思ってなかった、お母さん……」
「あ、いえ……じゃなくて、お母さん」
考じ果てたんだろう、母を抱きしめる姉妹は、涙を浮かべて、俺たちと母親を交互に見ている。
もう一人の娘は俯いたまま口を一文字に結んだままだ。
「あんたたち、余計なことを!」
別口が現れた。
「かあちゃん!」
もう一人の母親だ。
「何ごとかと聞いて出てきたら、せっかく売った娘をなんてことしてくれるんだ!」
「お前の娘は殺されるところだったんだぞ!」
「売った娘だ、煮て食おうが焼いて食おうが買主の勝手だ! 真花さん、あんただって知ってただろう! それを、そんなしおらし気に、今知ったみたいに、いい母ぶるんじゃないよ!」
「陳鈴さん……」
「ここいらは、三国志の武断政治のお蔭でスッカンピンの学者と、その書生や下僕の街なんだ! なまじ、先帝の文治政治のころにマシな生活してたもんだから、子どもだけはいっぱいいて、だから、子ども売って生きてくしか手がないんだよ。子どもに運と才覚がありゃ、売られても、浮かぶすべも万に一つぐらいはある。それを、相手をぶちのめして、どういう了見だ! 指南の子どもは危なくて手が出せない、そう思われたら、もうあたしらに明日はないよ! いいや、仕返しでもされたら、明日にでも、この町は滅ぼされてしまうかもしれないじゃないか!」
「それはあるまい、これは軍の恥だ。報復などあり得ない」
「あんた、どこの国の人間だ? たとえ、兵隊に非があっても兵隊をぶちのめされて、黙ってるような将軍なんてありえないよ」
「クソババア、自分の非道は棚に上げておいて……許さないぞ!」
いかん、市の顔が蒼白だ。並の切れようじゃないぞ!
「止せ!」
市の肩を掴むが、一瞬遅れて、錫杖がクソババアの頬を掠める。
シュッ
糸のような鮮血が飛ぶ。
「ヒイ、人殺しぃ!」
「市!」
ドゴ!
ウ!
錫杖で市の鳩尾をぶちのめす。
瞬間で気絶した市を担いで、指南街の闇を駆けだした。
☆ 主な登場人物
織田 信長 本能寺の変で討ち取られて転生
熱田 敦子(熱田大神) 信長担当の尾張の神さま
織田 市 信長の妹
平手 美姫 信長のクラス担任
武田 信玄 同級生
上杉 謙信 同級生
古田 織部 茶華道部の眼鏡っこ
宮本 武蔵 孤高の剣聖
二宮 忠八 市の友だち 紙飛行機の神さま
今川 義元 学院生徒会長
坂本 乙女 学園生徒会長