父が退院した
実は先月に私がバンコク旅行から帰って一時間後に緊急入院をしていた
父母と旅行の話しをしていると父の通院しているクリニックから電話があった
「検査の結果が出ました。その結果・・・今すぐにでも」
先生から説明を受け「この病気は容態が急変する事があるので覚悟をしておいて下さい」とまで言われていた
誰でもいつかはこんな日が来る
自分がこの歳になるまで健在だっただけでも感謝しよう
入院した事は誰にも話さなかった
その間に「もっといろんな親孝行をしておけば良かった」と嘆いていた
孝行したい時に親はなし
バンコク旅行中に父の誕生日を迎えていた
川を下るクルーズ船に乗っていた時ZUBEBIBOさんに、今日が誕生日だったんですよ
と告げると「家に電話しなよ」と海外通話可能の携帯電話を差し出してくれたが恥ずかしいので断っていた
あの時に電話すればよかった
しかし入院して5日位経つと危険も無くなったので一安心した
見舞いに行っても父と面と向かうと何も話題が無い事に気付く
何を話したらいいんだろう
そんな時は無理にでもコルトの話しをすると会話が続く
考えてみると父と出掛ける事は殆どがコルト絡みだ
前から思っていたが私と父はコルトが無かったらどうなっていたのだろう
(CAR MAGAZINE 1996年4月号より )
(CAR GRAPHIC 1996年4月号より)
自分で言うのも妙だが廻りからは親子仲が良いですね、と言われる
でもそれは、彩雲家にコルトがあったからであって
無かったらどうなっていたのかな、そんな事をよく考える
じゃ、帰るね。
コルトで来たのか?
うん、これから車検に持っていく。
マフラーとエキマニのジョイントの所を触らないようにヒロタさんに言っておきなよ それから~
二人で病院の廊下の窓から見えるコルトを見た
よくあの車に(家族)5人も乗ったよな
しみじみと父が言う
じゃあね
父と別れ、駐車場に向かいエンジンを掛ける
冷えているので充分に暖気してからゲートを出る
ふと、病院の上を見ると窓の所に人影がありこちらを見ていた
父だ・・・
私が見ている事に気付いて手を挙げた
私も手を挙げ軽くクラクションを鳴らす
病院から去っていく私とコルトを父はどんな気持ちで見ていたのだろう
窓辺に見える父はなんだか小さく見えた