前回、ビュッフェの事を取り上げて調べてみると大阪の交通科学博物館に保存されてい
4両の新幹線の内のビュッフェ車は営業当時そのままに保存されているそうだ。
http://www.jijoweb.com/tx5e1.html
↑公衆電話も残してあるなんて素晴らしい!
もし私が特別展示時に、さまひさんと訪れたら聖徳太子の一万円札を振りかざして電話の順番を争うんだろうな・・・(分かる人《以下略》)
さて、
一号車の席に戻るとまもなく姫路駅に停車とのアナウンスが流れた。
ここで降りる訳ではないが姫路の名所といえば「姫路城」だろう。
一瞬だが見る事が出来れば幸いだ。
おお!見えた!城だー!
姫路博覧会跡のお城である!(画像は数年前に訪れた時のもの)
姫路城って西洋チックなんですね
この公園から見える景色が本当に良いのだ。
判りづらいが一枚目の画像の真ん中に姫路モノレールのレールが見える。
『東のドリーム交通モノレール、西の姫路市営モノレール』と呼ばれるそれです。
本当は新幹線が姫路モノレール軌道の上を通る時の一瞬に「ロッキード式」の特徴である「レール上の鉄レール(新幹線と同じとの話し)」が見えたのだが撮りそこなってしまった。
姫路には今も廃線となったレールが半分以上残っている。(下の画像は2003年撮影)
姫路モノレールについての詳細はここをご覧下さい↓
http://www.geocities.jp/charger60up/
途中、どこかの駅で超特急の通過待ちがあったので車外へ出てみた。
反対のホームには短くなった100系が通過待ちだった
08:43 こだま629号は広島駅に到着した。
終点の博多駅まで乗っていたいのだが広島でも訪れたい所があるので本当に残念だが0系とお別れとなった。
いつまで0系が現役でいられるのだろう?
出来る事なら高度経済成長時代の象徴のような列車を1編成、動態保存して欲しいと願ってしまう。(無理だろうけど)
運転手を交代した0系は雨の中尾灯を輝かせ博多へと走って行った。
おまけ?
だいぶ前に古い新聞を読んでいて見つけた新幹線の事故車両
前回の記事に載せた試作電車1000系は東海道新幹線開業後に試験車両として改造されて活躍した事は知られておりますが昭和41年に事故にあっていた事はあまり知られていないようです。
画像を見ると256㌔達成を記念した三角のプレートが見えます。
興味のある方はこちらをご覧下さい↓ ↓
昭和41年4月26日読売新聞
今回は0系のお話しなので載せてみました。
4両の新幹線の内のビュッフェ車は営業当時そのままに保存されているそうだ。
http://www.jijoweb.com/tx5e1.html
↑公衆電話も残してあるなんて素晴らしい!
もし私が特別展示時に、さまひさんと訪れたら聖徳太子の一万円札を振りかざして電話の順番を争うんだろうな・・・(分かる人《以下略》)
さて、
一号車の席に戻るとまもなく姫路駅に停車とのアナウンスが流れた。
ここで降りる訳ではないが姫路の名所といえば「姫路城」だろう。
一瞬だが見る事が出来れば幸いだ。
おお!見えた!城だー!
姫路博覧会跡のお城である!(画像は数年前に訪れた時のもの)
姫路城って西洋チックなんですね
この公園から見える景色が本当に良いのだ。
判りづらいが一枚目の画像の真ん中に姫路モノレールのレールが見える。
『東のドリーム交通モノレール、西の姫路市営モノレール』と呼ばれるそれです。
本当は新幹線が姫路モノレール軌道の上を通る時の一瞬に「ロッキード式」の特徴である「レール上の鉄レール(新幹線と同じとの話し)」が見えたのだが撮りそこなってしまった。
姫路には今も廃線となったレールが半分以上残っている。(下の画像は2003年撮影)
姫路モノレールについての詳細はここをご覧下さい↓
http://www.geocities.jp/charger60up/
途中、どこかの駅で超特急の通過待ちがあったので車外へ出てみた。
反対のホームには短くなった100系が通過待ちだった
08:43 こだま629号は広島駅に到着した。
終点の博多駅まで乗っていたいのだが広島でも訪れたい所があるので本当に残念だが0系とお別れとなった。
いつまで0系が現役でいられるのだろう?
出来る事なら高度経済成長時代の象徴のような列車を1編成、動態保存して欲しいと願ってしまう。(無理だろうけど)
運転手を交代した0系は雨の中尾灯を輝かせ博多へと走って行った。
おまけ?
だいぶ前に古い新聞を読んでいて見つけた新幹線の事故車両
前回の記事に載せた試作電車1000系は東海道新幹線開業後に試験車両として改造されて活躍した事は知られておりますが昭和41年に事故にあっていた事はあまり知られていないようです。
画像を見ると256㌔達成を記念した三角のプレートが見えます。
興味のある方はこちらをご覧下さい↓ ↓
昭和41年4月26日読売新聞
今回は0系のお話しなので載せてみました。