あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

横浜ホテルニューグランド 2

2011-11-25 22:09:45 | ヨコハマ

一階と二階のロビー部分はパブリックスペースなので誰でも見学出来るが客室階はだとそうはいかない。
昔の客室階はエレベーターホールを出ると右手にリネン室(ステーション)の窓口みたいなのがあったが埋められていた。

 


廊下の雰囲気もかつてはクラシックホテル(箱根の富士屋のような)独特な感じがしたが

やはりどこにでもあるような今時のホテルになっていた。


僅かにエレベーターホール左手の階段が昔のままだった。



まずは親の部屋から案内してもらう。



やはり室内も他と同じに今風になっているのは時代の流れでしょう。
古いモノがいいと思う人もいれば新しい方がいいと思う人の方が多いのだから。
そう考えると箱根の冨士屋ホテルは改めて凄いと思う。

参考までに

20年前のパンフレットより


部屋は違えど窓からの眺めに母は
「この見え方は覚えている」
「このイチョウの木が目の前にあってねぇ」



もっともその時は披露宴が長引いてしまいホテルに到着したのは夜だったそうな。
「今と違いホテルの周りで遅くまで空いている食堂もなくてね。
それを気づかってくれてホテルの人が四角い缶に入ったクッキーの詰め合わせを置いておいてくれた」
日活映画「赤いハンカチ」では横浜ニューグランドホテルが出てきます。
昭和39年の作品なのでほぼ同じ頃の様子なのだがちょっとキャプチャーが出来ないので残念。

東京から横浜ニューグランドまでどうやって来たのかは覚えてないが
父「多分タクシーだろう」


昭和40年頃のタクシー?
「クラウンだった?セ、セドリックだった?も、もしかしてプリンスのグロリア?

だったらリヤガーニッシュは付いていなかったんだよね?!」

瞬間問い詰めそうになったが親を嘆かせてはマズいので抑えた。
そんな話しを聞いていると不思議な事に気付いた。
318号室は作家大佛 次氏が好んだ部屋。
海側の良い部屋を一見の客に割り当てるなんてあるの?
母が言い出した。

そういえば仲人をしてくれた人の友人は音楽業界の方で著名な方だった。

その人を通じてニューグランドを手配をしてもらった。
だから当時の社長さんが名刺を残してしてくれたのだろう。
45年を経てその方に感謝です。

つづく

(明日は年内最後の熱海行き♪)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする