あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

ALWAYS 三丁目の夕日'64 その頃、ヨコハマでは・・・

2012-03-10 22:24:56 | 映画

いや、私はマニアじゃないんですよ
単にあの時代が好きだというだけ
ノスタルジーでもない(あの時代に産まれていないんだから)

昔は良かったなんて思わない
昔の新聞を読んでいると嫌な事件もたくさんあった。
最近では「60年代は人々が希望に満ちて〜、貧しかったけどみんな優しくて」
という人がいるがホントにそうなのかな、と冷めている 。

過ぎてしまった事は写真と同じいい事ばかりが残される。

三丁目の夕日シリーズを観た若い人達が
「昔は良かったんだ」「私も昔に産まれたかった」と言う若者が多いけれど
当時だって陰惨な事件があり治安も衛生状態も悪いし公害だって
今から見れば考えられないほど酷い。

でもテレビでタレント兼映画監督が「60年代はあんなのではなかった」
と言っていたが
三丁目の夕日は決して
『60年代はこうでした』
と言っている訳ではない。

60年代を背景にしたある人たちのお話しなのである。

そんな訳で今日はALWAYS三丁目の夕日’64をまたまた観てきました。
今回は 2Dで。
3Dと見比べるとやはり2Dで充分だと思いました。

公開から一ヶ月が経つのに未だに人が入っているのが人気の証拠。

やっぱり「いい話しだな~♪」
と思って目頭が熱くなるし安心して観られるのがいいです。

テレビで1,2作目が放映されていたのでおさらいのつもりで観てから
再び観たので更に楽しく観られました。

それにしてもまにまにカレチさんが提供している
三菱ペットレオ
マツダB360 
2台とも「いい場面」で出ています。

気になっていたプリンスグロリアの黄色いタクシーは

(六ちゃんを迎えに来て堤さんが「タクシー来たぞ」という場面にチラッと出て来る)

オーストラリアからの逆輸入車みたいでした。初めは低グレードのグロリア!と思って大興奮しました。

もしも私のコルト1100が同じよう三丁目の夕日に出てきたら
劇場で泣いていますね、ええ。
で、将来。何十年後かに再び映画を観てその姿を銀幕で観たら
その時は何らかの事情で手放してしまったコルトの姿を観て
亡くした親に会ったような気持ちになり再び泣くのでしょう…

さて、今回は昭和39年が舞台でありますがその頃私の住んでいる
ヨコハマではというと松尾國三社長が作った
「横浜ドリームランド」が開園した年です。

昭和39年7月8日 神奈川新聞

 

昭和39年7月29日 神奈川新聞


昭和39年8月2日 神奈川新聞

 

あの頃のドリームランドも閉園しあれから10年が経つ。

今回の「三丁目~」の頃にヨコハマではそんな事があった事を
記したくて載せてみました。

三丁目の夕日も間もなく上映が終わるでしょうが
まだご覧になっていない方はお早めに!

 ALWAYS 三丁目の夕日'64 - goo 映画

 

 

コメント (13)
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