実家の押し入れでコルトの部品を探していると懐かしい銘板が出て来た
三菱シルバーピジョン 製造年1953 車輛型式C-35
あのスクーターだ・・・
こんな事もあったな
幼稚園生の頃だったか
小学校低学年の頃だったのかは思い出せないが
休みの日の昼間に杉並区梅里にあった父の実家に2人で行く事があり
何故だか父はコルトのリアシートを外して家を出た。
実家に着くと今までは気付かなかったシートカバーのようなものに覆われた
オートバイがあった。
錆だらけで不動な状態だったのは子供でも一目瞭然といった状態であった。
父からレバーだかを触るように言われて動かすとオレンジ色の部品が飛び出してきた。
昔のウインカーはこうだった、という事と「アポロ」という名前を知った。
「この錆付いたオートバイを持って帰る為にコルトの席を外していたのか」
とにかくコルトの影響で幼少期から古いモノが大好きだった私は
家に古いオートバイが加わるんだ!と思い大喜びだった。
自宅へ戻るとそのオートバイは物置の隣へ置かれて私は友達が来ると
飛び出るアポロ(ウインカー)を誇らしげに見せたものだった。
錆てボロボロだけど何でも直してしまう父の事だから
これも直して父が乗るのだろう、と勝手に思っていたのだが
一向にその気配は無かった。
ある時、気が付くと「アポロの付いたオートバイ」は消えていて
鉄の塊が一つ残っていた
私の知らぬ間にあのオートバイは父の手によって解体されていたのだ
どうして壊しちゃったの?
父に尋ねると直すつもりは無く父の実家では処分が出来ないから
こっちに持ってきてバラシて処分する為にも運んできたのだそうだ
それでも食い下がるように
「直せばよかったのに!」
と訴えるように言うと
『フレームも腐りどうしようもない』
と返ってきて
お父さんでも直せないモノがあるんだ、という事を初めて知った。
成長して思い返すと別に直して乗ろうと思った懐古趣味でも全くなく
子供にそんな事を言われる筋合いもなかったろうに。
その後、残ったエンジンだけはそのままにされて
私が何したかというと
あろうことか穴にジョウロで水を入れて回転部分を動かすと水が噴き出てくる
というのが面白くて遊んでいた。
そしてそれもいつか消えていた。
もう少し大きくなるとあれはオートバイではなく「スクーター」で水を入れていたその穴はプラグ穴だった事を知る。
エンジンに水を入れる、とはなんて事を私はしていたのだろうと思ったのだった。
そしてなんであのスクーターのエンジンだけを残しておいたのかと父に尋ねると
お前がエンジンに興味を持つと思って残したのだけど
気付いたらジョウロで水を入れられていた
と笑われた
父の願い通り?にその時に機械に興味が出ればコルトの維持も
もっと違ったものにとなっていただろう
結果私は「クルマ好きのメカオンチ」となっている。
それから一度だけそのスクーターに乗る父のモノクロ写真を見た事があった。
リアシートには父の妹さんが乗っており東京近郊のダムへドライブに行った際の
ものだった。
「実家から職場までの通勤用にと中古で買ったけど何度もチェーンが外れた」
運用期間はあまり長くは無かったようだ。
息子と違いあまりモノに執着しないんだな、と思っていたのだが
20年程前に物置からそのスクーターのマスコットマークと銘板が発見されて
わざわざ記念品のように残しておいた父の意外性に驚かされた。
これを小さな額に入れて飾るのもいい、と思いながら
私自身すっかりと忘れていた二輪車の思い出だった。
腕木式ウインカーを「アポロウインカー」と呼ぶのは確かアポロ社が最初に販売した後付けウインカーだったから通称アポロウインカーと呼ばれるようになったと記憶しています。
私は浜松の某自動車メーカーに契約写真として勤めていますが、エンジニアの方に三角窓とアポロウインカーをオプション設定するのを提案したら、前者は突起物に該当するため設定できない、後者は知らないと言われました!
アメリカでは月に行く宇宙船がアポロだったのに、日本ではオレンジ色の棒だったと言うのが国力の差を感じさせますね。
こんにちは。とりとめのない内容ですが
いつもコメントありがとうございます。
>>通称アポロウインカーと呼ばれるように
そういえば父から子供の頃から言われたような気がします。
別の方からは「矢羽根」とも言われました。
>>アメリカでは~
国力、まるで違いますね~(笑
>>前者は突起物に該当するため設定できない~
ああ!そういう事になるんですね!
確かに今なら何か言われそう!
よく便利な機能だから復活を、という声を聞きますがそれもあるんですね。