去る6月中旬中国北部のハルピン市を訪ねた。観光スポットを忙しく歩き回る、いわゆる団体の観光旅行ではない。マイクロバスに揺られて、あるいは自らの脚で歩き回る、のんびり旅であった。
北摂で中国語会話教室やお茶を飲みながら会話を楽しむ“茶話会”を主宰する先生のお里帰りに便乗した生徒たちの小集団で、いわば家族旅行のようなものである。現地での一切の行動は、現地在住の先生のお姉さんの手配に拠った。
右も左も山の島国に育った筆者にとっては、山の頂き・峰一つ見えない、まさに“大地”を実感させる、緑の大地に近代高楼が並び建つ情景は驚きであった。その他諸々感ずるところあり、下記の如く旅行の印象を律詩にしてみました。
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遊哈爾濱 (下平声先韻)
無山遼遠対江漣, 山無く遼遠(リョウエン)として江の漣(サザナミ) に対し,
龍塔高楼衝碧天。 龍塔(リュウトウ) 高楼(コウロウ) 碧天(ヘキテン)を衝(ツ)く。
鐘響教堂鴿聚舞, 鐘 響(ヒビイ)て 教堂(キョウドウ) 鴿(ハト) 聚(アツマ)りて舞い,
鶯啼公園太極拳。 鶯 啼(ナ)く公園には太極拳。
每逢遊点知発展, 遊点(ヨウテン)に逢每(アウゴト)に発展を知るが,
偶爾苦渋過去緣。 偶爾(タマ)に 苦渋(クジュウ) 過去の緣(エン)。
有如喜鵲挟大海, 喜鵲(キジャク) 大海を挟(ハサ)みて有るが如く,
相交使客感心円。 相交(アイマジワ)りて 客をして心 円(マドカ)なるを感ぜしめる。
註]
江漣:ハルピン市内を流れ、黒竜江に注ぐ松花江の緩やかな流れのさざなみ
龍塔:黒竜江電視台の電波塔で高さ336m
教堂:聖ソフィア聖堂、現在は歴史博物館となっている
鴿:鳩
遊点:観光スポット
過去緣:満州事変以後の日本-ハルピンの過去にあった縁
喜鵲:カササギ(鵲) 七夕の夜翼を広げて天の川に橋を渡し、牽牛・織女の二星が会えるようにしたという伝説のある鳥
<現代語訳>
ハルピンに遊ぶ
見渡す限り山一つない緑の大地、松花江は緩やかに流れてさざ波が広がり、
龍塔や林立する近代高層建築は青空に深く突き刺さっている。
聖ソフィア聖堂では鐘の音の響きに誘われて白いハトが群れをなして舞い、
鶯鳴く公園では人々が太極拳を愉しんでおり、人々は安寧な日々を送っている。
観光スポットを訪ねるごとに街の著しい発展の様子が知られるが、
たまに過去の日本-ハルピンの間の事跡に逢い、暗い思いになる。
日本海の大海を挟んで日本-ハルピン間に橋を渡す鵲がいるが如く、
お互い交流していると 暗い思いも何時しかなくなり、旅人の心を穏やかにさせるのである。
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一日微雨に逢ったが、総じて好天に恵まれて楽しい4泊5日の旅でした。
先ずハルピンの印象を一言で表現するなら、“広大な緑の大地に、横に、縦に現在進行形で伸びる発展・近代化の姿”と言えようか。
市中心部からちょっと郊外に出ると、写真1に見るように、林立したビルが目に入る。鶴首を視れば、建設はなお進行形であることを伺わせる。市街地区にあっても、古い建物は、新しい高層建築へと姿を変えつつある。
写真 1:ハルピン市のビルラッシュ
後に示す“ハルピン大劇場”のちょっと小高い所から俯瞰すれば、このようなビルが、少なくとも180度の視界に亘って林立している風景が目に入る(写真2)。
写真2:ハルピン大劇場から眺めたハルピン市内
このビル群を見ると、さぞかし人口の増加は激しかろうと想像されます。確かに現地人の話では、人口の増加は著しい と仰る。その程度を数値で確かめたい と調べてみました。
意外であるが、ネットの記事をみる限り、どうもすっきりとした数値に逢えなかった。曰く:市人口:1,064万人(2010年);市域全体:961.4万人、市区人口:約590万人(2015年);面積約53.100km2、人口1,098万人(2018年)。
一方、ジェトロ大連事務所による『ハルピン市概況』(2018年9月)によると、面積53,068km2、戸籍人口 995.21万人(2013年)、987.29 (2014)、961.40(2015)、962.10(2016)、955.00(2017)とかなりの減少である。
本来の住民(戸籍人口?)約950万人、流動人口約100万人か と自らを納得させる。しかし郊外に増えていく建物の数に見合う人口増は如何?という点にすっきりと回答を得ることができず、努力して調べた割には、“草臥れ儲け”か、とモヤモヤが残る。
街の発展の極め付きはハルピン大劇場であろう(写真 3)。土地の広大さを実感させる建造物の一つと言えようか。2015年12月完成、敷地面積 259,080m2、延床面積70,000m2、因みに東京ドウム建築面積の約1.5倍ということである。
寫眞 3:ハルピン大劇場(オペラハウス)
白アルミパネルの外壁は滑らかな曲線を描いてあり、周囲の風景に溶け込むよう設計された と。内にはオペラハウス(1,600人収容)と小劇場(400人収容)があり、大劇場はヤチダモの木で内装されていて、音響効果は素晴らしい と。
この施設は、オペラハウス及びカルチャーセンターとして活用されている由。なお当日は、催し物はなく、人出は少なかった。
今一つ縦に伸びた建物で黒竜江電視台の電波塔・龍塔(高さ336m)がある。東京スカイトリーができる以前は、東アジアで最も高い塔であった と。
ハルピンは、歴史的に北のロシア(またはソ連)や東の日本と深い関わりのあった街で、その遺蹟も多々ある。聖ソフィア大聖堂(写真4)もその一つである。かつては東方正教会の教会であったが、現在は歴史博物館となっている。
写真 4:聖ソフィア聖堂
街の中央 “中央大街”の近くに兆麟公園がある。抗日戦争で活躍した将軍李兆麟を記念した公園(写真 5)で、市中最も古い公園である由。かなり広い公園で、早朝新鮮な空気の中で、太極拳や健康体操(写真6)など、市民の憩いの場である。
写真 5:市中心部に位置する兆麟公園の門構え
写真 6:早朝の公園内の一画、健康体操を楽しむ人たち
“中央大街”は、日夜ともに賑やかである(写真 7)。この大通り周辺では、異国の料理を存分に楽しむことができる。時に‘試してみるか’という料理があり、その一つに“蚕料理”(写真 8)があった。正に一口試すだけに終わりましたが。
写真 7:中央大街の夜景
写真 8:中国料理店で味わった蚕料理
この旅で、特記したい一つは、ハルピン理工大学(写真 9)の職員の家庭2軒を訪問する機会が得られたことです。いずれの家庭も悠々と3世代が一緒に暮らしており、調度も整った環境の様でした。
写真 9:ハルピン理工大学
今年は、日中友好平和条約締結40年に当たり、日中間交流に雪解けの空気を感じるこの頃です。庶民・民間の交流もさらに深まっていくことを切に願う次第であります。
最後に、現地での先生のお姉さんのお心配り・手配りで素晴らしい旅行ができましたこと、心から感謝致します。
北摂で中国語会話教室やお茶を飲みながら会話を楽しむ“茶話会”を主宰する先生のお里帰りに便乗した生徒たちの小集団で、いわば家族旅行のようなものである。現地での一切の行動は、現地在住の先生のお姉さんの手配に拠った。
右も左も山の島国に育った筆者にとっては、山の頂き・峰一つ見えない、まさに“大地”を実感させる、緑の大地に近代高楼が並び建つ情景は驚きであった。その他諸々感ずるところあり、下記の如く旅行の印象を律詩にしてみました。
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遊哈爾濱 (下平声先韻)
無山遼遠対江漣, 山無く遼遠(リョウエン)として江の漣(サザナミ) に対し,
龍塔高楼衝碧天。 龍塔(リュウトウ) 高楼(コウロウ) 碧天(ヘキテン)を衝(ツ)く。
鐘響教堂鴿聚舞, 鐘 響(ヒビイ)て 教堂(キョウドウ) 鴿(ハト) 聚(アツマ)りて舞い,
鶯啼公園太極拳。 鶯 啼(ナ)く公園には太極拳。
每逢遊点知発展, 遊点(ヨウテン)に逢每(アウゴト)に発展を知るが,
偶爾苦渋過去緣。 偶爾(タマ)に 苦渋(クジュウ) 過去の緣(エン)。
有如喜鵲挟大海, 喜鵲(キジャク) 大海を挟(ハサ)みて有るが如く,
相交使客感心円。 相交(アイマジワ)りて 客をして心 円(マドカ)なるを感ぜしめる。
註]
江漣:ハルピン市内を流れ、黒竜江に注ぐ松花江の緩やかな流れのさざなみ
龍塔:黒竜江電視台の電波塔で高さ336m
教堂:聖ソフィア聖堂、現在は歴史博物館となっている
鴿:鳩
遊点:観光スポット
過去緣:満州事変以後の日本-ハルピンの過去にあった縁
喜鵲:カササギ(鵲) 七夕の夜翼を広げて天の川に橋を渡し、牽牛・織女の二星が会えるようにしたという伝説のある鳥
<現代語訳>
ハルピンに遊ぶ
見渡す限り山一つない緑の大地、松花江は緩やかに流れてさざ波が広がり、
龍塔や林立する近代高層建築は青空に深く突き刺さっている。
聖ソフィア聖堂では鐘の音の響きに誘われて白いハトが群れをなして舞い、
鶯鳴く公園では人々が太極拳を愉しんでおり、人々は安寧な日々を送っている。
観光スポットを訪ねるごとに街の著しい発展の様子が知られるが、
たまに過去の日本-ハルピンの間の事跡に逢い、暗い思いになる。
日本海の大海を挟んで日本-ハルピン間に橋を渡す鵲がいるが如く、
お互い交流していると 暗い思いも何時しかなくなり、旅人の心を穏やかにさせるのである。
xxxxxxxxxx
一日微雨に逢ったが、総じて好天に恵まれて楽しい4泊5日の旅でした。
先ずハルピンの印象を一言で表現するなら、“広大な緑の大地に、横に、縦に現在進行形で伸びる発展・近代化の姿”と言えようか。
市中心部からちょっと郊外に出ると、写真1に見るように、林立したビルが目に入る。鶴首を視れば、建設はなお進行形であることを伺わせる。市街地区にあっても、古い建物は、新しい高層建築へと姿を変えつつある。
写真 1:ハルピン市のビルラッシュ
後に示す“ハルピン大劇場”のちょっと小高い所から俯瞰すれば、このようなビルが、少なくとも180度の視界に亘って林立している風景が目に入る(写真2)。
写真2:ハルピン大劇場から眺めたハルピン市内
このビル群を見ると、さぞかし人口の増加は激しかろうと想像されます。確かに現地人の話では、人口の増加は著しい と仰る。その程度を数値で確かめたい と調べてみました。
意外であるが、ネットの記事をみる限り、どうもすっきりとした数値に逢えなかった。曰く:市人口:1,064万人(2010年);市域全体:961.4万人、市区人口:約590万人(2015年);面積約53.100km2、人口1,098万人(2018年)。
一方、ジェトロ大連事務所による『ハルピン市概況』(2018年9月)によると、面積53,068km2、戸籍人口 995.21万人(2013年)、987.29 (2014)、961.40(2015)、962.10(2016)、955.00(2017)とかなりの減少である。
本来の住民(戸籍人口?)約950万人、流動人口約100万人か と自らを納得させる。しかし郊外に増えていく建物の数に見合う人口増は如何?という点にすっきりと回答を得ることができず、努力して調べた割には、“草臥れ儲け”か、とモヤモヤが残る。
街の発展の極め付きはハルピン大劇場であろう(写真 3)。土地の広大さを実感させる建造物の一つと言えようか。2015年12月完成、敷地面積 259,080m2、延床面積70,000m2、因みに東京ドウム建築面積の約1.5倍ということである。
寫眞 3:ハルピン大劇場(オペラハウス)
白アルミパネルの外壁は滑らかな曲線を描いてあり、周囲の風景に溶け込むよう設計された と。内にはオペラハウス(1,600人収容)と小劇場(400人収容)があり、大劇場はヤチダモの木で内装されていて、音響効果は素晴らしい と。
この施設は、オペラハウス及びカルチャーセンターとして活用されている由。なお当日は、催し物はなく、人出は少なかった。
今一つ縦に伸びた建物で黒竜江電視台の電波塔・龍塔(高さ336m)がある。東京スカイトリーができる以前は、東アジアで最も高い塔であった と。
ハルピンは、歴史的に北のロシア(またはソ連)や東の日本と深い関わりのあった街で、その遺蹟も多々ある。聖ソフィア大聖堂(写真4)もその一つである。かつては東方正教会の教会であったが、現在は歴史博物館となっている。
写真 4:聖ソフィア聖堂
街の中央 “中央大街”の近くに兆麟公園がある。抗日戦争で活躍した将軍李兆麟を記念した公園(写真 5)で、市中最も古い公園である由。かなり広い公園で、早朝新鮮な空気の中で、太極拳や健康体操(写真6)など、市民の憩いの場である。
写真 5:市中心部に位置する兆麟公園の門構え
写真 6:早朝の公園内の一画、健康体操を楽しむ人たち
“中央大街”は、日夜ともに賑やかである(写真 7)。この大通り周辺では、異国の料理を存分に楽しむことができる。時に‘試してみるか’という料理があり、その一つに“蚕料理”(写真 8)があった。正に一口試すだけに終わりましたが。
写真 7:中央大街の夜景
写真 8:中国料理店で味わった蚕料理
この旅で、特記したい一つは、ハルピン理工大学(写真 9)の職員の家庭2軒を訪問する機会が得られたことです。いずれの家庭も悠々と3世代が一緒に暮らしており、調度も整った環境の様でした。
写真 9:ハルピン理工大学
今年は、日中友好平和条約締結40年に当たり、日中間交流に雪解けの空気を感じるこの頃です。庶民・民間の交流もさらに深まっていくことを切に願う次第であります。
最後に、現地での先生のお姉さんのお心配り・手配りで素晴らしい旅行ができましたこと、心から感謝致します。
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