料理
ことの葉散歩道№31
一回目はレシピを見ながら作る。 |
Kが妻を亡くしてから3年がたった。
末期の癌が発見され余命3カ月と診断された。
梅雨空の雨を眺めながら
「晴れるといいね。そしたらKさん私を海に連れて行って」。
細く弱々しい手のひらでKの手を握りしめてKの妻は言った。
二人の生まれ育った湘南の海が見たいとKの妻はささやいたという。
どんな事情があったのかは知らないが、
人口5万人ほどの小さなこの町に流れて来た二人。
飲んだくれで、
意志の弱い、
それでいてめっぽうお人好しのKに惚れたのだとKの妻は、
はにかむ様な微笑みを浮かべて言った。
願いをかなえる前に逝ってしまった妻を前にしてKは号泣した。
二人でやっていた小料理屋をたたみ、
Kは昔の飲んだくれになってしまった。
3年が過ぎ、Kは立ち直った。
飲んだくれで堕ちていくにはKは年を取りすぎていた。
ある日、
彼ら二人を支えた常連たちを集め、
長年支えてくれた皆さんにお礼かたがた、
妻の供養をしたいという。
提供された料理の全てが、
妻が残した料理のレシピを見ながら彼が作ったのだと言う。
目の前に並べられた料理の品々は確かに、
Kの妻が元気だったときにメニューに載せられたものだった。
だが口に運ぶと微妙に味が違う。
見た目は同じでも、
Kの妻が作った品とは味が違う。
舌に馴染まない。
口に放り込むと、
舌の上をじんわりと広がって行く何とも言えない満足感がないのだ。
舌鼓を打つという感覚がないから、
酒も舌の上に広がらないでストンと喉を通り越してしまう。
おそらくこの違いは、
Kがレシピにとらわれ、
自分の味を出せなかったということなのだ。
冒頭の「一回目はレシピを見ながら作る」の域をKはそのまま踏襲したにすぎなかったのだ。
Kの妻の思い出と匂いの残るこの店をそっと抜け出し、
私はKが本物の料理人になるまでこの場所に通い続けることになるだろうと思った。
それが、亡くなったKの妻への供養にもなると、
私は思いながら路地を抜け、長い坂道をゆっくり上った。
(2016.08.03記)
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