蝉 ボクの子どもの頃は
(ことの葉散歩道№30)
蝉は地上に出て7日で死んでしまうというけれどあの小さな体には7日分の声しか入ってなくて、その声を出しつくしてしまった時死んでしまうんじゃないか ※ 世界地図の下書き 朝井リョウ著 集英社 |
両親を交通事故で突然に失い、
叔母夫婦に世話になるが虐待に遭い児童養護施設で暮らす。
施設に入ったばかりの太輔には勝手がわからなくて不便なことが多い。
小学生の太輔がぼんやり考える場面だ。太輔の寂しさが伝わってくるような描写だ。
「蝉しぐれ」は、夏の暑さを際立たせる季節の声だ。
同時に、真っ黒に日焼けして、
皮がむけるまで戸外で遊んだ夏休みの思い出に繋がってくる。
剥離する皮を指でつまみあげると、実に簡単に皮がむける。
最近の子どもたちには日焼けして皮がむけるなどということはないようだが、
私たちの時代には、熱中症という言葉もなかったし、
肌が焼けてどれだけ皮がむけるかを自慢しながら、競ったものだ。
夏の終わりは、
夏休みの終わりでもあり、
蜩(ひぐらし)が鳴く頃には、
遊びすぎて終わらない宿題を抱えて、
遊びすぎたことを後悔する。
クーラーもなければ、
扇風機もない時代に、
唯一の暑さ対策は、
ウチワであおぐことだった。
母の口癖は「朝の涼しいうちに勉強しなさい」だった。
だが、昆虫取りに熱中しているボクは、
麦わら帽子をかぶり、
麦わらで編んだムシカゴを肩から下げ、
手作りの虫取り網をもって母の目を盗み、家を飛び出す。
プールなんてどこにもなかったから、
川で泳ぐことになる。
「泳ぐ」とは言わずに「水浴び」と言っていた。
パンツ一枚になって「水浴び」している間に、
いつの間にか泳げるようになる。
こうした遊びの中で子どもたちは、
してはいけないこと、
何が危険で何が危険でないかを身に付けていく。
「セミは長い間土の中にいて、土から出てくると少ししか生きられないから逃がしなさい」
とお父さんが言っていた…。
若くして父を亡くした母の口癖で、
これを言うときの母の顔は、
微笑んでいて、とても優しく感じられた。
遠い昔と変わらずに、今日もセミが鳴いている。
昨日、孫二人と蝉取りに出掛けました。
20匹も取ったでしょうか。夕方になると逃がしてあげると言います。
虫を取っても、母親から逃がしなさいと言われているようです。
私が子供の頃は蝉は取りましたが、昆虫採集の相手にはあまりならなかったような記憶があります。
孫たちには楽しい夏休みが過ごせるよう応援したいと思っています。
昆虫採集、プール、等たくさん応援したい。
それにしても今の子どもたちは、遊びの種類が少なくなりましたね。ターザンごっこ、木の上に秘密の小屋を作り、ワクワクしながら遊んだ記憶が懐かしい。
遊びのほとんどは、年上の子どもに教わりました。
将棋や軍事将棋など、夏の夜の縁台の上で、毎日繰り広げられる夕食後の楽しいひと時でした。
健康に留意し、「いいおじいちゃん」を演出できますように。
母は私にとって最高の女性でした。
父が亡くなった時、5人の子どもたちは26歳の長女が働いていたが、長男は私立の大学、姉二人は高校生、私は3歳でした。子どもたちの教育は、母がします。苦しい家計のなか、一人も退学させることなく姉たちは女学校を、兄と私は大学までの教育を受けさせてもらいました。
いつも働いていた母は、80歳で父のもとへ旅立ちました。その母に私は生き方そのものを教えられたような気がしています。
8月の暑い季節、健康に留意し、ご自愛ください。