愛する人を失う ことの葉散歩道(11)
「俺は……あいつに救ってもらったんだ」助けてもらった、ではなく、救ってもらった、と星は言った。 ※ 新聞小説「春に散る」沢木耕太郎著 |
朝日新聞朝刊に連載中の小説より引用。
元ボクサーの星が、つい最近亡くなった妻の遺影を前にして、40年ぶりに訪ねてきた広岡に言う台詞だ。
落ちぶれて、輝いていた昔の痕跡は何もない。
愛する人を失った悲しみがあまりに大きく、星にとって彼女がいかに大きな存在だったか想像できる。
狭いアパートの一室。
まだ設(しつら)えたばかりの形ばかりの祭壇に彼女の位牌と遺影が飾られ、
その状況が愛するものを亡くした星の失意の胸中を十分推察できる。
そして、星の述懐は続く。
「あいつと出会わなかったら、俺は今頃どうなっていたかわからない」
作者はこうした星の状況を次のように述べる。
ある意味でそう言える女性に出会えた星は幸せだったのだろう。
だが同時に、その幸せは失うことでさらに深い悲しみを生むものでもあったのだ。
こんなことになるのだったら、出会わなかったほうが良かった。
悲しみが深い分だけ、思い出も深く、「どうして」「なぜ」と自問自答する星の姿が目に浮かぶ。
失う悲しみを味わわないためには、最初から関わりを持たなければいい。だが、果たして、それでいいのだろうか。よかったのだろうか……。星を訪ねてきた広岡が心の内で考える場面だ。
ボクシングから遠のき、生活が乱れ、女から女へ渡り歩くような自堕落な生活を続ける星は、
彼女に救われ、中年を過ぎて初めて優しさに触れ、生きる糧を見つけることができた。
過ぎた過去は取り戻すことも、修正することもできない。
失ったものの大きさを思い、途方に暮れる星だが、
「救われた女」に報いるためには、辛い現実を克服し、現実を修正していく以外に道はない。
星が立ち直るための辛い道ではあるが、
彼女が最後に残した試練だと思う気力があれば、
星は必ずこの現実を克服することができる。
星よ、輝いていた青春を思い起こせ!!
(2015.9.18記)
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