遺影と語る (翔の哀歌 №16)
日常が日常でない日常を孫の遺影と語り過ごす 川越市の吉川清子さんの句(朝日俳壇2月2日付)。
愛する人を失った悲しみが、心を打ちます。語り過ごす以外に何もできず、ただただ人の命の儚さと無常が悲しみとなってわき上がってきます。
彼が逝ってから丸二年が過ぎた。
辛く悲しい2年。
時間はあの日から止まったまま
今でも、お前が帰って来るのではないかと思う時がある。
夕方 食事前のひと時
ホテルの下の河口にでてリールを投げる
釣果ゼロ
だが、私たち二人はかけがえのない時間を
共有することができた
早朝 夏の浜辺 流木に腰掛け、
リールの竿先をじっと見つめる
彼にとっては初めての海釣り
時間だけがゆっくり流れていく
流れていく時間の中で
私は彼と過ごせる時間が
なんと穏やかで 心地の良いものかと
ささやかな幸せに浸っていた
その年の冬
彼は帰らぬ旅に立ち
私は物言わぬ遺影の中の
14歳の彼に向かって
語りかける日々を迎える
今はただ、「合掌」と彼の冥福を祈る。
(2016.2.4記)
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