『喜劇の精神』、それは観衆を笑わせるための演出であり、本来の自分(あるいは常識・観念)とは差異がある。その差異の計算によって周囲の人の優位をくすぐるという手法であって、必ずしも自然体ではなく自然体に見えるように装うポーズである。
二重の思考により、むしろ本質を気づかせる。否定と肯定の入り混じった混沌(雰囲気)から真実に抵触させて笑いを誘う。
男は直立しているように見えるが片足は地表に食い込み、勾配(坂)のある地表面に対し、身の重さをもって沈み、のめり込むようである。しかし、それを悟られないような他方の足の軽やかさで、均衡を保っている。下方に向かう足に対し上半身は真正面を向き平静である。
さらに言えば、頭部は逆(上方)を向いている。
つまり、肯定・否定・肯定・否定…大いなる否定という姿勢であって、この男(人物)の中での葛藤(反逆)の精神が静かにも内在している。
この軋み、この矛盾を、(笑い=喜劇)と呼ばずして何としよう。
マグリットの告白である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
あすこなら空気もひどく明瞭で
樹でも艸でもみんな幻燈だ
☆句(言葉)を記(書きしるす)。
句(ことば)で化(教え導く)冥(死後の世界)の霊(死者の魂)、需(求める)総(すべて)は、等(平等)である。
が、ふりーだのこわばった姿勢は、ほとんどくずれなかった。彼女は、なんということなしに盆のうえの食器を二、三度置きかえようとしながら、
☆しかしながら、彼女の目を探るように見た。態度は和らぐことなく、探るように言った、