五感・・・眼差しの凝視(視覚)心持ち大きく開いた鼻の穴(嗅覚)、しっかり描かれた耳(聴覚)、パイプを持つ手(触覚)、タバコ(味覚)、これらの集中した感覚。
全身全霊をかけて何かに思いを馳せる、究明しようとしている。すなわち《瞑想》なるものである。
現実を隠蔽した背景の曖昧さ、不明な時空は極めて個人的な精神の混沌の空気感を漂わせている。
『狂気について瞑想する人物』は客観的なタイトルであるが、即、自身の主観であり、自身への凝視である。
死と生は明確に判別可能であるが、狂気と正気の境界は見えない。その見えないものを究明しようとしてる。
白い部分は棺の暗示であり、《死》を凝視、思い詰めても決して明らかにならない(生と死)の帰結。それを可能に結びつけるものは《狂気》ではないか。
マグリットの一貫した、しかし隠蔽されたテーマである(亡母への追想)に執着することを、狂気と捉え、自身を自嘲しているのではないか。胸の痛む光景である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
よほど上手に鳴いてゐる
そらのひかりを呑みこんでゐる
光波のために溺れてゐる
もちろんずつと遠くでは
もつとたくさんないてゐる
そいつのはうははいけいだ
向ふからこつちのやつがひどく勇敢に見える
☆照(あまねく光が当たる=平等)である衆(ひとびと)の冥(死の世界)である。
貪(よくばって)考え、把(手につかむと)出来る。
掩(被われた)講(話)である幽(死者の世界)に換(入れ替え)現わしている。
そして、Kが彼女の手から盆をとって下に置き、自分の腕を彼女の胸に絡ませて、その狭い場所をゆっくりと行きつもどりつしはじめても、されるがままになぅていた。
☆そしてKは彼女から無雑作に探り、根底に置いた。氏族の場所に恐れつつゆっくり向かうどころか、なお前方に行き、(可哀想な人)祖先はこのような死に方をしていたのだ。