歩くのさえおぼつかないわたし・・・ましてポールの上を渡るなんてムリ、ムリ、ムリ。
でも十年前には満潮で、身体を固くしながら死ぬ気(大げさ)で渡った因縁のこの場所、今回は干潮で命拾い。
友人は楽勝、「こういうことはなんでもないの」と涼しい笑顔。(羨ましい!)
『巨人の時代』
一見すると、男が女を犯そうとしている景に見える。
裸婦と着衣の男。
女は男の肩に手を当て、男を押し退けようとしている。欠損しているが、もう片方の手も男の肩に手を当てていると想像することが出来る。腕を見ると相当力を込めていることが分かる。
豊満な肉体の女は男が女の太腿にあてた手の方向を見ている。男のもう片方の手は腰に回しており、明らかに女に抱きつくポーズである。
しかし、二人は立っている。臥せる形で男が女に被さっているわけではない。
男は低い位置にいる、力関係で言えば男の方が力を出し難い絡みである。
女の方が男を強引に惹きこんでいるとさえ言えるのではないか。
性関係において男優位を念頭に置くが、女が男を強引に引きずり込むという、通念を覆す関係を暗示しているのではないだろうか。
あるいは男女平等の示唆かもしれない。
『巨人の時代』は、大いなる男と女の関係、未来型ともいうべき性の指標であり、女の方が男より強く優位になる時代を言っているような気がする。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密で
つめたくそしてあかる過ぎた
今日は七つ森はいちめんの枯草
松木がをかしな緑褐に
丘のうしろとふもとに生えて
大へん陰鬱にふるびて見える
☆全ての講(話)は空(根拠がない)記である。
終(死)を密(こっそり)化(形、性質を変えてべうの物になる)で混(一緒にして)秘(人に見せないように隠す)
死地は真(まこと)に虚(むなしく)総てを障(さえぎり)黙している。
録(文字で書き)括(ひとつにまとめて)究(つきつめる)
照(あまねく光が当たる=平等)の題(テーマ)は隠して打(ぶつけ)現している。
「どちらでもないよ。あの子をそういうのは、感謝の気持ちからなのだ。つまり、あの子は、こちらがあの子を無視することをらくにしてくれる。また、たとえあの子が何度も言葉をかけてきても、ぼくとしては二度と出かけていく気にならないからね。
☆「どちらでもないよ。わたしがそういうのは感謝の気持ちからで、気持を軽くしてくれる。でも、しばしば話しかけられても再び向こうへ行く気になれない。