昨日まで見慣れた、この先もずっと変わらないと信じていたものが、ある接点を持って消失し不在になるという恐怖、驚愕…哀しみ。
自分の中でどう解釈したら納得できるのか。
答えは見つかるべくもない。
成熟した女の身体である、「お母さん」と呼びかければ開きそうな唇、涙がこぼれそうな潤んだ瞳。
母の突然の死を受け入れられなかったであろう少年の日のマグリット。いつまでも、いつの日も胸に残る疑念は消えず問い続けたのではないか。
存在(生)と不在(死)をつなぐもの。
最後に見た光景は納められた棺のみだったかもしれない。目に焼き付いた棺の木目模様は、母の死と結びついて幻影と化していったと思われる。
背景の淀んだ深緑は現世の空気ではないという律ではないか。
この裸婦は性欲の対象でも神秘化された偶像でもない。ただひたすら温かい肉体が死へと変容していく決別の、マグリット個人の惜別のリアルを凝視したものだと思う。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
☆真(まこと)の照(あまねく光が当たる=平等)が滅(なくなる)のは、慢(おごり)である。
法(神仏の教え)を留め、展(ひろげる)照(あまねく光が当たる=平等)を願う意(考え)也。
僕(わたくし)は常に平(平等)を本(物事の根本)に書くことを計(はかり)記している。
新しく千(たくさん)の記を積(つみ重ねている)。
「でも、あの子をどうしてつつしみぶかいなどとおっしゃるの」と、フリーダは、執拗に食いさがった。Kは、フリーダがこのように関心を見せはじめたことをいい徴候だとおもった。「ご自分でためしてごらんになったの。そとも、だれかをけなそうとおもって、そんなことをおっしゃるの」
☆「でもなぜ彼女を控えめなどというの?」とフリーダは譲らなかった。彼女の関心はいい徴候に見えた。「自分で試したの?それとも誰かの気持ちを害すためなの?」