振動尺試作Ⅰ-5-1~1-5-7
振動は見えない。確かに空間を揺らすものであるが、その形を手にとって確認することなど不可能だと、少なくともわたしは思っている。
振動には長さや振幅があるが、その重量や形には思い至らない。
しかし、振動尺と言い、その振幅の長さを限定し試作している。推定を想念で限定し、物に置換する仕事は想定外である。
誰も見たことのない風を固体化して提示するようなものである。
振動には各種ある、というか、眼に見えていない部分、視覚化できるものを囲む大小の揺れは総て振動であり、脈々と持続し続けている。
宇宙然り、地球の潮汐・気候現象、人体(脳や心拍)、化学、電気、熱振動・・・社会の景気動向(景気循環)に至るまで《振動》と呼ばれるものは見えるもの(存在)以外の領域を占拠している。
ゆえにこれが振動尺試作だと断言されれば、肯くしかない。(誰も目にしたことはないのだから)
これら試作は、振動の宣言であり、前提条件の提示ではないか。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館
「自分が眠いのだよ」
五十を五つ六つ超えたらしい小さな老婆が煤ぶった被中炉に火を入れながら呟いた。
☆自(わたし)の文(文章)は民(みんなの人たち)の語(言葉)に等しい
語(言葉)の録(見字に書き記すこと)を閲(調べる・確かめる)章(文章)である。
朗(明らか)に簿(ノート)が媒(仲立ち)をする。
秘(人に見せないように隠すして)注(書き記す)路(物事の筋道)は化(教え導くこと)であり、新しく見(隠れていたものが現れる)。
これは、冷静で深謀遠慮のエルランガーらしからぬことだが、Kがドアの外で待っていなくてはならなかったことから考えても、そうにちがいなかった。
☆冷静で世故にたけたエルランガーの微妙な差異、Kがその後あちら(死地)で示した計画は入口で留まろうとしているに違いなかった。