空間とは何か・・・存在を浮かび上がらせるもの、見えないが存在するものである。
存在は空間に圧されているし、空間を圧してもいる。
どんな微細な隙間も空間であり、存在と密接に関わりを持っている。存在を証明するものが空間であると換言できる。
存在と信じている視覚に感受しうる景色、大地であり林・森・海・川・建造物…所有物だと確信する地面(掘削可能な地下)すべては、形と呼べる触感を持つものである。
しかし、五感を拒否するものである空間についての手掛かりはほとんどない。強いてあげれば、空間が揺れる現象である《振動》を探る手法が残されているのみである。
空気振動・・・電磁波・光波・音波…熱波・寒波などあらゆる振動が錯綜している空間を《無》などとは呼べない。
そのものを体感する・・・学習されたデータ(歴史、地学、物理、化学などの集積)が自分自身の礎であり、それらの条件を踏まえた上での目前の空間である。試作は一つの観念であるが、それに対抗・対峙していく姿勢のための模型だと思う。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館
「何に、べつに用事はないのだから明日一日位此処で暮らしても可んです」
☆仮(一時的に・ちょっと)瞥(ちらっと見ると)要(かなめ)の字(文字)に妙(不思議)が逸(隠れている)。
化(教え導くこと)の意(考え)は、詞(言葉)の緒(もろもろ)にあり、簿(ノート)に課(割り当てている)。
それがすむと、先へすすんでいくが、眼だけはそのドアからはなさない。やがてーたいていはそうなるのだがー相手の役人がそっとドアをあけて、書類を室内に引きずりこもうとすると、彼は二歩か三歩で飛んで行って、片足をドアと柱のあいだにつっこみ、すくなくとも、顔と顔を突き合わせて交渉せざるをえないようにしてしまう。
☆見渡すと、多くの人たちは計画を常に考えながら顔に出さないでいた。いつもの出来事、まれに用心深く閉ざした計画、記録を公開した。来世では従僕(死人たち)の二、三は飛んで計画の仲間入りをした。