続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮 Ⅱ-1-1自分自身が目前の空間を測るための模型②

2019-11-12 06:45:45 | 美術ノート

 目前の空間を測る・・・。
 目前の景色を測るという場合、存在物という尺(手掛かり)を基準にする。目前の空間を測るという場合でも、存在物という尺が必須なのは同じだと思う。

 しかしここでは自身の頭部以外はすべて簡略化され無彩色である。空間が主体(目的)であれば肯けるが、対象物はことごとく縮小され自身の目前(視点)は俯瞰ではないがかなり高所にある。
 これは、視線は必ずしも自身に在るわけではなく、学習された過去のデータの集積、想念にあるということではないか。

 地表を圧する空間の多量は、地表の存在物の枝葉をそぎ落とし、地表を見えるものにする。下部(地中)から突き出た棒状のものは地中の空間(水流)ではないか。地上の樹木(自然)と地中の水脈、この循環があってこその空間《大いなる振動》である。

『自分自身が目前の空間を測るための模型』とは、着地する地下(地殻の層)と地上の関係性への試作、問いではないか。見えない存在への洞察である。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館


『忘れえぬ人々』31.

2019-11-12 06:33:40 | 国木田独歩

亀屋で起きている者といえばこの座敷の真中で、差し向かいで話している二人の客ばかりである。


☆鬼(死者)也。
 鬼(死者)の赦(罪や過ちを許す)座(人が集まる場所)で識(物事の道理を見分けること)が芯(物事の中心)である。
 注(書き記し)査(明らかにする)講(話)は、和(調合すること)が普く図りごとの規約である。


『城』3300。

2019-11-12 06:22:00 | カフカ覚書

正攻法ではどうすることもできないと見てとると、べつな方法でやってみるのだった。たとえば、Kが正しく理解したかぎりでは、策略をつかうのである。


☆公開は着手できないので、別の巧妙な方法を試みるのだった。たとえば、正しい思考を以て策略を試みるのである。