続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

賢治『序』6。

2021-12-13 06:28:35 | 宮沢賢治

 けれどもこれら新生代沖積世の
 巨大に明るい時間の集積のなかで
 正しくうつされた筈のこれらのことばが
 わづかその一点にも均しい明暗のうちに
   (あるいは修羅の十億年)

 新生代沖積世はシン・ショウ・ダイ・チュウ・セキ・セイ・と読んで、真、照、題、注、責、整。
 巨大に明るいはキョ・タイ・メイ・と読んで、拠、他意、冥。
 時間の集積はジ・カン・シュウ・セキ・と読んで、字、換、修、晰。
 正しくはショウと読んで、章。
 筈はカツと読んで、活。
 一点にも均しい明暗はイツ・テン・キン・メイ・アンと読んで、逸、展、襟、冥、案。
 修羅の十億年はシュ・ラ・ジュウ・オク・ネンと読んで、衆、等、自由、憶、念。

☆真の照(あまねく光が当たる=平等)が題(テーマ)であり、注(書き記す)責(なすべき仕事)として整える。
 拠(より所)は、他意の冥(死後の世界)であり、字を換(入れ替え)修(整えて)晰(明らかにすると)章(文章)が活(生きてくる)。
 逸(隠して)展(広がる)襟(心の中)の冥(死後の世界)の案(考え)であり、衆・等(人々)の自由・等(平等)に憶(思いを巡らす)念(考え)である。


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