自分が住んでいる周りには色々と歴史的なものがある。
でも、今まであまりにも知らなさすぎた。
ネットや郷土史を見たりして、散歩がてらお勉強することにした。
始めるにあたって、雨風で風化しそうな石仏や石碑を手を合わせながらめぐることにした。
一乗寺北墓地に向かう。
北墓地は武田薬品京都薬草園の山側にある。
歩いていると雪がちらちらと降ってきた。
北墓地に入るとすぐに弥勒石仏がおられた。
鎌倉時代のものとネットに書いてあった。
かなり風化しているが穏やかなお顔立ちである。
弥勒石仏の隣に六地蔵さんがおられた。
看板には以下のように書かれていた。
「お地蔵様は正式には地蔵菩薩といいますが、私達にはお地蔵さんと呼ぶほど身近な仏さまです。お地蔵さんは仏にならないで無縁の衆生を救われるのです。それは人間の世界だけでなく、地獄、餓鬼、畜生、修羅、天道の六つの世界のすべてのものをお救いくださるので、六道能化のお地蔵さんとも言います。~略」
地蔵尊の謂われを理解して、手を合わせた。
曼殊院への鳥居。
弁財天さんへの鳥居である。
鳥居のそばに道しるべの石碑がありましたど、文字がかすれて読めない。
右 弁財天までは理解できましたが、石碑の右側に書いてある文字は読めませんでした。
曼殊院の南壁と一乗寺北墓地の間の道を行くと、てんこ山から無動寺に行ける。
鳥居をくぐって振り返ると、まだ紅葉していた。
曼殊院から「雲母坂」に行ってみた。
「親鸞聖人御旧跡きらら坂」の石標。
雲母坂の比叡山登り口付近に「雲母寺」の石碑があるはずだが見つからない。
あれ?どこだろうと探すことしきり。
J子様がその壊れた柵のところにあるみたいと見つけてくれた。
ありました「雲母寺」の石碑。
石碑の周りには石垣も少し残っていた。
雲母寺は天台宗で比叡山延暦寺東谷西谷に属した。
きらら橋あたりもまだ紅葉している。
音羽川に沿って歩くと広大な敷地の庭にも紅葉があった。
ここは以前福助の別荘で、その後清華大学の持ち物となり、今では京都芸術大学の持ち物となっているみたい。
音羽川沿いに見える旧林丘寺。
今では修学院離宮の一部となっている。
音羽川の氾濫で川が整備される前は、ここに橋が架かっていた記憶がある。
その橋がこの鷺森神社の御幸橋にあたるのかな?
橋には以下のように書かれている。
「その昔、修学院離宮正面入り口の音羽川に架設され、後水尾上皇、霊元法皇も行幸のみぎりに通られた名橋です。昭和四十二年当社本殿改築の際、請願により下賜され、社宝として宮川に架設しております」
続きは明日にします。