夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

日々の生活、男の料理、庭仕事、気になった事など気ままに綴っています。

フリマで買ったイ・サンティのトートバッグ

2011年10月11日 | 買い物
昨日、ゆうゆう館の文化祭でやっていたフリマで買った商品
イ・サンティ(イタリア製)のバッグ驚くほど安かった。あまり使っていないようできれいです。
 
それなのに「安くしてくれる?」といったら「300円でいいです」と
売っていたお姉さん。びっくり価格です。即買いました。物もたくさん
入れられて使いやすそう。
他に衣類を買いました。アンゴラとシルク混の紫色のセーター、冬に重宝しそう。
イッセイミヤケのプリーツプリーズ白のノースリーブはシミが付いていたのでタダ。
洗濯したらきれいに落ちました。黒ロングスカート、未使用ハンカチ5枚

以上全部で1700円。これだからフリマ通いは止められません。
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ゆうゆう館の文化祭に出かける

2011年10月10日 | 行事
パソコン仲間のNさんから「ゆうゆう館の文化祭に行かない?」と連絡あり
今日は朝から出かけました。ゆうゆう館の文化祭(館内で活動している
グループの発表会)私はお茶(茶道)を習っているKさんから茶会の券を
頂いていたのでそちらにも参加。先生の手作りの和菓子とお抹茶を頂き、
 
久々に伝統的な茶の湯を楽しみました。
 

会場内ではご近所のOsさんが折り紙を折っていました。来年の「干支(竜)」を
折っています。「折り紙講習会があるから来てね」とOsさん。
 

太極拳の発表

フラダンスの発表もあり(デジカメのバッテリー切れで残念ながら
きれいどころの写真なし)なかなか楽しめました。

会場入口ではフリマもやっていてまたまた買い込みました。
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前山寺で胡桃おはぎを食べる

2011年10月10日 | 温泉
「無言館」に立ち寄った後、塩田平の山裾を600mほど進むと前山寺(ぜんざんじ)
ある。ここも古いお寺なので立ち寄りました。
 
寺の裏手にはお墓がありシュウメイギクがきれいに咲いていた。
 
名物の胡桃おはぎをいただきに寺の横手に入っていく。誰もいません。
「ごめんくださ~い」と何度も大きな声で呼び掛け、やっと出てきた女の方に
「胡桃おはぎいただけますか?」といったら「はい、どうぞ」と
 
通された部屋、静かでいい感じ。普段は予約しないと食べられないとか。
今日は客人が誰もいません。
  
「ごゆっくりどうぞ」と持ってきて
くれた胡桃おはぎ↓上品な甘さです。       障子を開けて
胡桃のタレをつけて頂きます。          お庭を拝見。客は私たちだけ。
 
庭からは塩田平が見下ろせます。

参道を通って下山。樹齢700年といわれるケヤキの大木。
 
傍の碑文に書かれていた文「かけた情は水に流せ 受けた恩は石に刻め」と
書いてある。水に流せず、石に刻めずの私です。

塩田平の山裾に沿って別所温泉へ走ります。

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鹿教湯温泉から無言館へ

2011年10月09日 | 温泉
夜暗くなってから着いた鹿教湯温泉。暗くひなびた温泉街は人通りも無い。
宿は「大江戸温泉物語」という温泉旅館チェーンの「鹿教湯藤館」という
宿でした。着いたのが遅かったので「夕食は7時半からになります」との事。
室内はまずまずの部屋でした。早速温泉に入りに行く。温泉はなかなかいい
お湯でした。夕食、朝食共バイキング料理。宿泊料が安いので食事は期待
しません。が「おおるり」チェーンよりずっとましか、というところ。

二日目の朝はゆっくりと露天風呂に入り朝食をとって郵便局探し。
 
郵便局は宿から歩いて数分の所にあった。ここでも旅行貯金をする。

二日目の予定は別所温泉を通って蓼科からビーナスラインを経由して帰る
コースでした。10時過ぎにチェックアウト。
  
稲刈りを終わった田んぼでは野焼きの煙が立ち上がり風情があります。

別所温泉への近道は道路工事のため通行止との事で昨日来た道を引き返し
途中から別所温泉方面へ。県道別所丸子線を走っていて左手に「おやっ」と
思う案内板を見つけた。父ちゃんに「ここ寄っていこう」といって寄り道。
「無言館1km」の案内板でした。雨もようになってきたがこの看板を見たら
寄らないわけにはいきません。無言館(戦没画学生慰霊美術館)です。

山の中腹に建てられた美術館です。「無言館」という美術館があるのは
知っていましたが、内容的に気が重い美術館と思って避けていました。
でも通りがかりにこの案内板を見たら通り過ぎることはできませんでした。
残念ながら内部の撮影は禁止です。
 
戦争で亡くなった画学生が描き残した作品がたくさん展示されています。

殆どが20代で戦死もしくは戦病死した方々です。特にフィリピン、レイテ島で
亡くなった方が多く、亡くなった時の状況や残された家族のお話が添えられてあり
涙なくしては見られませんでした。戦争に負けてたくさんの人が戦死しました。
志半ばで亡くなった画学生の絵をみて、今の私たちの生活をありがたく
思わなければいけません。
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美味しそうなケーキです

2011年10月09日 | 手作り
お隣の柊ちゃんのお母さんが「こんなケーキ貰っちゃった」と持ってきた。
美味しそうなケーキたくさん。

  本当に美味しそうなケーキです。
  
でもこれは食べられません。一つの大きさが5mm位のケーキです。

小さな作り物のケーキです。食べられませんがすごくリアルなケーキです。


柊ちゃんの野球部仲間が何度も泊まりに来て、それのお礼と部員のお母さん
ミニミニケーキを持たせたくれたそうです。虫眼鏡で見ると細かい細工に
びっくり、驚きです。
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何も無い日は庭仕事

2011年10月08日 | 手作り
今日はダンスレッスンの日でしたが私はお休み。やりたいことは
たくさんありましたが今日は庭の片付けです。
秋植え球根や古い鉢物の植え替え、要らなくなった植木鉢の整理など
庭仕事はたくさんある。

使わなくなった植木鉢の土は篩いにかけて再利用。夕方までに
少しはきれいになりました。まだまだ片付けは続きます。
 
午前、午後と町会の仕事で忙しかった父ちゃんは「明日片付けるからな」と
言ってくれました。はい、お願いします。
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海野宿に立ち寄る

2011年10月08日 | 温泉
荒船山を間近に見ながら峠道を下りコスモス街道を走り右手に浅間山を
見ながらのどかな田舎道を走って北国街道にある海野宿(うんのじゅく)
着いたのは夕方4時過ぎでした。

海野宿駐車場(有料300円)のおじさんが「5時で駐車場閉めますが
車が出られるようにしておきますから」と言ってくれたのでゆっくり宿場を
見て歩けた。宿場入口にある白鳥神社の前を通り、夕暮れどきの海野宿を歩く。
 
格子戸と卯建(うだつ)がきれいです。

平日夕時なので観光客はほとんどいない。お店も閉まっていて残念。
 
狭い路地                            店先で一休み
 
萩の花も満開 このような街並みが直線で600余メートル続きます。
なんともスッキリした街並みです。そのはずです。この宿場には電柱がない。
昔の街並みをそのまま残しているからでしょう。「重要伝統的建造物群保存地区」
「日本の道百選選定地区」だそうです。
 
海野宿散策後、国道254号線で鹿教湯温泉に向かいます。着いたのは
日も落ちて真っ暗になっていました。
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ベーコンを作る

2011年10月07日 | ベーコンを作る
寒くなって乾燥してきたのでベーコンを作り始めました。

燻製は何時もスーパーで貰ってきたダンボールを利用していましたが
亡くなった兄が手作りしたスモークボックス(燻製用の箱)を貰い受けました。
造りの良いスモークボックスを貰ったので、早速アメリカ産豚バラ肉を使って
ベーコン作りです。豚バラ肉は一週間塩漬け後塩抜きして約1日風乾して
燻製にします。               兄が作ったスモークボックス↓
 

夕方から燻製し始める。煙の具合良好。
 
出来上がりが楽しみです。
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荒船山を間近に観て走る

2011年10月07日 | 温泉
富岡製糸場を後にして富岡市街のそば屋に入って遅い昼食。
私は天ぷら蕎麦父ちゃんは「おっきりこみ」という煮込みうどんをたべる。
   
昼食後、富岡郵便局に立ち寄り旅行預金。国道254号線で下仁田から
内山峠、佐久に向かう。

内山峠辺りから見えた荒船山の断崖絶壁をはじめて間近に見た。

「クレヨンしんちゃん」の作者がこの絶壁から落ちて亡くなったそうです。知りませんでした。

内山峠を越えてコスモス街道へ。コスモス街道は盛りをすぎていたのか
「すごい~」と言うほどのコスモスではなかった。

街道筋では稲刈りの終わった後の野焼きの煙がところどころで見られた。

佐久へ入って見えてきた浅間山。

今日は噴煙が少ない。

佐久の郵便局に寄って(旅行預金)次は上田の海野宿へ。つづ

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パソコンサークル「おおくぼ通心」10月の勉強会

2011年10月06日 | パソコン勉強会
昨日の雨も上がり今日は朝からパソコンサークル「おおくぼ通心」の
勉強会。といっても今月末に行われる市民文化祭に出品する作品を
皆で作る。皆さん着々と出来上がってきています。我デジフォトグループも
少しづつ作品が出来上がってきました。来週は展示作品のレイアウトを
考え20日に作品に仕上げます。頭を寄せ合って作品作りに熱が入ります。
 
今年の文化祭ポスターは私の作品が選ばれました。作る時間が迫っていて
大急ぎで作った作品です。
   
   簡単明瞭が良かったようです。
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富岡製糸場に立ち寄る

2011年10月06日 | 温泉
鹿教湯温泉への道すがら上信越自動車道を富岡インターで下り
世界遺産登録申請をしている「富岡製糸場」に立ち寄りました。
富岡製糸場のある街は小さな町です。車を有料駐車上に置いて
製糸場まで歩きます。       富岡製糸場入口↓
                我が家と同じ形のポストがありました。
 
見学料500円を支払って中に入ります。

建物(東繭倉庫)が長く続きます。
 
要石(キーストーン)に明治五年と彫られている。ガラスも輸入ものです。
 
富岡製糸場全景

東繭倉庫は展示館になっている。中庭から西繭倉庫を見る。
 
西繭倉庫かなり大きな建物です。観光客があまりいません。


工女館。なかなか綺麗な建物です。貴重なガラスが入っているガラス窓は
高価な輸入品で、波打っているレトロな窓ガラスです。
 
操業当時から機械化されるまで多くの工女(15歳~25歳)が
働いていたようで工女にはランク付けがあり優秀な糸繰り工女は
給料が良かったそうで、器用、不器用がかなり影響したようです。
たくさんの工女さんが働いていたので身体の具合の悪くなった
工女を診るための診療所もありました。

繰糸場                         入口↓
 
フランス人を雇入れてトラス構造という柱がない長い建物を立てました。

繰糸場は窓が大きく天井は明るさを保つため白いペンキが塗られています。
電気が無くても明るい。

ボランティアガイドがついて説明してくれました。

この繰糸場は官営工場として明治5年に創業、明治26年三井家へ払い
下げられその後創業者が変わったものの昭和62年操業停止となる。
明治天皇が三井家に払い下げた時の許諾状(?)天皇の御璽(印)↓が
押されている。かなり大きな印です。
 
指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナ家族4人が住んでいた
ブリュナ館(300坪の広さ)地下室もあるそうです。手前の建物はトイレ。

ブリュナが帰国後は女工に読み書きを教える学校になりました。

裏庭から関東山地のテーブルマウンテン荒船山が見えた。

次は荒船山の麓を走ります。
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ちょっとひと風呂、鹿教湯(かけゆ)温泉へ

2011年10月05日 | 温泉
昨日、思い立って鹿教湯温泉へ一泊旅行に行ってきました。今日の雨降りとは
違って晴天の暖かな日でした。朝8時半に家を出て高速湾岸線から荒川に
沿って高速中央環状線を走る。ほぼ出来上がったスカイツリーが見えます。

富士山もうっすらと見えました。いい天気です。

東京外観自動車道から関越自動車道を乗り継ぎ、妙義山を見ながら

鹿教湯温泉まで道中、途中寄り道をしながら車を走らせました。
最初の寄り道、富岡製糸場です。このごろの案内板も英語、台湾、中国、
韓国語と賑やかになりました。


鹿教湯温泉は私の母がどういう訳か好んで何度も行っていた温泉です。
たまたま新聞を見ていた父ちゃんが「鹿教湯温泉が安く泊まれるぞ。行ってみるか」
と新聞広告を見て言いました。二人とも鹿教湯温泉は行ったことがない。
安く泊まれるということで「行ってみようか」となりました。
続きは明日。

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キンモクセイはトイレの香り?

2011年10月03日 | ガーデニング
あの夏の暑さを忘れさすように一気に寒くなってきました。
彼岸花も咲き、夕方にはキンモクセイの甘い香りが漂ってきました。

キンモクセイはなぜか夕方から夜にかけて香りが強くなります。

学童保育の指導員をしていたとき、秋の夕方キンモクセイの香りが漂ってきて
「いい匂いだね」と子供たちに言ったらその中の一人が「トイレの匂いだ」と
いった。確かにトイレの芳香剤として「キンモクセイ」の香りは売れたのでしょうが
キンモクセイの香りが「トイレの匂いとはね」他の指導員と苦笑いしました。
キンモクセイの香りが匂ってくると思い出す話です。
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やっぱり美味しい習志野の水

2011年10月02日 | 美味しい食べ物
別刷「船橋よみうり」に習志野市の市営水道水は美味しいと
載っていた。
習志野市営水道の水が「おいしい」と、市民の間で密かな
話題になっている。
(記事より)
地元で生まれ育った私は習志野市の水道水が「美味しい水」と
ずっと思っていました。

記事に書いてあるとおり確かに習志野市の水は美味しいのです。
(以前にもかいたブログ)
但し水道水が美味しいのは地図の青く塗られた地区で
黄色は県営水道(川水を使っている)なので美味しくない。

家から車で10分ほどのところに地下水の組み上げ所があり、
今でもそこから地下水を組み上げている。
地下水を汲み上げた水は旧陸軍習志野病院が使っており国の管理に
なっていましたが、1949年に国から借り受けた習志野市が
水道事業を開始したとの事。
昔は丸型の高い水道タンクがありました。その頃は100%
地下水で、冬暖かく夏は冷たい美味しい水でした。
水道設置事業はなかなかはかどらず、我が家に水道が
ひかれたのは1950年頃だったように思います。
それまでは4軒ほどが共同で使う手押し式ポンプの
井戸水を使っていました。
我が家では風呂の水やら洗い物の水汲みは殆どが
子供たちに任され、兄たちとバケツで何杯も水汲み
「あと何杯~?」などと言いながら水汲みしました。
水道設置により母親も子供も大変な水汲みから開放
されました。台所に水道の蛇口がついて蛇口を
ひねると水が出る。嬉しかったですね。
電気もそうですが水も大切に使いたいものです。
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3週間ぶりのダンスレッスン

2011年10月01日 | ダンス
今日は午後から久々にダンスレッスンに行く。右足親指捻挫のためしばらく休んでいた。
ヒールのある靴を履くのは久々。踊れるか心配だったので殆ど見学。皆さん
文化祭発表会の練習頑張りました。私は練習が思うように出来そうもないので
今年の文化祭発表会はパスしました。
 
その代わり発表会のナレーションを任される。上手くいくでしょうか。
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