カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

3.11に地元の被災を思う

2019-03-11 10:52:48 | 熊本地震
 東日本大震災が起こったのは8年前の今日で、3.11として私達の脳裏に深く刻み込まれている。

 迫り来る大波を知っているのか、手前の道を走りもせずに歩いてくる人の映像を見て、テレビ越しに早く逃げろと叫んだものだった。

 あれから8年が経過した。

 ちょうど5年後に熊本地震の被災地になってしまったので、我が町も被災から3年になろうとしている。

 それからの自然災害はたて続けで、地震や水害等の起こった災害の前後関係も分からないほど多発した。

 先日熊本城を訪れたが、復旧作業は続けられているものの、どこがどう変わったかはよく分からない。

 
 (宇土櫓方向から天守閣)

 崩れた石垣の元の場所を特定する方法が新しく考案されつつあるようだから、20年といわれている修復期間も短縮出来るのかも知れない。

 わが益城町も少しずつではあるが復旧・復興へ向けて前進しつつある。

 
 (更地が増えた町の中心部)

 倒壊した家々や瓦礫によって通行不能に陥った町の中心部は、道路の拡幅や再開発の計画に沿って作り直されようとしている。

 
 (道路拡幅のために確保された用地の縄張り)

 用地取得交渉が成立した場所から、逐次縄が張られ3箇所から工事が始まる予定になっている。

 
 (総合体育館)
 
 (総合グラウンド)

 いずれも、地震の際の緊急避難所として体育館の屋内は人で溢れ、グラウンド内を含む駐車場等は車中泊でごったがえした。

 グラウンドは、ほぼ整備を終えつつあり体育館は建屋の工事が始まった。

 
 (橋梁の工事)

 町を流れる川には、国道が通る大きな橋から生活用あるいは農業用の道路にも何本もの橋が架かっている。

 それらの橋は多かれ少なかれ被害を受けていて、とくに小さな橋は重量制眼がかけられたままのものが多い。

 橋が橋脚の部分から左右にずれたり、道路と橋の取り付け部の高低差が極端に出来たり、中央部の橋脚だけが下がったりと被害の程度も様相も違っていて復旧のやりかたも橋によって異なっているようだ。

 震災から三年、10年で復興を完成させるという計画が首尾良く行くかどうかは分からない。

 今日のネットのニュースで、東日本大震災の被災地のインフラ復興秒読みという見出しがあったが、すこし違和感を覚えた。

 インフラ復旧の秒読みと住民の心の立ち直りには、あまりにも距離が有り過ぎるように思えたのだ。

 
 (子供達が造ったモニュメント)

 町の入口に当たる位置の道路脇に、子供達が頑張ろうと訴えた絵や文字が並んで建てられている。

 置き去りにされがちなインフラ以外の地域力の維持といったものに目を向けることが必要なのだ。

 仮設住宅の集約や災害公営住宅の建設・入居などに伴う問題など、先行被災地の経験を参考にしなければならない。

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コメント
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